周辺機器の総合卸商社であるエム・エス・シーの社長を務め、リサイクルインクの『エコリカ』を、純正品を含めた業界シェア3位にまで成長させた宗廣宗三さん。ビジネスの足跡をつぶさにうかがうと、戦いの連続だったことがわかる。経営者は戦い続けるものであることは自明のことだが、宗廣さんの場合は、「商売」が根っから好きなことに加え、反骨精神がビジネスを展開させていくうえでのエネルギーになっている気がしてならない。熱く濃厚な対談取材となった。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.2.22/大阪市中央区のエム・エス・シー本社にて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第183回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

学生時代はマクドナルドのスーパーアルバイター

奥田 まず、宗廣さんが独立起業するまでの話を聞かせてくれますか。

宗廣 京都工芸繊維大学工業短期大学部の電気工学科を1982年に卒業したのですが、マクドナルドでアルバイトをやりすぎて、大学には5年間通いました。卒業論文は、マイクロコンピュータを使った教育システムの開発で、当時からコンピュータに興味がありましたね。

奥田 マクドナルドでのアルバイトのやり過ぎで留年されたんですか。

宗廣 大学ではなく、マクドナルドに通っていたようなものです。実は、店長の業務を全部一人でできる「A級スイングマネージャー」の試験に受かって、日本一時給の高いマクドナルドのバイトだったんです。バイトなのに、海外研修に行ったこともあるんですよ。

奥田 それはすごいですね。

宗廣 それで4回生のとき、マクドナルドに就職しようと思って面接に出かけると、面接担当者が「宗廣さん、お久しぶりです」と。私は京都の河原町今出川の店で働いていたのですが、そこは本部が指定した教育訓練をする店になっていて、新卒社員はそこで肉の焼き方や接客のやり方などを学びます。私はベテランのアルバイターですから、当然、彼らに仕事を教えます。つまり、その面接担当者たちはみんな教え子だったわけです(笑)。

奥田 それで面接試験の結果は?

宗廣 もちろん合格です。

奥田 それなら、なぜ入社しなかったのですか。

宗廣 バイトが忙しすぎて出席日数が足りなかったんです。

奥田 バイトとして優秀だったがゆえに社員になり損ねたと。

宗廣 マクドナルドでは、採用もスケジューリングもこなしましたから、マネジメントを徹底して鍛えられました。ただ、当時の店長が「宗廣君、せっかく国立大学の電気工学科まで行ってコンピュータを学んでいるのだから、そういう関係に進んだほうが君のためじゃないか」とアドバイスしてくれたんです。

奥田 いまに至る道を指し示してくれたのかもしれませんね。

宗廣 もう一つ、マクドナルドから離れるきっかけがありました。店のそばには多くの大学や専門学校があるのですが、試験期間になるとアルバイトの確保が難しくなります。でも、試験期間中は学生客で大変なラッシュになります。そんなときに、あるスーパーバイザが私のいる店の評価にきたんです。

奥田 人手が足りず、お客さんが押し寄せるタイミングでですか。

宗廣 そうです。スーパーバイザはビッグマックを注文したのですが、ラッシュ時の混乱を避けるため、私は「ホールディングタイム」を1分過ぎてしまった商品をあえて出しました。つくって10分経ったハンバーガーは捨てなければいけないのですが、11分経ったものを出したわけです。

奥田 社員だからいいだろうと。

宗廣 いいえ、皮肉をこめてあえて出しました。つくって11分経ったとはいえ、実際には温かいですしおいしい。でも、そのスーパーバイザはそれを、他のお客さんの前で「冷たいじゃないか」と、私に投げつけました。

 ラッシュが終わって呼び出され「どうしてあんなものを出すんだ」というから「私がスーパーバイザの立場だったら、すぐに帽子をかぶって店の仕事を手伝います。そして、ラッシュが終わってからきちんと評価します。あなたの優先順位が間違っている」と言ったんです。そうこうしているうちに、かつて世話になった統括スーパーバイザが飛んできて、状況を説明したら、「おまえが正しい。でも、悪いけど謝ってくれ。アルバイトと社員では立場が違う」と。それで、その日限りで辞めました。

奥田 カッコいいですねえ。

宗廣 辞めてよかったんです。それでようやく学校を卒業できて、コンピュータの世界に進むことができたのですから。

入社早々、新規事業を軌道に乗せて大忙し

奥田 それで、最初はどこに就職されたのですか。

宗廣 大阪の日本橋にあった近畿システムサービスというシャープの系列会社です。もともとはATMなどの修理やメンテナンスを請け負う会社だったのですが、私が入社する頃に新規事業としてパソコンソフトの卸しを始めました。

奥田 どうして、近畿システムサービスに決められたのですか。

宗廣 大学でたまたま求人票をみて、応募したんです。当時、実は他の大手SIerを受けていました。その会社と試験日が同じで、午前中に近畿システムに行って、午後からもう一社を受けに行こうと思っていました。ところが、近畿システムに専門職で応募したのは私ぐらいで、いきなり「おごってあげるから、昼飯食べに行こう」と。それで「明日からアルバイトしないか」といわれたんですね。「鶏口牛後」ではありませんが、こういう小さな会社で新規事業を立ち上げるのもおもしろいと思って入社したんです。

奥田 実際に入社してみて、どうでしたか。

宗廣 研修を1週間受けた後、すぐにパソコンソフト卸しの仕事に携わりました。私は、人間関係をつくったり、他人と会話をすることがとても得意なので、軒並み受注が取れました。

奥田 どんなところに営業に行ったのですか。

宗廣 上新電機、ニノミヤ、マツヤデンキ、中川ムセン、星電社、エイコーチェーン、第一家庭電器などの家電量販店ですね。私が入社したときの月商はたしか50万円ぐらいでしたが、それを10か月ほどで1億8000万円にしたんです。

奥田 へぇ~、それはすごい。

宗廣 でも、そうなると家に帰っているひまがありません。忙しくて、会社に泊まり込むしかないんです。もちろん、日曜日も休めません。

 当時は、新しいマイコンショップが次々にオープンして、モノが飛ぶように売れた時代でした。例えば、ニノミヤの方からは「宗廣君の推薦する商品だったら、好きなだけ入れていい。ただ、来週は5店舗オープンするから、そこにもきてくれ」といわれました。客先から帰って、発注書や伝票を切って、それも全部手書きでしたから、本当に大変でしたね。(つづく)
 
市場の進化を感じ取り次代のビジネスモデルを模索し続ける――第183回(下)
エム・エス・シー 代表取締役社長 宗廣 宗三

 

宗廣さんおすすめのビジネス書

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 マーケティングの基礎を学ぶためにうってつけと紹介してくれた本が、『ドリルを売るには穴を売れ』(佐藤義典著・青春出版社)。2006年発行のロングセラーだ。エム・エス・シーに入社した営業マンには、必ずこの本の読書感想文を提出させるそうだ。