エミリー・ルー社長は、ASUSに入社してほぼ10年を西欧の都市で過ごし、その後、東京に移り7年近く日本法人の指揮をとる。そうしたキャリアを通じて経験したマネジメントや人々の働き方の違いについてお話をうかがうと、あらためて納得させられる部分が多い。ただ、ビジネスの世界では、日本は依然として男社会であることに“ショック”を受けたという。そのエミリーの言葉に私自身も“ハッ”とした。それが彼我の大きな差なのだ。でも、マネジメントの仕事をしたい国として一番に日本を挙げてくれたことで、とても心強い思いを抱くことができた。(本紙主幹・奥田喜久男)

201708311819_1.jpg
2017.6.15/東京・千代田区のASUS JAPANにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第191回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

1週間の東京出張のはずが
赴任7年目に!

奥田 2000年に入社されたということですが、当時のASUSはどんな会社でしたか。

エミリー 規模はまだ小さかったのですが、マザーボードでは業界ナンバーワンでした。ところが、当時、私はマザーボードが何かということすら知らないまま入社してしまったのです。

奥田 それで、どんな職種に就かれたのですか。

エミリー 営業職です。私は、ASUSで2人目の女性営業なんです。

奥田 どんな点が採用のポイントになったのでしょうか。

エミリー なぜ私を選んだのか聞いたことがあるのですが、ASUSは外国語ができる営業がほしかったのです。台湾市場は非常に小さいので、売り上げのほとんどを海外に依存しています。たまたま私はフランス語ができたため、採用したということでした。

奥田 フランス語といえば、第三外国語ですね。

エミリー そうそう(笑)。このとき、日本市場での営業はどうかとも聞かれたのですが、日本から帰ってきたばかりなので、すぐ戻りたくはないと答えたことを覚えています。違う国がいいと希望を出したところ、3か月後にフランスに赴任することになりました。

奥田 フランスには何年間いらしたのですか。

エミリー 最初の5年間はパリにいました。次の2年間はイタリアのミラノで、その次の2年間はドイツのデュッセルドルフ。そしてフランスに戻って、10年かけてヨーロッパを一周した感じですね。

奥田 ヨーロッパで10年すごしてから、再び日本に来られたわけですね。

エミリー 2010年10月に日本に来たのですが、それは日本語ができる人がほしいという理由からでした。日本語ができることを私のボスが覚えていて、1週間でいいから東京支社に出張してきてくださいといわれ、結局そのまま赴任してしまったのです。

奥田 1週間の予定が、もう7年ですか。

エミリー そのとき、最初の子どもが生まれたばかりで、まだ6か月くらいだったのですが、短期の東京出張と思っていたら、ずっといることになりました(笑)。

奥田 ボスは確信犯だったの?

エミリー そうです。それで3か月間、ホテル住まいで、半年後に夫と娘が日本に来て合流することになったんです。

奥田 それほどまでに、エミリーの力を必要としていたということですね。

エミリー 当時、ASUSの日本市場を再建するために、経験豊かな営業担当が求められていました。正直にいいますと、日本市場は外国人にとって入りにくく、不安な市場なんです。言葉、商慣習、それに文化面でもさまざまなハードルがあるため、日本での生活経験のある私が選ばれたのでしょう。

一番重要で大切なのは
社員のマネジメント

奥田 10年から17年までの間に、日本での業績はどう変化しましたか。

エミリー 急上昇しました。売上ベースではこの7年間で約20倍です。

奥田 日本でそれほど伸びた理由はどこにあると思いますか。

エミリー きちんと基本を守ったことです。

奥田 具体的には、どんなことでしょうか。

エミリー よい製品を出すこと、よいビジネスパートナー(チャネル)があること、よい社員がいることです。この三つが基本の基本だと思っていますが、そのなかで私にとって一番重要なのは社員ですね。

奥田 ヨーロッパにいるときも同じでしたか。

エミリー そうですね。でも、ヨーロッパと日本では、社員の会社に対する思いが異なります。日本の社員は会社に給料や仕事だけではなく、家族のような親密な感情も求めています。そうした気持ちはヨーロッパの社員にはありません。日本人の社員は仕事に対する責任感がとても強く、その裏返しとして会社への期待感も強いのです。そういう意味からは、ヨーロッパでのマネジメントのほうがやりやすいかもしれません。

奥田 ヨーロッパのほうがややこしくないということですか。

エミリー あまり感情を込めなくてすむことはたしかですね。日本の場合はヨーロッパのように頻繁に仕事を変える人は少ないため、新入社員をどう育てていくかという点で責任の重みを感じます。

奥田 一番やりたいのは、どの国のマネジメントですか。

エミリー やはり日本です。日本人全体がそうですが、質が高くてみんな真面目です。仕事に対して責任感をもって臨むことでは、どの国にも絶対に負けないと思います。先ほど申し上げたように、マネジメントしやすいとはいえないのですが、任せきれる部分があるので安心できるんです。でも、ちょっと働きすぎの傾向がありますので、その辺のバランスをうまくとることが必要だと思っています。

奥田 新しい国に赴任して、最初にやることはなんですか。

エミリー まず、自分と一緒に働ける仲間をみつけることです。一人では絶対に何もできないので、チームの目標やミッションを意識し、それをシェアできる仲間が必要です。例えば、単に契約で定められたビジネスのやりとりだけでは、なかなか情熱をもつことはできません。やはり、共通の目標に向かう仲間やチームができてこそ、次のプランをどんどん具体的に実行できるのではないかと思います。

奥田 なるほど、熱い気持ちが必要だということですね。

エミリー それから、もう一つ大事だと思うのは、社員を幸せにすることです。偉そうに聞こえるかもしれませんが、社員たちが頑張って会社が儲かった分、少しでも多く還元できる形にしたいと考えています。それから、その国の社会に貢献できるようにしたいですね。日本に留学したときの奨学金がなければ、いま私は、ここにいなかったと思いますから。

奥田 私は、その証券会社に感謝ですね(笑)。

エミリー いま考えてみると、その奨学金を通じてすべてのことが一つのループとなっているような気がします。何か運命を感じますし、とても感謝しています。
 

こぼれ話

 ASUSは『BCN AWARD』受賞の常連企業である。『BCN AWARD』では、およそ120の製品カテゴリで年間販売数を競い、五十数社がトップに立つ。メーカーの総数は約3200社(ハードウェアとソフトウェアの合算)。世界のデジタルメーカーが製品を投入している。年間を通しての激戦を経ての1位は、毎年1月に開催している授賞式で喜びが弾ける。呂さんには、『BCN AWARD 2016』で受賞社を代表して「喜びの声」をスピーチして貰った。堂々とした話ぶりに清々しさを味わった。
 
201708311819_2.jpg

 台湾の桃園で生まれ育ち、台北、大阪、パリ、ミラノ、デュッセルドルフ、再びパリ、東京と生活の場を移し、5か国語を体感してきた。取材の当日は、日本語で不自由なく意思の疎通ができた。呂さんは中国語が母国語で、企業内の共通語は英語、東京の職場では日本語、家庭ではフランス語混じりという。呂さんの生活ぶりを思うと、言葉は本当にコミュニケーションのツールであることを実感する。

 今、私は済南のホテルで原稿を書いている。一歩部屋から出ると中国語の世界だ。チンプンカンプンの時には英語、それでもダメならパントマイムと筆談、自動翻訳アプリも動員してのコミュニケーションとなる。私の意図をすばやく感じてくれる人がいる。そうでない人もいる。必然的に早く理解してくれる人を頼りにしはじめる。すると会う回数も増え、理解の速度がさらに早まる。その人は言葉の意味ではなく、気持ちを読み取ってくれているのだ。会社であれば当然その人と信頼関係が生まれる。呂さんは心を読み取る名人なのだと思う。見習いたいものである。