今春、富士通エフサスの社長に就任した濱場さんは身長179センチの堂々たる体躯。リーダーたるもの、先頭に立ち、背中で皆を引っ張らなければならないと語る。だから、オフィスでふんぞり返っているのではなく、現場に行かなければならないと。その言のとおり、全国の拠点を回り、チームとして現場がうまく機能しているか気を配る。「個人商店の集まりではなく、みんなが助け合い、知恵を出し合って仕事をすることが大事」という言葉から、経営者としての姿とアメフト部部長の姿がだぶる。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.9.29/川崎市中原区の富士通エフサス本社にて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第198回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

覚悟をもって臨んだ
新システム稼働までの道程

奥田 東証でのシステムトラブルが発生した後、新システムの受注に挑まれたわけですが。

濱場 最後は富士通と国内ベンダーの一騎打ちで、富士通に決まりました。ふつう、トラブルを起こしてしまったベンダーと一緒にやるのは、お客様としても難しいところがあるのですが、提案内容と熱意を買っていただいたと思っています。提案書は1000ページにも及び、サマリーだけでも数十ページの厚みとなりました。このプロジェクトは、システムダウンのトラブルがあったときから、会社の命運がかかっているという気持ちでやっていました。ここで選ばれなければ、金融業界での富士通のステータスは一気に下がるだろうという覚悟がありました。

奥田 採用が決まったのはいつですか。

濱場 06年の春に提案活動を始めて、決定したのはその年の12月です。そして、新システム「arrowhead」の稼働は10年1月4日の大発会の日。つまり、決めていただいてから稼働までに丸3年かかったんです。

奥田 システムを開発している間、指揮官としてどんなことをおっしゃっていたのですか。

濱場 もともと開発メンバーの意識は高く「世界最高速」「最高の信頼性」「安定的に動くシステム」をみんなが目指していたので、そういう言葉がキーになりましたね。例えば「チャレンジ10ミリセカンド」といった標語をつくったりしました。

奥田 稼働までは、どういう心境でしたか?

濱場 無事に動くことを疑わず、メンバーを信じました。本音は心配でしたが、お客様にもご協力いただき一緒につくり上げることができました。その後大きなトラブルが起こることもなく、順調に安定稼働しています。

部長の仕事は
「気合い入れ」だけ?

奥田 多忙な本業のかたわら、去年は部長を務めるアメリカンフットボール部が日本一になりました。

濱場 去年の優勝もうれしかったのですが、実はその2年前に初優勝しているんです。そのときが一番うれしかったですね。なにせ、私が部長になってからそれまで、決勝まで3回行って3回とも負けていたんです。09年、11年、13年と1年おきに決勝まで行って、いずれも準優勝。14年に初めて決勝で勝って日本一になったんです。

奥田 部長は、何年間やられたのですか。

濱場 丸9年間です。08年春から今年の春までやっていました。

奥田 ところで、アメフト部の部長の役割にはどんなことがあるのでしょう。試合前に部長が挨拶すると聞きましたが。

濱場 選手60人を集めて試合“直前”に“気合い入れ”をします。それと試合が終わった後、もう一回気合いを入れる。それからシーズンオフに焼肉に連れて行くこと。部長の仕事はそれだけです(笑)。

奥田 毎回、試合の前後に気合いを入れられるのですか。

濱場 気合い入れは必ずやります。アメフトは秋がメインのシーズンで、学生日本一と対戦するライスボウルまでいくと10試合、社会人の決勝までで9試合あります。社会人の準決勝で負けると8試合しかできませんが、うちはそこそこ強いので、最低でも8試合までは行きます。

奥田 ざっくり計算すると、今までに150回くらいは気合いを入れているんですね。どんなふうに気合いを入れるのですか。

濱場 初っ端は「気合い入っているか!」から始めます。試合直前の選手はテンションが高まっています。だから、ここで水を差すようなことはいっちゃいけない。だから「なめんじゃねえぞ!」とか「やっちまえ!」とか「ぶっ倒せ!」とか、だいたいそんなものです。

奥田 選手のテンションに合わせるわけですね。

濱場 「今日は観客がこんなに入っているから、みんなも集中して」といった一般的な挨拶をするとテンションが下がっちゃう。だから、「オー!」とか「アー!」とか、みんな何をいっているんだかわからなくなる(笑)。そういう感じです。

奥田 もともと、そういうことは得意なのですか。

濱場 いやいや、最初は何をやろうかと考えました。東大アメフト部出身の部下にどんな気合いを入れればいいのかと聞くと、「濱場さん、絶対にテンションが下がるようなことだけはいわないでください。何をいっているかわからなくても、元気よくガーガーやればいいんです」と教えてくれました。ずっと、その教えどおりやっています。

奥田 14年のときはどうでしたか。

濱場 そのときは、準決勝で宿敵のオービックを破って、決勝の相手はIBMでした。実力的にはこちらが上だとわかっていたのですが、「わかっているだろうな。IBMに負けたら俺ら面子ないぞ」と。そして圧勝しました(笑)。

奥田 負けられない戦いだったのですね(笑)。ところで、チーム強化はどのように?

濱場 チームづくりは藤田智ヘッドコーチを中心にして、コーチ陣と副部長たちにやってもらっています。最近は米国の大学からもリクルートするようになったので、全体のレベルが上がってきました。なかでも、14年に入ってきたコービー・キャメロンというクォーターバックをはじめ、4人の米国人選手の存在は大きいですね。

奥田 部長として選手とのコミュニケーションはどうされているんですか。

濱場 気合いを入れるだけで、ほかにぐちゃぐちゃいうことはありません。ただ、ケガをした選手には声をかけたり、入院するほどひどいときはお見舞いにも行きますね。

奥田 そうしたアメフトへの姿勢は、経営にも共通しますか。

濱場 経営者や役員はビジョンをはっきり示すことが重要で、後は現場の人が働きやすい環境をつくってあげることだと思います。上がぐちゃぐちゃいって邪魔したり、一から十まで指示しない方がいいというところは共通しているかもしれません。チームで動くことの重要性も、ビジネスとアメフトに共通しているように思いますね。

 また自ら先頭に立ち、背中で皆を引っ張っていくのがリーダーの責務。そのために今エフサスの全国の現場を回り、社員一人ひとりと会話し、私の思いを伝えるようにしています。みんなが元気に新しいことに挑戦し、失敗を怖がらない会社にしたい。挑戦すれば成功する確率は増えるし、人が育つことで会社は成長すると考えています。
 

こぼれ話

 アメリカンフットボールの世界では今、IT業界の老舗コンピュータメーカーが幅を利かせている。12月18日には東京ドームで「Xリーグ2017 JAPAN X BOWL(JXB)」の決勝があり、富士通フロンティアーズとIBMビッグブルーが対戦する。3年前の決勝では富士通が大差で勝利した。その時の富士通アメフト部の部長が濱場さんだ。試合直前のベンチで「あのIBMには絶対に負けるな」と気合いを入れたという。濱場さんの気持ちはアメフト部員に共鳴したと思う。
 
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 私が富士通の広報に顔を出し始めたのは1970年代だ。丸の内の仲通りにあった。机が8席ほどでソファーがあって、「こんにちは」といつ飛び込みで入っても嫌な顔をされずに、二言三言会話を交わした。一方のIBMは六本木にあった。すらっと細長くて背の高い本社ビルに入ると、広々としたロビーに大きな三味線のバチを象ったオブジェがあった。

 「IBMってデカイ」という印象をもった。広報室にはエレベータで少し上階まで上がった。途中で出入りする社員たちのオーラが、外資系で世界のコンピュータ産業を牽引する誇りを発散していた。日本の企業はそれを追いかけていた。富士通はその急先鋒であった。時は40数年を経て富士通もIBMも変遷をかさね、スポーツで若者たちをワクワクさせる企業になった。さて社会人アメフトの日本一はどちらか。
 
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2014年日本一だけが手にした“チャンピオンリング”