1984年、ヴァル研究所が開発した「ぱぴるす」がリリースされたあとに、このソフトでアプリを開発する人々が集まる「ぱぴろじすと」という勉強会組織が発足した。その後、Windowsの登場により「ファラオ」、そして「ナイル」と続くがビジネスは終息する。ところが、勉強会の活動は四半世紀の時を経て今日までフォーマルな「のみ会」として続いている。ヴァル研からも太田社長が参加するようになり、あらためて創業の息吹にふれる形となった。こうした関係性が残っていることは稀だが、それを聞いて何だか嬉しくなった。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.6.8/東京・杉並区のヴァル研究所本社にて

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心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第189回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

ビジネスモデルを変革した
「駅すぱあと」

奥田 「駅すぱあと」が、最初は鳴かず飛ばずだったというのは意外でした。その後は、どのように変わっていったのですか。

太田 一つのきっかけになったのは、駅すぱあとがNECのパソコン(PC9801)にバンドルされ、プリインストールされたことでした。私の営業の師匠である山田靖二さん(のちのヴァル研究所 二代目社長)がNECとバンドルの話をまとめてきたことが、世の中の人に広く駅すぱあとを知ってもらうことにつながりました。当時、NECのパソコンは非常に多くの台数が出荷されていましたが、そこにうまく便乗できたことは大きな転換点になったと思いますね。

奥田 どうやって売っていいかわからなかったアプリソフトが、ようやく日の目を見たわけですね。

太田 駅すぱあとは鉄道の経路を検索する単純なソフトですから、みなさん手軽に使っていただけます。いまでは当たり前のことですが、そこではじめて「旅行や交通費精算に使えるじゃないか」と気づくわけです。お客様からいろいろなヒントをもらって、どう売っていけばいいかがやっと理解できるようになったのです。

奥田 気づきのなかからビジネス展開の方向性がみえてきたのですね。

太田 駅すぱあとが売れるようになると、会社は変化を余儀なくされるようになります。それは、お客様が新しい情報を求めるからです。

奥田 それはどういうことですか。

太田 例えば運賃改定があれば、新たな情報を提供する必要があります。そのため、社内にメンテナンス部隊ができました。エリアも最初は首都圏だけでしたが最終的には全国までカバーするようになり、運賃情報のほかにダイヤ情報なども提供するようになると、どんどん作業量が増えていきます。駅すぱあとの価値が認められ、多くのお客様に利用していただけるようになったことは喜ばしいのですが、痛しかゆしという側面もあったのです。

奥田 といいますと?

太田 駅すぱあとのサポート業務に社内リソースの多くを投入せざるを得なくなり、新たなチャレンジに取り組みにくい雰囲気になってしまいました。これは反省すべき点です。その反面、サポートの部分がビジネスとして確立したことは、当社にとって大きな変化だと思います。

 いまではウイルスソフトなどで普通に行われているビジネスモデルですが、この業界で最初に年間サポート契約の形をとったのは、この駅すぱあとなんです。

奥田 それはすごい!

太田 年間サポート契約は、ストックビジネスです。毎月、安定的に売り上げが確定することで、経営基盤が安定します。その基盤の上にどういうビジネスを乗せていくかという事業計画の立て方はいまだに変わっていないですね。

奥田 年間サポートをやろうというのは、たいへんな先見の明ですね。

太田 島村さんや山田さんたちの力ですね。

みんなから慕われ、
信頼される会社でありたい

奥田 駅すぱあとがようやくブレイクする一方、「ファラオ」や「ナイル」のビジネスはどのように展開されたのですか。

太田 駅すぱあとの事業が伸びてくると、そこにリソースを集中しようということで、ファラオやナイルからは撤退することになりました。95年頃のことですが、島村さん自身の思いが詰まったプロダクトを終わりにするという決断は、客観的な経営判断であるにしても、おそらくつらかったのではないかと思います。

奥田 当時はどんな心境で、それを受け止められましたか。

太田 とても残念でした。でも、その考えには共感しましたね。思い入れのある事業をやめられる島村さんは、やはり経営者なんだなと。

奥田 太田さんは一昨年の9月、社長に就任されましたが、何か思うところはありましたか。

太田 就任にあたっては、実はとても悩みました。私は営業一筋で、経営を学んだこともありません。そんな重責が自分に担えるのかと。でも、創業メンバーが全員退任しているいま、もし私が断ったら、ヴァル研究所の歴史も切れてしまうような気がしたんです。そこで自分が、創業者の思いを語り継ぎ、新たなチャレンジにも取り組むべきだろうと決断しました。

奥田 いま、社長としての思いを一言で表現するとどんな言葉になりますか。

太田 「会社を変えたい」ということですね。島村社長の時代、業界のなかでヴァルは輝いていました。「何かあったらヴァルに相談しよう」と思われる存在でした。一言でいえば、そうなりたいんです。それは島村さん個人にこだわるということではなく、かつてのようにみんなから慕われ、もっと信頼される会社になりたいということです。

奥田 島村イズムを大切にしつつも、太田社長らしさを出して変革していくということですね。

太田 まだまだ迷うことは多いですが、いままでやっていないことにチャレンジすることを基本にしています。例えば、社長就任を機に、外に出向いて当社をPRしたり、開発部長と協力して他社の方々に私たちの働き方の取り組みをごらんいただく「社内見学ツアー」などを頻繁に開いたり、五十の手習いでゴルフを始めたりしました。その目的は、ネットワークづくりです。

奥田 なるほど。ヴァルには少し内向的なイメージがありましたものね。

太田 そうしたネットワークが、ビジネスにつながると確信していますし、それは今後も継続していくべきことだと思っています。

 もう一つの狙いは、そうしたネットワークを通じたやりとりから、ヴァル研究所の評価を社員にフィードバックすることです。こういう会社の人と会って、うちの会社をこう評価していたよということを、こまめに朝礼や社内のSNSなどでアウトプットしています。

奥田 社員のモチベーションアップですね。

太田 特にメンテナンスやサポート業務の部署に直接入る情報は、圧倒的にクレームが多いのです。例えば、「駅すぱあと」の運賃計算にミスが発生するとお叱りを受けるのは当たり前ですから、社内はどうしても萎縮しがち。でも、自分たちがやっていることは、こんなにも世の中に貢献しているんだという情報を伝えることで、社員に自信と自覚を持って欲しいと考えています。もっと会社を熱狂的に盛り上げていくことも、社長の大事な仕事だと思っています。
 

料理づくりもお手のもの

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 とても美味しそうなメニューは「フライパンでつくるマヨネーズと粉チーズのエビフライ」と「豚挽き肉とマッシュルームのパテ」。「父の日につくったんですよ」とぼやき気味に説明する太田さんだが、それもまた楽しそうだ。
 

こぼれ話

 「みんなから慕われ、信頼される会社でありたい」――この台詞を太田さんは社長就任以来なんど話したであろうか。いや一日のなかで幾度声に出したか。会うたびに聞く。なぜ念仏化したのだろうか。そのつど真剣に語るものだから熱気に圧倒されてしまう。どうしてそれほどに……。「創業当時の社風が忘れられないのです」。創業者は島村隆雄さん。「社内で慕われ、業界からは一目置かれた方で、業界のお父さんでした」。
 
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  私も島村さんが亡くなるまで、80年代のパソコン産業の黎明期にあってもっとも多く語り合い寄り添った人だ。取材で会うというより、だるまストーブでスルメを焼き、諏訪の銘酒「真澄」を飲みながら語った。島村さんはパイオニアのEDP室にいて、「コンピュータはもっと使いやすくしなければならないし、できるはずだ」という夢を志しとして、1976年に起業。パソコンと出会って83年に8ビットPC用データ処理ソフト「ぱぴるす」を世に出した。その後「ファラオ」「ナイル」へと成長し、このソフトを自分で使って会社の業務処理を立ち上げた人たちがいる。街の電気屋、パン屋など個人経営の普通の社長たちだ。

 その人たちは全国に分布し情報交換で集い始め「ぱぴろじすと」という会を90年に結成した。しかし、ヴァル研究所は88年に発売した「駅すぱあと」事業に専念するため、業務ソフトのサポートを断念する。その経営判断をした後に島村さんは55才で他界。ところがこのソフトは企業で今も働き続け、この会はいまも継続している。不思議な現象だ。

 あゝ、もう紙幅がない。島村さんとは『千人回峰』で真っ先に語りたかった。でも、太田さんのなかで島村さんと出会えた。

 「ヴァル研究所 見学」とググってみてください。太田・ヴァル研究所は生まれ変わりました。