外資系IT企業から一転、HISグループという異業種の国内企業に活動の場を移した背景には、HISとハウステンボスで代表取 締役社長を務める澤田秀雄さんからの熱烈なラブコールがあった。ハウステンボスの「経営顧問」から「技術顧問」へ。そして、hapi-roboの社長へ。少年時代にいく度もページをめくっていた米国の通信販売カタログにみた“夢”は今、世界に広がっている。(本紙主幹・奥田喜久男 構成・大蔵大輔 写真・長谷川博一)

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2017.3.15/hapi-robo st本社ビルにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第185回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

父と慕う野田一夫さん、
盟友・澤田秀雄さんとの出会い

奥田 HISグループとの出会いを教えてくれますか。

富田 現在のHISグループの代表取締役社長である澤田秀雄さんと出会ったのは、ピクチャーテルジャパンで社長を務めていた時代に遡ります。野田一夫さんに紹介されました。

奥田 野田一夫さんは、孫正義さん、南部靖之さん、そして澤田秀雄さんと錚々たる経営者を育ててこられた方ですよね。野田さんとの出会
いは?

富田 今も続いていると思うんですが、鶴蒔靖夫さんという方がラジオで経営者のインタビューをしていて、そのオファーを受けました。たしか奥田さんが『週刊BCN』に書いた記事がきっかけだったと思いますよ。取材後に鶴蒔さんが「今度、おもしろい人とゴルフをするんだ」と。それが野田さんでした。

奥田 野田さんとはどんなところでウマがあったんですか。

富田 私の父親は立教大学出身でマックス・ウェーバーの研究者でした。野田さんも立教大学に観光学科を創設するなど関わりが強かった。それで親父のような存在だなと思うようになりました。後は、声が大きくて、しゃべるのが好きで、論理的で……、父親と共通する部分が多かったのもウマが合った理由かもしれません。

奥田 父性を感じたんですね。話を澤田さんに戻しますが、出会った当初から親交は続いていたんですか。

富田 そのとき以来ほとんどありません。3年前に野田さんから日本総研の理事になってほしいという依頼を受け、その直後に「澤田君と仲間たちがオランダ村の再開発事業の公募へ参加したらしいんだけど、そこのヘッドがいなくて困っている」と話を持ちかけられました。当時、ハウステンボスは知っていましたが、オランダ村のことはまったく知りません。ひとまず現地に行くことにしました。というのも、ドローンで空撮ができると思ったので(笑)。

奥田 3年前といえば、まだドローンはそこまで身近な存在ではありませんでした。ずいぶん早くから手をつけていたんですね。でもどうしてそこでドローンなんですか。

富田 オランダ村に関する資料はもらっていたのですが、あまり目を通す気になれなかったんです。ドローンで空撮すれば園内外の全景が把握できるので、資料の必要もありません。撮影の帰りにそのままハウステンボスにいる澤田さんに会いに行って、撮影した動画を見せると「これ凄いから、ハウステンボスのテレビCM用にドローンで撮影してくれないか」というんです。引き受けましたが「花火の中に入って撮ってくれ」と頼まれて……今までそんな撮影したことありませんが、挑戦しました。

瞬時に浮かぶ素敵のイメージ
原風景は通販販売のカタログ

奥田 ハウステンボスの技術顧問にはいつ就任されたんですか。

富田 撮影のために3か月間、ハウステンボスに通っていて、あるとき、澤田さんからハウステンボスの経営顧問になってくれないかと打診されました。14年10月頃だったと思います。経営顧問として出席した会議はいきなり「変なホテル」に関するもので、澤田さんの隣に座っていたのですが、あまりに文句をつけたいことが多すぎて、全部につっこんじゃったんですよ。「技術的にもっといいものができるだろ」と。すると、翌日会ったときには澤田さんに「技術顧問」と呼ばれていました。

奥田 「経営顧問」からいつの間に「技術顧問」に(笑)そのとき、「変なホテル」の進捗状況はどうだったんですか?

富田 その会議が進捗報告の2回目で、オープンの9か月前というタイミングでした。正直、このままの技術レベルで進むとかなりまずいと思いました。私のイメージからすると50%にも満たない完成度でしたから。

奥田 どうして瞬時に理想とする完成像のイメージが湧くんでしょうか。

富田 まずは経験値です。後は、世界中を見回してこんな技術があるという知識。この組み合わせです。そして、一番大事にしているのが「自分がほしいかどうか」というインスピレーションですね。

奥田 “素敵”のイメージが自然に湧き出てくるんですね。現在までつながる原風景はありますか。

富田 原風景ですか。――あまり意識したことはなかったのですが、二子玉川の自宅に置いてあったフルカラーのSEARS(米国の通信販売)のカタログ。あれが原風景といえるかもしれません。近所の文房具屋にはない商品が何から何まで揃っていたんです。それを穴が空くほど眺めていましたね。米国に対する憧れが根幹にあったんだと思います。

奥田 そこに“夢”をみたわけですね。今でいうと「22世紀のアマゾン」みたいなものでしょうか。

富田 その通りです。当時の日本にはなかった未知の世界が溢れていました。テクノロジーのレベルがまったく違うので、差分は簡単にみつかります。その差分がだんだん埋まってくると、今度は世の中にはもっと凄いものがあるはずだと自分から差分を探すようになりました。これは今にも通じる姿勢ですね。

奥田 この先、10年で何をしたいと思っておられますか。

富田 三つあります。まず、教育が好きなので、私が主催している「富田考力塾」を人生の軸にしていきたいです。次に「日本対世界」ではなく「世界の中の日本」という位置づけでビジネスに取り組みたいと考えています。ハウステンボスはそれを実践するためには最高の環境ですから。最後にhapi-roboです。人を幸せにするロボットをつくること。これは「人を楽にする」という意味ではありません。「人の能力を引き出す」ロボットこそ目指すべき姿です。繰り返し口にすることで、自分を追いこんでいます。だから逃げられないんです。
 

花火を“中”から撮影する神業で
澤田社長を魅了したドローン

 “ラジコンの神様”を自称する。その神懸かりな操縦テクニックはハウステンボスの社長澤田秀雄さんを魅了し、入社のきっかけにもなった。花火を中から撮影する前代未聞の撮影はハウステンボスのPR動画に採用された。
 
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こぼれ話

 人には喋りグセがある。取材中に米国の本社から緊急電話が入った。富田さんがテレビ会議システムを販売するピクチャーテルの日本法人社長の時だ。英語を話している。少し顎を反らしながら、プンプン喋る感じだ。「アブソルートリー」を幾度も言い切りながら持論を押し通している。米国人とのやり取りの典型を目の当たりにした気がして、富田さんの力量の一端を感じた。
 
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 英語が巧みで、外資系企業を転々とする人がいる。転職の挨拶状をみると、ところてん式にグルグル人材が回転している。ところが今回の富田さんのケースは予想外であった。HIS関連会社の記者会見に出席した記者が、「ヨロシクって言っておられましたよ」と富田さんの名刺を手渡す。おやっ、外資系企業ではないんだ。澤田さんが引き継いだハウステンボス関係の企業だ。へぇ~、何があったのだろう。

 とにかく会ってみよう。質問したいことが山ほどある。澤田さんとの出会い、澤田さんの期待、富田さんの仕事内容などである。富田さんにはこの1年で4回会った。不思議なことに会うたびに名刺が変わり、この対談の時には、HIS取締役の肩書きの真新しい名刺を入れて3種類いただいた。並べてみると、次世代に向けて半歩先に手を打って事業を展開している澤田経営の意思が浮かび上がってくる。富田さんが少年期から好奇心のままに蓄積した能力が、70才を目前に社会から必要とされているのだ。すばらしい人たちだと思った。