いつの時代にも文学青年はいる。もちろん文学に限らず、熱中する対象は音楽や演劇、スポーツなどさまざまであろう。しかし、多くの青年はある時点でそれを断念し、一生の仕事とすることをあきらめる。杉山さんも若き日に「きちんとしたビジネスの世界で生きなければ成長できない」と考え、営業の世界に飛び込んで成功を手中にする。しかしそんな立場に身を置いても、彼はひそかに小説を書き続け、かつて抱いていた夢を紡ぎ続けていた。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.3.20/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて】

2014.3.20/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第109回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

最初にお客様の問題点を把握する「逆引き」営業

奥田 新人時代に、手渡した名刺を目の前で破られるようなことがあっても、営業マンとしてやっていくことにためらいはなかったのですか。

杉山 それはありませんでした。つらかったけれど、おもしろくもありました。

奥田 どんなところがおもしろかったのですか?

杉山 私たちはお客様からお金をいただくわけですから、ふつうは、こちらが「ありがとうございます」とお礼を言います。だけど、営業の仕事ではお客様から「ありがとう。よかったよ」って言っていただけることがあります。そういう仕事は、そんなにはありません。

 当時のIT業界の営業マンは、売った後はあまり客先に行きませんでした。サポートの体制がしっかりしているので、アフターフォローはそのセクションに任せてしまう傾向が強かったのです。でも私は、むしろ売った後に、しつこいぐらいに訪問しました。導入した機器が、狙い通りにお客様の業務のサポートを実現しているかどうかを確認しないと不安ですし、自分の提案が役立っているということがモチベーションにつながっていたのです。

奥田 なるほど、それで、ご自身の業績はどういうかたちをたどっていくのですか。

杉山 最初の半年ほどは、まったく売れませんでしたが、その後、急に売れ始めました。売った後に通い続けたことによって、そのお客様の業務フローが頭に入ってきたのです。商品研修では自社の商品のことを学びますが、それを説明しに行くのではなく、お客様のことを知って、お客様の抱える問題点に対して自社の商品をあてはめるという「逆引き」ができるようになりました。

 私の場合は、デザイン会社のワークフローを学んだわけですが、同じ業種であれば抱える問題はほぼ同じですから、他のデザイン会社でも次々に商談がスムーズに進んだのです。「逆引き」というのは私の造語ですが、これは一番効きましたね。結果的に年間成績は、250人入社した新人のうち2番でした。

奥田 「逆引き」というのはわかりやすいですね。それ以降の営業成績はトップクラスを保っていくわけですね。

杉山 そうですね。毎年、全社でベスト10くらいの数字を上げていました。31歳までの10年間は営業マンをやり、2000年に管理職に昇格して江東営業所の所長を務めることになります。ところがこの営業所は、当時「姥捨て山」とか「島流し」と言われていた拠点で、えらいところに来ちゃったなと思いました。

奥田 その拠点で『至高の営業』に書かれたように、組織の立て直しをするわけですね。

杉山 はい、ここで7年半所長を務め、最終的にはベンチマークされるような全国トップクラスの営業所になりました。

 私は、経営者の掲げたビジョンを社員が自分の役割として置き換えられれば、強い組織にできると考えています。ビジョンをジグソーパズルにたとえれば、500ピースのパズルには500人の社員が必要で、1ピース欠けてもビジョンは完成しません。そのピースはそれぞれ絵も形も違うはずで、必要な役割なのです。だからビジョンを実現するために、自分がどういう役割を担っているかということを自覚してもらえれば、強制したりニンジンをぶら下げる必要はなくなります。そして、できる気持ちにさせるには、「どうやるか」ではなく「なぜやるか」ということを理解してもらうことです。つまり、Howではなく、Whyを教える。だからあなたが必要なんだということを、きちんと教えてあげることですね。
 

「ハッピーエンド」が仕事の源泉

奥田 問題意識なしにそうしたマネジメントはできないと思いますが、そのゴールはどこにあるのですか。

杉山 私の場合、ゴールはなく、人や仕事に対する関心が原動力になっていると思います。仕事は「そうぞう」力だと思いますし、「そうぞう」することが好きなんですね。

奥田 それは、想像と創造、どちらの「そうぞう」ですか。

杉山 両方です。想像することによって創造するということですね。

奥田 何をもって「そうぞう」するのでしょうか。それはゴールではないかもしれませんが、その人の思いのなかに源泉のようなものがあって「そうぞう」し、表現されるのではないのでしょうか。

杉山 おそらく、根底にあるものは「ハッピーエンド」だと思います。いま、奥田さんとお話ししていて初めて気づきましたが、すべての仕事の源泉はそこにあるのではないかと思います。

奥田 ところで、その後、本社の販売部門の要職に就いたにもかかわらず、25年間勤務したリコージャパンを退職されたのはなぜですか。

杉山 佐藤邦彦社長をはじめとして、皆さん引きとめてくださいましたし、ここまできて辞めるのはもったいないと言われました。ただ、会社には内緒にしていましたが、2006年にある出版社の文学賞を受賞し、今回『至高の営業』を著すまでに、実はペンネームで9冊上梓していたんです。ですから、そろそろ書く仕事を本業にしたいと。

奥田 9冊というのはすごいですね。ここで文学への気持ちが、本格的に再燃したというわけですか。

杉山 そうです。書きたかったテーマはたくさんあるので、いまはミステリーを書き始めていますし、戦争をテーマにしたノンフィクションの取材も始めていて、その作品を来年の戦後70年に合わせて出したいと考えています。

奥田 そういう本がベストセラーになって映画化されたりすると、そのうち私がお会いするのもかなわなくなりますね。

杉山 何をおっしゃいますか(笑)。ただ今後は、ビジネスものであっても、たとえば『島耕作』のようにドラマチックに書いてみたいという思いはあります。ビジネスノウハウばかり書いていたら、退職して作家になった意味がなくなってしまいますから。でも、25年間いたITビジネスの世界には愛着があるので、気持ちとしても簡単には離れられないでしょうね。

奥田 次の作品を楽しみにしています。

こぼれ話

 「村井満」という人をご存じですか。サッカーファンにとっては、降って湧いたように、割り込んできた名前ではないでしょうか。そうです。Jリーグのチェアマンです。私は2012年4月19日にこの連載でお会いし、当時はリクルートエージェントの社長、同年9月にリクルートのアジア事業の社長、今年1月にメールをいただいて、2月には、突然、Jリーグチェアマンという見事な変身ぶりだ。おやおや……。

 杉山さんにお会いして話し始めたら、初対面の気がしない。どこかでお会いしている。それもかなり詰めて話をしている。このページのゲラを読んで、腑に落ちた。お二人は容姿が似ているのだ。根アカで話にそつがない。ひょうひょうとしているところもあるが、すべてに辻褄が合っている。話が進むうちに目の前に絵が広がってくる。顔立ちも、転身の鮮やかさも似ている。次の驚きが楽しみだ。