昨年の12月18日、私は東京ドームの記者席にいた。アメリカンフットボールのトップリーグ、「JAPAN X BOWL」決勝、富士通フロンティアーズ対IBM BigBlueの試合を見守るためだ。大手ITベンダー同士の決勝とあらば、メディアとしてBCNが報道しないわけにいかない。結果は、63対23でフロンティアーズが勝利し、2年連続3度目の優勝を果たした。年明けのライスボウルでも学生王者の日本大学を倒し、見事日本一。このフロンティアーズを強豪チームに育てあげた藤田智ヘッドコーチに、チームづくりの要諦や企業スポーツについてお話をうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男)

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2018.2.7 /川崎市中原区の富士通川崎工場本館にて

アメフトなら
日本一を目指せる

奥田 2016年、17年シーズンと2年連続で富士通フロンティアーズを日本一に導いた藤田さんですが、最初にアメリカンフットボールと出会ったのはいつですか。

藤田 小さい頃から高校までは野球をやっていたので、アメフトとの出会いは京都大学に入ってからですね。

奥田 なぜ、野球からアメフトにうつられたのですか。

藤田 高校は名古屋の東海高校で、野球は強くなかったのですが、野球をしながら東京大学に入り、六大学で活躍している先輩がいたんです。だから自分も六大学に行って野球を続けたいと思っていたのですが……。それがかなわず、もう野球はやめようと。このときは東のほうを見るのも嫌で、反対の西に向かって行こうと思ったわけです。

奥田 それで京都に行かれて、野球ではないものに取り組もうとされた。

藤田 アメフト部の練習を見に行ったら、グランドにすごい活気があり、何か熱のようなものが感じられました。

奥田 そうした活気に魅かれたのですか。

藤田 当時、アメフトは京大で唯一日本一になれる可能性のあるスポーツでした。だから、一度そういうところに身を置いてもいいかなと思ったんです。

奥田 アメフトに関してはゼロからのスタートですか。

藤田 ゼロからです。

奥田 大学に入ってから始めると、何年ぐらいで選手として一人前になれるのですか。

藤田 2年間しっかり練習をすれば、それなりの選手になれると思います。できる選手は最初からできますが、身体ができていなかったりするので、やはり2年ほどは必要ですね。

奥田 当時の水野弥一監督は、藤田さんに大きな影響を与えたと聞きました。

藤田 あの時期に水野さんにお会いできたというのは、私の人生にとって大きいですね。私とは27歳違いで、ちょうど私の親父と同い年です。

奥田 どんな方でしたか。

藤田 ものすごく論理的な方です。論理的かつ合理的なチームづくりをされており、当時から科学的アプローチをしていました。

奥田 科学的アプローチというと。

藤田 例えば、身体をつくろうというときに、まず、トレーニングのタイミングと食事のタイミングはいつがいいのかと考えます。練習をしてお腹が空いた状態でさらにトレーニングをしても、痩せていくだけで太らない。それならば、ご飯をちゃんと食べてからトレーニングするほうがいいということになりますよね。

奥田 やみくもにトレーニングするだけでは、身体はつくれないんですね。

藤田 食事といっても内容は人によって異なるため、食事調査というものもやりました。自分が何を食べたかを全部書き出して、カロリー計算などをしてもらい、たんぱく質が足りているかどうかとか、もっとこういうものを食べろといった指導を受けるのです。

奥田 確かに科学的ですね。

上級生を追い込む
水野イズム

藤田 チームづくりという面では、昔は人工芝ではなかったのでグラウンド整備などの作業がたくさんあったのですが、水野さんはそれを1年生にはやらせるなと厳命しました。

奥田 それはどういうことですか。

藤田 1年生にやらせると、それがいやで辞めていく選手がいるからです。フットボールを知る前に下働きがいやで辞めていくというのはもったいない。せっかく入部したのに、いい才能が抜けないようにと、1年生には一切やらせなかったんです。

奥田 ということは、グラウンド整備は上級生がやるのですか。

藤田 水野さんは4年生が先頭に立ってやれといわれました。

奥田 上級生は、いやいや監督の指示に従う感じですか。

藤田 上級生ほど勝ちたい気持ちが強いですから、チーム力を上げるためには当然と考えていました。

奥田 水野さんは上級生にそうしたことを納得させる力をおもちだったのですね。

藤田 4年生はよく監督とミーティングをして、禅問答のような形で詰められました(笑)。

奥田 例えば、どんな風にですか。

藤田 「本気で勝つ気があるか」と問われて「あります」と答えると、「いま、○○はどうなってるか」と返されます。「わかりません」と答えると、「勝つ気があるのに、○○がどうなっているかどうしてわかっていないのか」「それで勝つ気があるといえるのか」とか、「勝つ気あるんだったら、もっと後輩の面倒をみてやらなければあかんやろ」とか、とにかく4年生はいわれ放題なんです(笑)。

奥田 何をいっても許してもらえない。

藤田 何をいっても返ってくるんです。それぞれが的を射ているだけに、“ぐう”の音も出ません。だから「やる気はあります」とか「やっています」などと軽々しくいえないんです。

奥田 そういわれるのは4年生だけですか。

藤田 4年生がリーダーで、4年生がやらないとチームは勝てないものですから、そういう風に接してくださったのでしょう。もちろん自分たちにとって最後の年なので、誰よりも勝ちたいと思うのは当然なのですが・・・。

奥田 水野さんの教えは、藤田さん自身のなかに残っていますか。

藤田 基本はそこにあると思います。だいぶ年月が経ったので、具体的なやり方は異なると思いますが、おそらく考え方は受け継いでいます。

奥田 水野さんの考え方を端的に表現していただけますか。

藤田 ものすごく発想が自由で、過去にこだわらないところですね。去年やったことを今年はバサッと変えたり、今朝いっていたことが、晩には正反対に変わっていたりとか、まさに朝令暮改ですが、そうしたことをまったく気にしない人です。その代わり「早くやれ」とおっしゃいます。「早くやって間違えたら、直せばいい。止まっていたら絶対進まない」と。“熟考”というのは絶対ないですね(笑)。

奥田 その薫陶を4年間受けられた。

藤田 とくに最後の1、2年間は濃いですね。

奥田 いわばリーダー教育ですね。

藤田 もし水野さんに出会わなかったら、私はこの世界には絶対いないと思います。京大の先輩で、いま東大アメフト部でヘッドコーチをされている森清之さんという方がいるのですが、水野さんと森さんがいらしたおかげで私はこの世界に入りました。二人がいなかったら、たぶん別の道に進んでいたはずです。(つづく)
 

近所のお宅で撮った
家族写真

 フロンティアーズのヘッドコーチに就任したばかりの頃のもの。社宅住まいのとき、ご近所の方々が親切にしてくれ、子育てまで手伝ってくれたことがとてもありがたかったと藤田さんは語る。
 
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心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第206回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。