インターネット草創期に米国のシリコンバレーで多くの起業家の姿を目の当たりにした喜多さんは、自ら起業することを決意する。それから20年余り。当時生まれたITベンチャーの多くは姿を消したものの、サイオスはいまも着々と成長を続けている。しかし、喜多さんの視線の先には同時期に創業したグーグルがあった。「同じ創業20年であんなに遠くまで行けるのだから、自分たちはまだまだ。なぜ、グーグルにできることが自分にはできないのか」と独白する姿に、むしろ限りない未来の可能性を感じる。
(本紙主幹・奥田喜久男)

201803271927_1.jpg
2017.12.6/東京都港区のサイオス本社にて

4文字の社名に
込められた思い

奥田 昨年、創業20周年を迎えたサイオスですが、社名にはどんな由来があるのですか。

喜多 もとはテンアートニという社名でした。2006年に米国の会社を買収してグローバル展開を始めるとき、テンアートニでは発音が難しいということもあり、海外でも覚えやすくてわかりやすい名前に変えようとした経緯があります。

奥田 それで「サイオス」ですか。

喜多 できるだけ短くて、覚えやすいものというのが条件です。当時、日本発のグローバルな企業で、誰もがブランドとして認識する会社はどこかと考えると、ソニーが思い浮かびました。ソニーは“SONY”で4文字。そこで、これをベースに社名を考え始めたんです。

奥田 確かに、SIOSも4文字ですね。

喜多 それでどういう思いを社名に込めるかを考えました。イノベーションをつくり出す企業でありたいということと、Linuxで事業を始めており、オープンソースのオープンということはとても重要だと捉えています。さらに私たちが提供するのは、お客様の課題を解決するソリューションです。そのIとOとSという頭文字をとって、そこからSIOSという社名を発想したのです。

奥田 最初のSは?

喜多 頭のSは、SIOSのSです。SIOS is Innovative Open Solutionsの頭文字をとりました。

 ソフトウェアのプログラミングにリカーシブ(recursive:再帰=あるものの定義や記述にそれ自身が含まれること)という重要なテクニックがありますが、この社名もそういう構造になっているのです。ソフトウェアエンジニア以外の方に「最初のSはSIOSのS」というと、よく「えっ?」と聞き返されますね(笑)。

奥田 なるほど。イノベーション、オープン、ソリューションを大切にされていることが社名に反映されていると。

喜多 私たちはもともと、フリーソフトウェア、オープンソースを足がかりにしてイノベーションを起こす会社にしていこうとスタートしましたから、やはりそれが一番大切ですね。

シリコンバレーで目の当たりにした衝撃的なイノベーション

奥田 そうしたイノベーションやソリューションを意識するに至るまでに、喜多さんはどのような道筋をたどられたのですか。

喜多 私は大学時代に半導体の材料(無機材料)を研究していました。それがコンピュータの世界に入るきっかけです。大学卒業後、大阪市立工業研究所(現・大阪産業技術研究所)を経て、稲畑産業という化学系の中堅商社に入りました。

奥田 商社とは、ちょっと意外ですね。

喜多 入社したのは商社ですが、私が携わっていたのはソフトウェアビジネスです。主に半導体設計用のEDA(エレクトリック・デザイン・オートメーション)というソフトを扱っていました。

 私がイノベーションを明確に意識したのは、90年代初めのことです。当時、私は米国西海岸の事業責任者としてシリコンバレーに駐在していました。そこで、インターネットが一般に開放され、ブラウザソフトのネットスケープが華々しく彗星のごとく現れて、大きなIPOに成功しているところを目の当たりにしたのです。

奥田 インターネットでいうと、第一世代になるわけですね。

喜多 そうですね。シリコンバレーでEDAの仕事を通じて多くのソフトウェアエンジニアに出会い、Linuxに出会い、GNU(グニュー:オープンソースのOSとライセンスを含めたフリーソフトウェアの体系)に出会ったことが、私にとって最初の、そして衝撃的なイノベーションでした。

奥田 シリコンバレーには、何年間おられたのですか。

喜多 93年から99年までの7年間です。

奥田 その時代にはネットスケープ以外でもインターネット関連のスタートアップが次々に生まれていますね。IPOで億万長者になる起業家も珍しくありませんでした。当時、喜多さんはどんな印象をもちましたか。

喜多 やはり、インターネットで世の中がこんなに変わるのかという思いですね。それは破壊的イノベーションの典型であり、それを間近で体験したことと、それを支えているのがオープンソースの無料で開放されたソフトウェアということがとても革新的だと思いました。それまでのように、マイクロソフトやオラクルなどの企業がつくったソフトウェアのライセンスを得て使うというクローズドな形ではなく、誰でも自由に使えて、さまざまなプログラムを好きなようにつくれるという形で、世の中にこれだけの変革をもたらしたという点に感動しましたね。

奥田 その感動が、起業につながったわけですね。

喜多 シリコンバレーで私は勤め人をしていたわけですが、まわりの米国人はみんな起業するんですね。それをみて、自分も起業してイノベーションを起こしていいんだなと思ったのです。それなら、Linuxの仕事をやってみようと。

奥田 最初は何人でスタートしたのですか。

喜多 スタートアップメンバーは四人です。米国にいた私ともう一人の仲間、それに日本にいた二人の仲間が集まりました。

奥田 どのようにその四人は出会ったのですか。

喜多 仕事を通じて知り合ったのですが、Linuxというベースで事業をしたいという共通の思いを抱いていたことが求心力になりました。日本にいたメンバーが98年にノーザンライツコンピュータという会社を設立し、99年に私が帰国して社長に就任することになります。

奥田 最初は、どんなビジネスを手がけられたのですか。

喜多 Linuxサーバーの販売からスタートしました。

奥田 ちなみに、いくらくらいの値段のものでしたか。

喜多 1台数十万円から数百万円くらいの範囲ですね。

奥田 ハードウェアのビジネスですね。

喜多 台湾などから製品を調達して、Linuxで動くように調整をして、出荷する形です。

奥田 その軍資金はどこから集められたのですか。

喜多 ベンチャーキャピタルを回って集めましたが、これは苦労の連続でしたね。(つづく)
 

サイオスグループ社員の行動規範
SIOS Values

 SIOS Valuesは、Passion(情熱)、Creativity(創造)、Commitment(約束)、Integrity(誠実)、Teamwork(チームワーク)の5つ。 

 執務室や会議室にこのポスターを掲げて、喜多社長自身を含め、全社員で共有している。この規範を実践に移して、優れた業績を示した社員・チームを表彰する報奨プログラムも行っているということだ。 
 
201803271927_2.jpg
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第205回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。