心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 

こぼれ話 番外編

 「や~や~、おくださん、お久しぶりだねぇ~、お元気」。こんな感じで再会した。大塚実さんは車椅子なので、私がしゃがんで話すことになる。この姿勢だと立ち話より身体が接近して、何だか父親との会話のようでうれしかった。会ったのは10月26日、サイオステクノロジーの創業20周年記念パーティの会場だ。旧社名はテンアートニー。大塚さんの肝いりでできた会社だ。75歳の時の子どもである。
 
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お寿司をおいしそうに食べておられた(帝国ホテル)

 大塚商会の創業は1961年7月17日で大塚さん39歳の時だ。IT業界のスタートアップ企業からすると、やや遅めの起業だ。戦後20年、事務機器販売会社の設立とあれば、ずいぶんと昔感が漂う。大塚さんとは70年代後半の取材で出会った。印象に残っているのは記者会見だ。非上場企業であるのにかかわらず、自社内で開く経営会議レベルの内容を業界新聞の記者に公表することだ。

 発表内容はそのまま複写機業界の成長曲線であり、当時の主力販売機種のリコーの業績でもあり、この記者会見が回を増やすごとに、日本の中小企業の経済成長とも重なる存在になってきた。ざっくりした取扱商品の流れは、60年代は複写機、70年代にオフコン、80年代にはパソコン、90年代はネットワーク、そしてオープンソースのソフト開発会社を設立。取扱商品は常に時流に沿っていた。

 99年には通販、現在のネット販売に着手。売る→保守→サプライの供給→追加受注→新規受注を前年比前月比など、定量定率定性で日次報告をファックスで回していた。

 保守の満足度は顧客確保の命綱だ。「客先のコールがあってから1時間で到着する」保守体制を整え、コピー用紙の供給とともに収益源の基盤を築く。売り上げの伸長は販売拠点の拡大だ。自社ビル方針で少し背伸びをする形で全国の主要都市に拠点をつくる。さぞかし鍬入れ式もお上手になられたことであろう。どこかの居酒屋チェーンの勢いであった。こうして“一”から事業体を整え、“一番”を目指して40周年の前年に東証一部上場を果たす。御年78歳。

 私は1981年8月18日、大塚さんに遅れること20年後にBCNを創業し、『オフコンパソコン両翼理論』を展開する。この記事連載が大塚さんの目に止まった、と思う。以来、会う回数は増えた。私にも下心がある。経営術を知らない私はその“いろは”を取材と称して聞き取りするわけだ。「仕事での好き嫌いは贅沢である」「病的な不安症であれ」「水平線の彼方に見える黒い煙を常に見る」「社会に認められ、仲間に評価され、家族に喜ばれる」、まだまだある。私は大塚実塾の門前の小僧だと思っている。

 会話は弾んだ。「あなた、いくつなった~、もうそろそろ80ですか~」「いえいえ68です」「そんなに若いの~」。突然、ワクワクしてきた。この記事をもって大塚実さんの『千人回峰』としたい。(間に合ってよかった……)