女性経営者ならではの感性なのか宮川さん個人の資質なのかはわからないが、お話をうかがっていると、若い従業員に対するスタンスが経営者というよりは教師や母親に近いように感じる。「親御さんからお子さんをお預かりして……」とか「うちの若い子たちは……」という言葉の端々から、優しさと厳しさが垣間見られるのだ。その一方、役員や管理職に対しては、「部下の顔色をみて、その様子を判断する力を養いなさい」と、要求レベルはなかなか高い。おそらく、それが家族的経営の根幹なのだろう。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.6.14/東京・千代田区のBCNにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第190回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

人材をいかに確保して、
社業を拡大するか

奥田 ところで、宮川さんが学ばれた学校はどちらですか。

宮川 石川県立工業高校です。

奥田 ということは、コンピュータはそれほど遠くない存在ですね。

宮川 私はデザイン科出身なので、むしろ、システムのパンフレットづくりなどの仕事にそのスキルが生かされました。絵を描くことや販促ツールの企画をすることで、とても毎日が楽しかったですね。まだ、お金のない時代でしたけれど。

奥田 なるほど、デザインのセンスを自社製品のマーケティングに生かされた。

宮川 それから母校では、人材も探しました。文化祭に出かけて、売り子をしていた生徒に何年生かと聞いたら3年生だというので、就職が決まったかどうかたずねました。これから大手電機メーカーを受けるというので、「頑張って」と。それで「もし落ちたら、うちにおいで」と名刺を渡しておいたら、本当に来たんです。当時は、そういう形でしか新人は採用できませんでしたね。

奥田 その人が新卒入社第一号ですか。

宮川 同時に、もう1人新卒の女性を採用し、中途採用の男性も1人採用しています。その新卒の女性と中途の男性が職場結婚して、いまでも当社で働いています。実はその息子さんも在籍しているんです。

奥田 それはすごいですね。息子さんまで入社するとは。

宮川 当社には「良太くん」というCADソフトの商品があるのですが、そのネーミングは生まれたその子の名前にちなんでいます。

奥田 いま、シーピーユーの従業員は何人ですか。

宮川 パートさんを含めて150人です。保険証番号の20番くらいまでの人は、7割くらい残っていると思います。ここのところ、毎年1人ずつ、商工会議所の勤続30年表彰を受けています。

奥田 保険証番号の20番くらいまでということは、まさに会社の草創期に入社された方ということですよね。宮川さんにインタビューするのもいいけど、従業員の方々に取材したいですね。どこが居心地いいのかと(笑)。

宮川 このあいだも県の教育委員会の会合に出ましたら、高卒者の1年離職率がとても高いと聞きました。でも、うちの場合は大学卒も含めて社員がよく定着してくれて、新卒者が入社から1年以内に離職した実績はここ9年来1人もおりません。

奥田 それは、宮川さんに人をみる目があるからですね。

宮川 そうかもしれませんが、辞めたいといってきた人が会社にとって大事だと思ったら、すぐに飛んでいって、上司と本人からそれぞれヒアリングして、原因を突きとめます。そうして引き止めた人も、何人かいるんです。

奥田 それはいつ頃から意識して、実行されているのですか。

宮川 それは最初からですね。保険の仕事をしている頃から、人材とお金は同じように大事なものだと教えられてきたので、人をいかにして増やして、そして事業規模を拡大していくかということはいつも念頭にありました。

採用した社員は
家族だと思う

奥田 いま、宮川さんの理想とする経営の何合目くらいまで来たと思われますか。

宮川 四合目まで行っていないかも、というところですね。

奥田 それは厳しすぎるのではありませんか。

宮川 私はいつも「これからや」と思っています。ほんの2年前まで「まだシーピーユーは土台づくりですよ」といい続けていましたから。

奥田 創立30周年を過ぎているのに(笑)。でも、創業者は常に心配するものですよね。

宮川 いったんは上場の方針を掲げたのですが、そのとき私が考えたのは、上場することではなく「会社づくり」が目的だったのです。上場を目指せば、きちんとした本当の会社組織をつくれると。

奥田 宮川さんのいう本当の会社に必要な要素として、どんなことが挙げられますか。

宮川 まず、会社全体の経営状況をきちんと分析でき、しっかりとした計画を立てられる人が必要ですね。それから、とくに管理職の人たちには、人をみる目をもっと学んでほしいということがあります。人をみるといっても、それは採用時だけのことではなく、いま働いている部下の面倒をみるためにも必要なことです。上から目線ではなく、相手の気持ちになって考えるということですね。

奥田 経営のプロのスキルと人的マネジメント力ですね。

宮川 もう一つ付け加えれば、現状は人を育てるという点で、まだまだだと思います。隣りの部署ではどんなことをしているのか、会社全体の状況はどうなっているのか、世の中はどう動いているのか、といった基本的なことを知らない社員が少なくないのです。ですから、2年前から全社員を集めた全体集会で、私の口から直接そうしたことについてお話をするようにしています。だから、やっぱり土台づくりなんです。

奥田 一連のお話をうかがっていると、やはり宮川さんは人を大事にしていらっしゃる。だから、離職率も低くベテランも数多く残っているのだと思いますが、その秘訣はなんでしょうか。

宮川 私は、採用したらみんな家族だと思いなさいといっています。だから面接での印象が大事です。いまは、一次面接を50代の経営幹部にお願いしているのですが、その方には娘さんがいるんです。だから、お嬢さんのお婿さんにしたいと思うような人を選んで、こいつは絶対に嫌だと思う人は、私のところに連れてこないでといっているんです(笑)。

奥田 それはとてもわかりやすい!

宮川 7年前に採用した社員をリーダーにして、若い社員のグループをつくりました。当社がスポンサーをしているサッカーJ2のツエーゲン金沢のホームゲームにブースを出して焼きそばを販売したり、新入社員歓迎のバーベキュー大会を開いたりしています。あと、本社では屋上菜園をやっているのですが、新入社員が朝晩水まきをするんです。けっこう楽しんでやってくれているようで、そうしたことも離職率を下げる要因になっているのかもしれません。
 

こぼれ話

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 お会いしてかれこれ30年になる。金沢はものづくりのメッカのような土地柄で、和菓子や焼物、漆器、金細工、以前この欄に登場いただいた茶釜師など、江戸時代から脈々とものづくりの遺伝子が住み着いているような街だ。そんな環境にある金沢の工業高校を卒業し、自立を基本姿勢にして社会人として歩むなかで、パソコンに出会う。その時「これだ」と感じ、1982年にCPUを創業、現在に至っている。

 パソコン黎明期の80年代に創業した経営者には、同様の直感を語る方が多い。もちろん直感した人はもっと多かったに違いない。しかし、起業した人は限られ、かつ創業35年を経過し40周年を隆々と目指す企業となるとさらに限られる。本社金沢、資本金2億6300万円、従業員141人、12拠点。企業理念を紹介したい。「未来への夢を持ち、自己の向上を目指します。情熱、勇気を持って行動し、お客様のお役立ちに努め地域社会に貢献します。礼節、勤勉を尊び、良き伝統を愛し、次の世代に継承します。社員と家族の幸福を願います」

 会社づくりこそ"ものづくり"だといわんばかりの宣言だ。なかでも「社員と家族の幸福を願います」を高らかに謳い上げている。この一文はなくても十分に企業理念の体をなしている。経営者の多くは同様の理念を語る。しかし社会で一人歩きする企業理念には裃を着せている。だからこそ、この一文を明言した宮川経営の真髄に母性を感じるのは私だけだろうか。