対談を終えて写真撮影をするために、会議室から移動した時のことだ。エレベータに乗っている時も撮影している間も、森さんの姿をみつけるなり、入れ替わり立ち替わり実にいろいろな人が寄ってきては声をかける。挨拶をしたり、からかったり、少し話し込んだり。その度に森さんは言葉を返し、肩をたたき、談笑する。何げないしぐさや会話に信頼感がにじむ。森さんが誇る「水道一家」という仲間との人間関係をそこにみた。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2017.11.14 /北九州市上下水道局 会議室にて

スケールもスピードも桁違い
中国4000年の奥深さ

奥田 中国の大連とも事業をしておられますね。どんな方針でやっておられるのですか。

 大連は北九州市と友好都市ということで協力させてもらっています。大連の水道は清の時代にできたもので、中国で一番古い水道です。大連はロシアや日本に占領された歴史をもっている都市ですが、占領下でつくられた施設はいまだに残っていて使われています。

奥田 破壊されていないということですね。

 韓国だとどんどん壊してしまうんですが、中国は絶対壊さない。残すんですね。旅順の手前に龍王塘ダムという旧日本軍がつくったダムがあるんですが、ここには竣工年や工費、関わった人物の名前が刻まれた銘板まで残されています。

奥田 それはすごい。

 それだけでなく、2000年に入ってダムの修復工事があった時に、紅衛兵が壊して埋めた祠まで復元しているんです。向きやら位置やら、これで合っているのか私にも聞かれました。そういうことを経験する度に、中国4000年のしたたかさを感じます。

奥田 そのしたたかさをもう少し具体的に教えていただけますか。

 占領されたとか何とか、昔のことにこだわらない。ひどい目にあったとしてもそれはそれ。今使えるんだったら使えばいい。日本に対してだけではなく、ロシアに対しても同じです。大連の市政府の建物も半分以上は日本やロシアが建てたものを、今も使っています。

奥田 そういうことですか。

 その龍王塘ダムの修復工事は、リーマン・ショックの景気対策ということで政府がとにかく早くやれと。3交代で3か月で終わらせるという突貫工事だったんです。ダムの水を全部抜く必要があるため日本だったら住民合意とか補償問題とかあるじゃないですか。

奥田 ありますね。すごく手間と時間がかかります。

 まったくないんです。住民に対しての説明すらも一切なし。放流の当日どうなんだろうと思って様子を見に行ったら、ものすごい人がダムの河川敷にいたんです。

奥田 反対運動とかですか。

 そうじゃなくて、ダムの水を抜くと魚も一緒に流れるから魚が捕れるということで(笑)。たぶん2000人から3000人くらいいたんじゃないかな。朝早い時間だったんですけどね。

奥田 たくましいですねえ。

 大連は都市が膨張しているんです。遼寧省に属していて人口600万といわれていますが、市内は300万、あと100万の都市が三つあります。ここがまだ水道普及率40%。これからだんだん整備されて、100%になっていきますから需要がかなりあります。

奥田 水道事業としては狙い目ということですね。

 それだけではありません。大連の北に鞍山市という街があってここは人口500万、石炭と鉄鉱石が出ます。ここも今からですね。瀋陽は人口が多くて1200万とかいいますが、まだまだ基盤整備はできていません。瀋陽の東側に撫順があって、大伙房ダムという大きなダムができて貯水量は12億トン。ここから600kmから700kmの距離を経て大連まで原水をもってきています。

奥田 膨大なスケールですね。

 スピードも違います。とにかく決定が早い。龍王塘ダムも担当者と打ち合わせをしていたら、急に先方の技術屋のトップが市政府に呼ばれて。1時間ほどで帰ってきたらやることになったという。日本では絶対考えられません。

国際交流・国際貢献をしながら
地場企業を育成する

奥田 森さんは異文化のなかで実にいろいろな体験をされていますね。

 中国の話をもう一つ。日本人は握手をしながら頭を下げますよね。それを中国の人から指摘されたんです。なぜ頭を下げるのかと。

奥田 下げてはいけないということですか。

 中国では自分より格下の人に絶対頭を下げない。下げる風習がないんです。以来海外に出た時は頭を下げないことにしました。

奥田 郷に入れば郷に従えということですか。それをきちっと学んで実行される。

森 カンボジアも中国も、それぞれの国にそれぞれの常識があります。日本の視点だけでは通用しません。

奥田 最後にうかがいます。北九州は水ビジネスを事業として海外に輸出しました。これによって北九州市と市民はどんなものを得たのでしょうか。

 最初は水道局の人材育成と国際貢献が目的でした。自分たちのコストをかけることなく人材が育成できる。同時に、培ってきた技術や経験でその土地に貢献ができる。でも、始めてみると向こうとのいろいろな関係ができてきます。

奥田 最初の目的だけではなく。

 目の当たりにしたのは日本が援助した施設の部品が壊れると、交換品を全部シンガポールや中国に頼むんです。それで文句を言った。日本製なのになぜ他に頼むのかと。返ってきた答えは、頼みたいけど日本の企業は現地にいないじゃないか、でした。

奥田 向こうには向こうの言い分があった。

 日本はものはつくる、人は育てる。だけど、それが終わるとぱーっと引き上げてしまう。昔だったら大使館がないところにも商社はあった。でも今は違います。いませんよね。それで思ったんです。援助をしたら現地に残らないとダメだと。でも役所はそれができません。できるのは民間なんです。それで北九州市海外ビジネス推進協議会を立ち上げたんです。

奥田 そういう経緯があったんですか。

 では市との関わりは何か。水事業は膨大な産業でマーケットがすごく大きい。北九州市はものづくりの街なのでいろいろな会社があります。そういう企業の育成と振興を海外事業でやろうと。

奥田 つながってきましたね。

 これまでの事業は設計業務が主だったけど、最近は本体工事が出てきました。それに伴って市内企業の製品や人間を使ってもらえます。今後はそれが増えていく。じゃあ、一般の市民はどうかというと、テレビや新聞などで北九州の名前が出ることで、ああがんばっとるねえと喜んでもらえる。

奥田 確かにうれしいですね。自分たちの街が取り上げられたら。

 だから最終的に海外進出した国や地域に職員とかを配置していけば、国際交流・国際貢献だけじゃなくて地場企業を育てることができると考えています。

奥田 話が全部つながりました。実におもしろいです。興味深いお話をありがとうございました。
 

こぼれ話

 人はそれぞれに佇まいを備えている。もう少し正確にいうと、居場所によってそれは形成されていると私は思う。だから『千人回峰』の対談場所は、その人の本丸といえる居場所でお願いしている。ある時は刀鍛冶の工房であったり、酒蔵であったり、狭い開発現場であったりした。森一政さんは退職して久しい現役当時の職場の会議室で行った。
 
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 ある時、本紙視点の執筆者である増田辰弘さんから、「北九州市の水道業界の人なんだけど、偉い人がいるのよ。カンボジアに水道技術を輸出して大成功させた人なのよ」。増田さんは東アジアに進出している日系企業と人を求めて、もっとも現場を歩いている人である。二つ返事で対談することを告げ、森さんに連絡を取り、会うことになった。さて事前準備の段になって、北九州市役所の水道事業の歴史が予想を超えてグローバルな規模なのに驚いた。そのスタートアップをした人である。新幹線の車中、どんな方なのかワクワクしながら西下した。

 部屋に通されると、すでに横に長い会議机の前に座っておられた。「こんにちは」と感謝の念を伝え、名刺を交換し、お互いに相手のたなごころを測りながら、いつのまにか対談という“二人の世界”に入った。このゾーンに入ると二人で一人といった印象に浸る時がある。スイッチが入った瞬間があるといってよい。この時もそうだ。話が広く深く奥行きが広がるに従って、「この人はただ者ではない」と確信するに至った。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第203回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。