知人から紹介された『至高の営業』というタイトルの本の帯には、村上龍さんの推薦の言葉が記してある。著者の肩書を見ると、「元リコージャパン株式会社……」とある。リコーに勤務した経験のある実務家が本を書いたのか?──どこかミスマッチな感覚を覚えながらページを繰っていくうちに物語に引き込まれて、実際にビジネスの現場にいるかのような錯覚に陥った。これは、単に営業の経験があるからといって書ける物語ではない。いかなるバックボーンをもった人物が書いたのだろう。私の好奇心は高まる一方だった。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.3.20/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて】

2014.3.20/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第109回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

修羅場をくぐる原動力は「幼い頃の体験」

奥田 昨秋出版された『至高の営業』を読ませていただきました。最初はちょっと斜に構えて読んでいたのですが、途中からストーリーにぐいぐい引き込まれて、感情移入してしまいました。わが社には辛口で批評する書評担当編集者がいますが、この本は大好評でした。

杉山 ありがとうございます。実際に私が営業の現場で修羅場をくぐってきたなかで見たことや感じたことをもとに構成していますので、共感していただけたのだと思います。ふだん本を読まない人、ドラッカーどころか『もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)』さえ読まないような営業マンにも手に取ってもらいたいと、小説のかたちでわかりやすく伝えようと考えました。ただ、どんなに営業のノウハウを書き連ねても、読者を引き込むことはできません。そこで、ことに前半では、仕事に対する思いを共有することの大切さをしっかりと書き込みました。

奥田 同じビジネスの現場でも、修羅場をくぐる人とくぐらない人がいます。杉山さんはなぜ、修羅場をくぐることを選んだのですか。

杉山 それは私の生い立ちが影響していると思います。3歳のときに両親が離婚し、私は母子家庭で育ちました。生活はきびしく、小学5年生から新聞配達のアルバイトをしていたんです。

 その前の小学4年生の頃の話ですが、食卓にご飯と白菜の漬物だけの日が3日ほど続いたことがありました。お金に困って、味噌も買えないような生活だったのです。でも、食べ盛りの男の子なので「こんなもの食えるか。肉が食いたい」とごねたんですね。すると、いつも気丈な母親が初めて涙を見せて「あなたを殺して私も死のうと思ったことが3回ある」と言ったんです。「ここまで頑張ってきたのだから、もう少し我慢してくれないか」と。このとき、私は食べ物に関して、一切文句は言わないと決めました。そして、将来は自分がしっかり働いて、欲しいものを手に入れたり、やりたいことを実現したいという思いを強くもちました。

奥田 なるほど、幼い頃のご苦労が原動力になったと。ところで、高校を卒業した後は、どのような道をたどってリコージャパンに入社されたのですか。

杉山 実は高校時代から小説を書きためていて、作家になろうと早稲田の文学部を目指すのですが合格できませんでした。そこで、最初の1年間は日経新聞の奨学生として荒川区尾久の専売所に住み込み、予備校に通いながら、朝夕刊の配達と集金の仕事をしていました。ところが、次第に勉強よりアルバイトの比重が高くなってきて、こんな生活をしていてはいけない、きちんと就職しようと考えるようになったのです。それなら就職に直結するスキルを身につけたほうがいいだろうと、働きながら2年間、英会話の専門学校に通い、1989年にリコージャパンの前身の1社である東京リコーに入社しました。

 きちんと就職しようと自覚したのは、新聞専売所の仕事で、中小企業の経営者の方々と話す機会が多かったからです。下町の小さな会社の社長や奥さんが、集金に来ただけなのに苦学生だからとお茶菓子を出してくれたり、いろいろな話を聞かせてくれました。そんななかで、仕事をするってすごいことなんだな、生きるということはそれほど簡単なことではないと実感したのです。そして、自分もきちんとしたビジネスの世界で生きなければ成長できないと考えました。
 

目の前で破って捨てられた名刺

奥田 それで営業職志望に転換されたわけですか。

杉山 新聞奨学生時代、私は拡張キャンペーンで上位の成績を収めて、当時開催されていた「つくば博」に行かせてもらったんです。いわゆる報奨旅行です。このとき、営業成績次第で企業は評価してくれるということを感じて、営業マンになりたいと思いました。

奥田 ということは、杉山さんにとって営業マンとは、実力次第でお金を稼げる仕事という位置づけですか。

杉山 いいえ。いろいろな情報をもってお客様のところに行って、その悩みを解決する人ですね。例えば、新聞の集金のお兄ちゃんは、中小企業の経営者に愚痴をこぼされても聞き役にしかなれません。でも、お客様は仕事の手を休めてちょっと話したいわけです。そういう役割を担う人が社外に必要で、それをビジネスのなかで展開できたらおもしろいのではないかと考えました。

奥田 新人時代は、どんな商品を扱い、どんな営業活動をしておられたのですか。

杉山 IT機器、複写機を中心とするITソリューションです。創成期のワープロからパソコン……。リコーの場合は事務機器全般を取り扱っていて、BtoBをメインに、中小企業を得意としていました。企業の業務改善に役立てていただくということをテーマにして、エリアでのコピー機の営業マンからスタートしました。毎日50軒から60軒の飛び込み営業をやって、それこそ靴底がすり減って本当に穴が開くくらい歩き回りましたね。

奥田 それをまったく苦痛とも思わず……?

杉山 もちろんイヤだなと思いますし、断られればつらいものです。本にも書きましたが、新人の頃、手渡した名刺を目の前で破って捨てられた経験があります。研修では、名刺の出し方、鞄の置き方、カタログを出すタイミングまできちんと教えてくれますので、一生懸命、習った通りにやるわけです。ところが、お客様が突然怒りだして、私の名刺をびりびりっと……。最初は、なぜ怒らせてしまったのかわかりませんでした。

 お客様は必要に迫られて、今使っている機械を購入された。そこに若い営業マンが来て、もっといいものがあると押しつけがましく説明する。業務改善に役立ててもらうどころか、相手の経営判断を否定するかたちになってしまって、怒りを買ったというわけです。それを教訓にして、破れた名刺をパウチして、ずっと持ち歩いていました。お客様に断られるとそれを見て、自分に何が足りなかったんだろうと反省します。こういうお客様がいてくれたおかげで、営業のやり方をうまく修正することができたのだと思いますね。(つづく)

杉山さんが上梓した『至高の営業』


 多くの人の感涙を誘った結末は明かせないが、企業小説として読んでも楽しむことができる。その一方で営業パーソンの教科書ともなり得るリアルで充実した内容を備えている。それもそのはず、杉山さん自身の仕事の足跡そのものがモデルだからだ。