人はいつか旅立つ、遺されたものはその人を思いながら見送る。メルコ創業者・牧誠さんは2018年4月3日に息を引き取った。遡ること5年、13年3月に肺がんの手術をした。この間を彼は「『挑戦』の5年間=闘病中に伝えたかったこと」として体力的に不可能な旅プロジェクトをやってのけた。“ふたつ”もである。16年3月には酸素ボンベを車イスに積み、標高3700mの南米ボリビアのウユニ塩湖眺望を成功させた。17年4月には、北米大陸を横断する皆既日食見学を「晴れている場所を選んで現地に飛ぶ」という逆転の発想で見事に叶えた。「『出来ない』と言ってしまうのは簡単。しかし『出来る』ために何が必要かを考えて挑戦していかないと成果を得られない」=牧誠 談。東京理科大学の若林秀樹教授と語り合った。(本紙主幹・奥田喜久男)



 2016年3月20日~24日、標高3700mの南米ボリビアのウユニ塩湖を訪問。酸素ボンベの仕様確認や手配、現地病院の事前視察、食事の安全性確認など事前に想定できるリスクはすべて対策を立てた。医者や周囲の反対にあっても、決して諦めなかった牧誠氏の想いの強さの賜物のようにすら思う。――写真集「挑戦」 ウユニプロジェクトチームの編集後記より――


ウユニプロジェクトチームは、準備期間約1年を費やしてプロジェクトを成功させた


最後は天候次第だったが、幸いにも3日とも天候に恵まれた


困難に思えても、「挑戦することが大切」。それを自ら実践して実現させた

DRAM市況の短期視点から
千年ビジョンの長期視点まで

奥田 牧誠さんと若林先生は30年来の友人だったのですね。先生から私あてのメールを見て共鳴したのは、最後にあった「寂しい」というワードです。私もまったく同じ気持ちです。

若林 牧会長と最後にお会いしたのは昨年の8月でした。名古屋市天白区島田にある牧誠記念館で5時間ほど語り合いました。私はもともと野村総合研究所の研究員でして、1986年から92年に日本システムハウス協会(JASA)でベンチャービジネスの調査研究をしていて、その頃に初めてお会いしました。野村総研の上司から、「名古屋におもしろい会社があるけど、社長の言ってることがよくわからないから、お前が代わりに行ってこい」と言われて訪問したところ意気投合したのです。上場する前の話ですね。その後、私がヘッジファンドを立ち上げたりコンサルタントをしたりしている間も、定期的にお会いしていました。

奥田 牧さんとは、どのぐらいの頻度で会っていらしたのですか。

若林 年に10回ほどですから、30年で300回以上は会っていることになります。「実験屋」というのが私の信条で、机上で議論ばかりするのではなく、会社訪問や工場見学などから五感をフルに働かせて分析します。今は年間400件ぐらいですが、かつては800件の企業を訪問していました。

奥田 1社に複数回で延べ計算しても、すごい訪問件数ですね。当時、牧さんとはどんな話で盛り上がったんですか。

若林 まだノートPCも登場していない当時、メルコの売上高も大きくありませんでした。牧会長とは、メルコが将来どれくらい伸びるかといった話をよくしました。私は1000億円と答えました。PCの将来の市場規模を予測して、そこから計算したのです。もう一つは、私が98年から2002年に半導体産業研究所の諮問委員を務めていたときに、牧会長とDRAM市況についてよく議論しました。

奥田 先生だったんですか、牧さんと話をしていた相手は。牧さんは、経営者でありながら、投資家というか、DRAMの相場師のような側面ももっていましたね。

若林 私がアナリストランキングで上位になったのは、まさにDRAM市況の読みが当たったからです。まだフラッシュメモリがなかった88年に、2000年に1兆円市場になると予測しました。

奥田 そうでしたか。牧さんの話相手が先生だったことに納得しました。コンサルタントとしてメルコやバッファローの経営分析にも携わっていらしたんですね。牧さんは、先生の分析をみて唸っていましたか(笑)。

若林 「まぁ、そうだよね」とおっしゃっていました。牧会長の魅力は、DRAM市況や株などの短期的な鋭い相場観をもつとともに、千年ビジョンなどの長期で“ものごと”を考えられる人でした。物理を専攻していただけあってアカデミックな話もできれば、ものづくりや現場の実務まで理解できる幅広い知見のある方でした。“ものごと”をみるときのズームインとズームアウトがすごかった。

シマダヤの完全子会社化は
イノベーションの可能性がある

奥田 では、牧さんの実の父親が発明家で、うどんメーカーの島田屋(現:シマダヤ)を創業した方で、牧さんは四男で、跡取りのいない本家に養子に出され、親同士の間で結婚したら名古屋に戻るという約束が交わされていたこともご存じなんだ。

若林 知っていました。

奥田 牧さんは18年4月に製麺メーカー大手のシマダヤを株式交換で完全子会社にしましたね。肉親への想いが強かったとか、「飛び地」にみえるシマダヤの買収は、株主総会や記者会見で株主や記者からよく質問されたそうです。先生はどうみていますか。

若林 メルコホールディングスがシマダヤを買収したり、金融事業を運営することは正しいと考えています。今は関連性が薄いように思うかもしれませんが、シマダヤの買収は、どこでどう化けるかわかりませんよ。異なる単位のものが結合したときに、イノベーションが起きる可能性が高いからです。

奥田 説得力がありますね。

若林 単位のkgと平方メートルは掛け算できませんが、割り算をすれば密度で表すことができます。同じように、企業のM&Aも最近は変わってきていて、普通は自分のまわりの業界ばかりを気にするけど、少し離れた分野の企業と一緒になると可能性が生まれます。例えば、IT×若者は激戦地ですが、IT×年寄りやIT×農業、IT×医療は新たなバリューを生む有望な市場になりますよね。独禁法の兼ね合いもあります。近い業界同士の結合より、斜めのたすき掛けに甘かったりします。半導体製造装置メーカーの東京エレクトロンと米アプライドマテリアルズはひっかかりましたが、ソフトバンクとアームは大丈夫だったように。ITから遠い“うどんのシマダヤ”との結合はおもしろいですね。

奥田 先生は牧さんの参謀だったんですね。

若林 牧会長はスティーブ・ジョブスに先駆けて、80年代にマニュアルのないPCの必要性を唱え、PC周辺機器にイノベーションを起こして、PCを使いやすくしました。メモリボードや無線LANなどもメルコが元祖です。牧会長が米国で生まれていたら、ジョブスやビル・ゲイツ以上の経営者になっていたと思います。

奥田 そうですね。PCの市場規模が米国と日本では違いますから、米国の規模があればジョブス以上の経営者だったろうと、私もやらせてみたかったですね。さて本人が旅立つことで事業承継と明日の体制はできました。

若林 金融に強い長男の寛之さんが継いで、事業承継はこれでできましたね。これからの社長は金融施策に強くなければいけません。そこが米国と日本の社長の大きな違いでもあります。

奥田 これからのメルコには第二のトヨタを期待したいですね。
 

こぼれ話

 嗄れた声がどこからか聞こえる。「おくださ~ん、初めて来たんだけど、“あっち”も、満更捨てたもんじゃないよ」。牧誠さんの言葉はニコッと微笑んでそこで途切れた。「ちっとこっちに、こ~へんかね」と誘われたらどうしよう。ちょうど具合よく覚醒した。これまでにそれなりの数の縁ある人を見送ってきた。牧さんと同い年だからそのはずだ。心に深く刻まれているのは実の母親だ。13才の時だから遠い昔のことになる。それ以来、続けていることがある。「日記をつける」ことと、「見送った人と語る」ことである。だから夢見がちな生き方をしているのかもしれない。
 

撮影日/2000.11.13

 牧さんにはこれまで何回会っただろうか。若林先生の半分くらいか。この他に電話がかかってくる。私は電話嫌いだからいつも彼からだ。たわいのない話に始まって、近況報告を交わしながら健康状態をうかがう。それはここ数年のこと。以前は製品開発前夜の自己確認であったり、値づけ前夜のそれであったりと、さまざまだ。仕事以外の話は一度切り、伊勢神宮の御遷宮のときだ。この件は別の機会に譲ろう。

 やり取りの流れはこうだ。まず質問が飛んでくる。応えると、また飛んでくる。応酬を繰り返すうちに、こちらの打つ手が底をつく。もしくはこちらの考え方を見抜いた途端、質問が意見となって矢の如く飛んでくる。これでもかこれでもかである。二、三度はめげる。この辺りから高度な応酬話術を要する。その意見に対して応えるでもなく、はぐらかすでもなく、その真意は何かを探るうちに心の襞にいきつく。この間およそ2時間。私の成長の一端はここにある。

 そうだ。これからは私から“あっち”に電話してみよう、、、。合掌
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第208回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。