チームメンバーから話を聞いているうちに何やら胸の内にむくむくと湧きあがるものがあった。それは“紙”に対する再評価の兆し。紙を“生業”としてきた者のひいき目についてはご勘弁いただくとして、社内情報ツールとしてのイントラネットが行き渡ったからこそ、紙がもつ可読性や携帯性などが改めて見直されているのではないか。もしや紙はICTの先端ツールになり得るのではないか。イントラネットとの共存にキラリと光る紙の未来がみえた……。(本紙主幹・奥田喜久男)

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写真左から、村上典子さん、宮崎紀子さん、石井奈緒子さん、荒田予理子部長
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第193回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

発刊当初から変わらない
社内報への思い

奥田 社内報の役割についてはどう考えておられますか。

荒田 広報部自体が“情報を伝えていく”という仕事を担っておりますが、単に伝えるというだけでなく、最終的にビジネス活動に貢献するという気持ちを常に念頭に置いています。社内報もその一環としての位置づけです。

奥田 最終的な着地点はビジネス活動への貢献だと。

荒田 現在、会社全体としては2015年に掲げた“Vision 2020”に向けて動いています。実現に向けて社員一人ひとりが何ができるか、自分が何をやらなければいけないのか、どう行動すべきなのかを考えなければならないのですが、社内報がそのきっかけになればと思い活動しています。

奥田 そういう指令はどこから下りてくるんでしょうか。

荒田 明確にどこからか言われたという覚えはないんですが(笑)、コミュニケーションツールというか、何かのきっかけになるのが社内報かなと。実は創刊の頃からそういうことが書いてあるんです。

奥田 創刊されたのは1985年ですよね。

荒田 当初は会社のことをみんなに伝えるというところからスタートしているんですが、6号目くらいで改めて社内報をどうすればいいか、という社員同士が対談形式で議論しています。そこに、「情報を伝える役割はある程度果たせたので今度はコミュニケーションツールという役割を担いたい」と書かれていました。

奥田 90年代の初めに社内報のDNAがすでに形成されていた。

荒田 情報を伝えるという意味では、イントラネットも十分発達してきていて即時性をもって十分に伝えることができます。ですので、「紙だからこそ伝えられる形」で社員の方々の行動につながる何かになりたいと思っています。

奥田 全社に情報を発信する手段としてはイントラネットと紙の二つがあるということですね。

石井 他にメールがあり、部署によってはメルマガもあります。イントラネットに載せたけれど気づかないということもありますし、更新情報も伝えたいということでメールで補完している形ですね。

荒田 全体を最終的に管理する部署はあるのですが、内容については各部署がそれぞれ決定しています。

奥田 富士通マーケティングでは、イントラネットはいつから始まったのでしょう。

荒田 96年にパソコン通信からイントラネットに切り替わり、2013年に基盤が変わりました。そこから4年、各部署が使い方に慣れ、どんどんと情報を積んでいる状況だと思います。

奥田 膨大な情報量ですねえ。国会図書館のなかで読みたい本を探す感じですね。

全員 本当にそうだと思います。

宮崎 現在のイントラネットは情報発信だけでなく、営業の手配とか業務に関することなども行っているのでさらに情報が混在します。情報量があまりに多すぎて、私たちも含めてうまく活用することができていません。そんな事情もあってイントラネットの情報を紙でわかりやすく解説するという企画を次号(8月号)から連載します。

奥田 それはいいですね。タイトルは?

宮崎 「イントラ便利帳」です。

荒田 「イントラ探偵団」というのも考えたんですが、イントラネットができたばかりの頃に使われておりました(笑)。

忙しい人にこそ有効な
紙の特性

荒田 紙とイントラネットの話でいえば、15年前後で紙からイントラネットに切り替えた会社がかなりあったのですが、最近また「紙を復活させたい」という声があがっているようです。

奥田 聞こえてきますか。

石井 聞こえてきますね。イントラネットだけにした時はいろいろ考えてサイトをつくるんですが、即時性のよさからスタートしているので、継続性に弱いというか、毎週更新するネタに困るそうです。

奥田 紙の社内報に対する反応はどうでしょう。紙は要らないと言われませんか。

荒田 昨年の紙面リニューアルにあたって役員や社員の方々にインタビューしたのですが、幸いにも役員で紙をやめようとおっしゃった方はいらっしゃいませんでした。

村上 社内報に関して年間アンケートを取っていますが、読む目的の第1位は会社の情報の理解、第2位が息抜きで、2年続けてこの結果が出ています。フリー回答の中には、紙冊子に反対と賛成それぞれの意見が拮抗していました。現在の形で残してほしいという声も少なからずありました。

奥田 認められているということですね。多数決だけでは図れない……。

荒田 「社内報は紙だからいいんだよ」と企画を持ち込んでくれる部署もあります。支社の方々が会社全体を理解するために社内報が役立つという声もあります。そういう意味では役に立っているのかなと思いますね。

宮崎 企画の打ち合わせをしていると、新たな企画の提案がもらえたり、社内に広く知らせたいので取材してほしいという要請をいただいたり、引き合いが増えてきていると思います。

石井 仮に全ページを読まれなくても社内のコミュニケーションツールとして使ってもらえればいいかなというのが一つあります。知り合いが掲載されているのを見て久々に電話やメールをしたりして交流が生まれるとすれば、何かしら本業にも貢献できるかなと。

奥田 これからやりたいことはありますか。

村上 現時点で、こちら側から伝えたいことはある程度伝えられているかなと思っているので、AR(拡張現実)もそうですが、新しい社内報の使い方を検討していきたいですね。営業の皆さんから「社内報が届いてよかった」とビジネス上で思ってもらえるような……。なかの情報はもちろんですが、紙の冊子の社内報が何か新しいアプローチとして使えないかと模索しています。

宮崎 富士通マーケティングに社名を変更した時に、社内報で今後のビジネスがどういう風になっていくかを特集したんですが、いまだにそれを覚えている方がいらして「すごくいい内容だったのでお客様にうちの会社を説明する時に使いたい」と言っていただいて……。そんな風に記憶に残るような社内報をぜひつくっていきたいですね。

石井 紙ってちょっと時間が空いた時に手にとりやすいので、置いてあるだけでも効果があるのではないかと。情報を一人でも多くの人に届けなければいけないという使命として、一覧できるとか携帯しやすいといった紙の有効性はまだまだあって、「忙しければ忙しいほど紙の方が見てもらえる」気がします。

奥田 いいですねえ。けだし名言ですねぇ。それ見出しにいただいていいですか(笑)

荒田 (石井)とクレジットをお願いしますね(笑)

奥田 楽しくつくるを本当に実践されてますね。紙の未来に光が差しました。ありがとうございます。

こぼれ話

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 人物のインタビューを続けるうちに、“社内報”に出会った。人の集積である社内報こそ人格を有した人物である。といった仮説のもとに、社内報対談は今回が二回目となる。担当されている広報部の皆さんは4人だ。こんな大人数での対談は初めての試みである。期待と不安で当日を迎える。会議室に通されて以降は、掲載記事の通りである。

 広報部内の持ち分担は重なりながら一枚の絵柄を浮き彫りにしていた。その絵が社内報に具象化されている。会議室のテーブルには、社内報が創刊号から最新のものまできちんと並んでいる。表紙をめくってみる。「懐かしいなぁ」と独り言。創刊の辞は成田清さんだ。独特な雰囲気のなかで対話したことを思い出す。当時の富士通のオーラも思い出す。レールを敷設しながら新しい市場を構築する気負いと前のめりさを感じていた。そして今がある。

 時の流れを表紙が物語っている。「あの絵柄は、そうだった」「あれは、古川章さんの時だ」。なるほど社内報は人格の連鎖でもあるのだ。その人格を毎号編み出す4人の織姫たちは社内を巡り、時には飛び込みで部門におじゃまし、全国に散らばる仲間たちとも連絡を取りながら、最新号を読者にお届けする。こうした読者とともに呼吸する醍醐味が喜びとなる。なんだか社内報編集の息吹を綴るうちに、BCN編集部とイメージが重なっちゃいました。つくり手のワクワク感が決め手であることを深く認識することができた。感謝しなくてはならない。