小野さんは「夢みたいなことをいうね」といわれることが、いまでも少なくないそうだ。現在の開発の仕事も、少年の頃ブロック遊びに熱中し、どんどんその形が変わっていく感覚に近い気がするという。もちろん、多くの商品のプロジェクトマネージャーを務めてきた身にとっては、夢以外の要素を無視するわけにはいかないことだろう。それでも「自分が夢見ていたような、思いもよらないものをこれからもつくりたい」との“言”がうれしい。こうしたクリエイティビティが、日本の技術を支えているのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.11.1 / 東京都品川区のソニービジュアルプロダクツ本社にて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第202回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

エンジニアの熱意だけでは
うまくいかない

奥田 4K有機ELテレビの発表後、どんな反響がありましたか。

小野 その後、この商品がどれくらい話題になったかというデータを見ると、その年のソニー製品のなかで一番だったという結果が出ました。インターネットでは、ソニーのOLED(有機EL)が出たということがかなりの勢いで話題になっていました。それがどんどん大きくなっていくのを目の当たりにした感じですね。

奥田 ところで、この開発チームは次の商品開発にかかるのですか。それとも解散するのですか。

小野 半分のメンバーは次の商品に、半分のメンバーは別の研究開発をするようなかたちにします。同じメンバーでずっと同じことをやるのはあまりよくないですし、こういうエキサイティングな体験や何か新しいものをつくるというチャンスは、どの技術者にもあるべきだと考えているからです。人材の環流をしながらソニーのテレビ事業全体をよくしていこうということですね。

奥田 それはソニー流ですか、それとも小野流ですか。

小野 TV事業部では、いままであまりそういうことをやる余裕がありませんでした。ただ、私がそうしたいと話をしたときに、みんな同意してくれました。誰にでもチャンスはあるべきだと。

奥田 マネジメント面でも、うまくいっていますね。

小野 一つは、私が設計一筋のキャリアだったら、こんなうまくいかなかったと思います。商品をつくるということは、エンジニアの熱意だけでやっていけます。しかし、それを発表して、売って、お客様にお届けするということを実現するには、とてもたくさんの人たちが絡みます。私は設計以外の領域である事業戦略チームに異動したことがあって、そのときにエンジニア以外の職種の人と知り合ったり学んだりしたことは、とても大きな収穫でした。

奥田 技術だけでなく、テレビ事業全体のバリューチェーンを学ばれたということですね。

小野 買ってきて、つくって、売るという流れにおける戦略です。エンジニアだけの経験だと、設計するところに集中してしまうのですが、このセクションを経験したことで、視野が広がりました。

スペシャリストの“ごった煮”の
なかから生まれた成功

奥田 チームリーダーとして、どんなコミュニケーションのとり方を心がけましたか。

小野 チームはワンフロアに集まって仕事を進めていったわけですが、机の上の仕切りを極力低くして、互いの顔が見えるようにしました。昼間は、エンジニアは設計の評価をする場所に行ったり、商品企画担当者は会議をしていたりするのですが、夕方になるとだいたい自分のデスクに戻ってきます。するとその場でみんなの顔が見えるため、いつでも議論ができるのです。

奥田 会議を開くのではなく?

小野 立ちながら、座りながら、動きながら、随時ですね。みんなはデスクにいますから、ひょっと立つと全員が見渡せるわけです。このかたちなら、「何時に集まってミーティングをやりましょう」じゃなくて、思い立ったときにコミュニケーションがとれます。この形態は非常によかったですね。

奥田 インターネット時代になって、世界のどこにいても、何万キロ離れた場所にいても一つのものが開発できるといわれますが、これは真逆ですね。

小野 1か所に集まって開発したことは、間違いなく今回の成功のカギになったと思います。人が最も大きな要素であり、テレビ電話ではなく、直に会って話すことで伝わることがあると信じています。

 1か所に集まって、誰とでも分け隔てなく話す。肩書の有無にこだわらず、それぞれの分野のスペシャリストがいつでも話し合える。そのごった煮のなかで、成功が生まれたような気がします。それを許した会社も、度量があるなと思いますね。

奥田 まさにソニー的な感じがします。

小野 みなさんに「ソニーらしいね」といわれたときはうれしかったですね。お披露目の場で、世界中の販売会社の人たちがこの商品を初めて見るわけですが、そこで「ソニーらしい」と言われて、初めてソニーらしい商品ができたんだなと。結果的に、でき上がったものがソニーのDNAを受け継いでいたのだと思います。

奥田 ところで、子どもの頃からこうしたものづくりに興味があったのですか。

小野 ブロック遊びがとても好きだったと親にいわれたことがあります。小さな頃からいろいろなものをつくっていたことが、自分としても何か関係しているのかなと思います。それから、本もたくさん読んでいたように記憶しています。

奥田 どんな分野の本ですか。

小野 SFが大好きでした。いまできないことができて、そこでワクワクする冒険ができるようなSFです。星新一さんのショートショートから海外SFまでいろいろなものを読んでいましたね。

奥田 どちらかというと、スポーツとは縁がないようなインドアタイプですね。

小野 北海道の小樽出身で、冬は雪が多かったため、家のなかにいることが多かったですね。でも、ウソのようですが、大学時代は登山が趣味だったんです。

奥田 失礼ながら、その体格で?

小野 学生時代はずっと細かったですから(笑)。プラズマの研究もそうですが、私は、光るものを考えたりつくったりすることに惹きつけられるのです。夏山に登って森林限界を越えると、太陽が照りつける乾いた感じがすごく印象に残っています。その昼の感じと夜のまったく光のない感じのコントラストに惹きつけられた経験などは、けっこう自分に大きな影響を与えたのだと思います。山小屋に泊まったときの星の見え方なども同じで、山での光は印象に残っていますね。
 
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学生時代の「証拠写真」。北アルプスにて。(撮影日:1995.7.28)

奥田 山と光ですか。当時はどんなところに行かれたのですか。

小野 槍ヶ岳や剣岳など北アルプス、中央アルプス、南アルプス、それに故郷の北海道の山にも行きました。多くの山に登りましたが、誰に言ってもウソでしょうといわれますから。でも、証拠写真があるので「どうだ!」と(笑)。

奥田 小野さんの場合は、光が一つのキーワードになるのですね。

小野 「もっと光を!」ではないですが、もっと光にこだわったものをこれからも商品化していきたいと思います。

奥田 ますますのご活躍を期待しています。
 

こぼれ話

 人はさまざまだ。小野さんの体躯をごらんください。初見で圧倒されたと同時に長い友人のようにも感じてしまった。こちらが親しい感情をもつと不思議なもので、相手も同様な気分になることが多いと思う。小野さんとは実に気楽な対談になった。「昔から太られていたんですか」、「いやいや小さい頃は痩せていたんですよ。いや、人よりは太めだったかなぁ」(笑)。
 
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私(奥田)の体重は68kg

 動画が人の生活のなかに根づいて久しい。映像の録画→編集→再生→記憶→送信の機能は進化の歩みを止めない。それぞれのパートで新しい機能が出ると、人は「すばらしい!」とため息をつく。かと思うと「そこまでの機能が必要なのか」と首をひねることもある。ソニーは機能を進化させるトップアスリートである。いっとき、息を切らして喘いでいたが、闇のなかから再び走り始めた。

 「BCNランキング」は昨年、有機ELテレビを独立した集計アイテムとして新設した。SONYがトップに輝いた。その製品の開発リーダーが小野さんだ。開発の“場”はワンフロアと決めて、必要な人材を社内の各部署から集めた。スタッフは数歩歩いて立ちながらミーティングする環境のなかで、製品をつくり上げていった。そして、ラスベガスの展示会で披露した。電源を入れると、映像が映し出され音が流れた。スタッフは痺れるほど酔いしれた。その商品がNO.1になった瞬間、知恵と努力と情熱が実を結んだ。