ヴァル研究所(ヴァル研)は今年で創業41周年。「駅すぱあと」で有名な業界の老舗企業だ。そのヴァル研が「社内見学ツアー」を積極的に受け入れているという。同社の働き方の取り組みについて、IT企業を含む他社に紹介しているのである。機密情報が漏れるのではないかと少し心配になるが、それが社員のモチベーションにつながり改善意欲を高めると太田信夫社長は説明する。ちなみに、この1年半ほどで124社400人以上が同社を訪問。太田さんの目指す明るい会社への変革が、ここでも着々と進んでいるようだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.6.8/東京・杉並区のヴァル研究所本社にて

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心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第189回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

これは間違いなく
イノベーションが起こる!

奥田 ヴァル研究所のVALは、何を意味しているのですか。

太田 Very Advanced Languageの略で、創業者である故島村隆雄社長によるネーミングです。「世の中に、より進化したコンピュータ言語を研究・開発・提供していきましょう」という意味が込められています。

奥田 なるほど。かつては、アプリ開発のためのソフトウェアを出されていましたからね。

太田 データ処理ソフトの「ぱぴるす」やリレーショナル・データベースの「ファラオ」「ナイル」というパッケージがありました。

奥田 1976年創業ですから、昨年で40周年。この業界では老舗の部類だと思いますが、太田さんの入社は?

太田 87年入社ですから、創業11年目ですね。

奥田 当時はどんな雰囲気でしたか。

太田 社員は60人くらいいたのですが、エンジニアが圧倒的に多く、シャイなのか、あまり挨拶も返してくれないようなところがありましたが(笑)、島村さんは本当に社員から慕われていました。業界でも会社のなかでもお父さん的な存在で、何があっても相談すれば、なんとかしてくれるだろうという信頼感がありました。会社の雰囲気はアットホームで、みんなで社員旅行に出かけたり、終業後には、よく先輩社員から麻雀に誘われたりもしましたね。

奥田 太田さんが入社したきっかけはなんだったんですか。

太田 私は中途採用でヴァル研究所に入ったのですが、前年に新卒で入社した水産食品加工会社の事務所にIBM5550が導入されたことが、転職の大きなきっかけになりました。

奥田 86年というと、まだパソコンが普及しはじめたばかりの頃ですね。

太田 注文取りをする際には、電話でやりとりしながら伝票にその内容を書き込んでいました。ところがパソコンを使えば、商品を選び、テンキーで数量を入力するだけで勝手に計算してしまいます。驚きましたね。これは間違いなくイノベーションが起こる、魚を売っている場合じゃないと思ったんです。

奥田 すごい直感ですね。

太田 でも、それまでワープロにすら触ったことがなく、コンピュータの知識も皆無でした。

奥田 それで、なぜヴァル研を選んだのですか。

太田 そもそも、この業界にどんな会社があるか知らないような状態で、いまでいうIT業界に入れればどこでもいいと思っていました。そんな折、留年していた同級生がヴァル研の内定をもらったことを知り、その縁で面接の機会をいただくことができたんです。

奥田 とても志が感じられる転職ですね。

太田 いえ、何も考えていなかったのかもしれません。それに、面接官全員が私の採用に反対だったそうです。でも島村さんだけが「ちょっと面白そうな子だから採用しようか」と拾ってくださって、それで現在の自分があるんです。

まったく売れなかった「駅すぱあと」

奥田 その拾われた新人が、いまは社長と。最初からトップをめざそうと狙っていたのですか。

太田 まさか、全然狙っていません。夢もありましたが、まったくの異業種なので本当にこの業界でやっていけるのだろうかという不安のほうが大きかったですね。新卒で入った会社は1年で転職してしまったので、まずは3年間勤め上げようと考えました。そうしないと履歴書の行ばかり増えちゃいますから(笑)。

奥田 たしかに、コンピュータの知識がまったくゼロでは不安でしょうね。最初はどんな仕事をされたのですか。

太田 私は営業職で採用されたのですが、商品知識も業界知識もないままではしかたがないので、最初はファラオのコールセンターに配属されました。コールセンターでの仕事は、お客様からの質問に答えること。何も知識がないのですから、それこそ地獄です。上司に聞いても教えてくれません。自分で調べて回答しろと。もちろん、それは私のためにあえて教えなかったわけですが、自分としてはもう必死でしたね。

奥田 そのコールセンターにはどのくらい?

太田 数か月だけです。商品知識全体を頭に入れたところで営業に配属されました。

奥田 もう知識は身についただろうと……。

太田 ところがそこで気づいたことは、コンピュータの知識だけでなく、さまざまな業務知識、例えば販売管理、顧客管理、給与計算といった業務の流れを理解していないと、この業界では食べていけないということでした。開発ツールであるファラオを扱っている以上、その会社にはどんな課題があり、何を改善したいのかがわからないと提案のしようがないからです。

奥田 ところで、どんな営業のやり方だったのですか。

太田 エンドユーザーに直接提案する形です。例えば、当時晴海埠頭で開催されていたビジネスショウにブースを出し、興味をもっていただいたお客様のところには改めて出向いて、対面で説明するという形でした。インターネットもホームページもない時代なので、とにかく直接説明するしかありません。

 そこで商談がまとまれば、業務内容を詳しくうかがい、その場でアプリケーションをつくり、そのまま納品してしまうようなこともしていました。

奥田 その後、現在の事業の中心となる「駅すぱあと」が登場するわけですね。

太田 88年にリリースしました。

奥田 その後、社業に変化はありましたか。

太田 ありました、ありました。とても大きな変化がありました。現在では「駅すぱあと」事業が本業ですから……。でも当初は売れなくて苦労しました。もともと、ものづくりに熱心な開発者が仕事ではなく趣味でつくったようなプロダクトだったため、どんな課題を解決するかを明確に打ち出すことができないうちに、世の中に出してしまったわけです。

奥田 こんなに便利なソフトが?

太田 いまでは当たり前になっていますが、当時、営業をやっていた私はどう売っていいかわかりませんでした。これは誰が使うのだろうと。店頭ではゲームコーナーや「その他」のコーナーに置かれることも多く、それでは売れるはずがありません。駅すぱあとは2万7000円で、ファラオやナイルは15万円。会社にとっても、利益率の高いファラオやナイルがメインで、駅すぱあとはおまけみたいなものでした。本当に全然売れなかったです。お客様からも「なにこれ?」みたいな反応でした。(つづく)
 

こだわりの鉄道ジオラマ

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 横90センチメートルのガラスケースに収められた鉄道ジオラマ。「地方ローカル線の非電化区間」をイメージしてつくったという、まさにこだわりの作品だ。ヴァル研究所の「鉄ちゃん」の血がここにも流れている?
 

「4番ファースト太田」

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 太田社長の最も長く続いている趣味は、小学生のときに始めた野球。かつてはピッチャーだったが、最近は打つほうにシフトしているとのこと。草野球とはいえ、50代でいまだ4番を張っているというのはすごい!