毎年1月に行っているBCN AWARDの場で、すぐれたプログラミング技術をもつ若者に対して「ITジュニア賞」を、そして今年からは16歳以下のプログラミングコンテスト優勝者に「ITジュニアU-16賞」の表彰も行っている。北海道旭川市でスタートしたU-16プロコンを全国に広めようと私たちは活動している。加藤市長にその話をしたところ、とても興味を示していただいた。こうした行脚を重ねることで、U-16プロコン(長野市は「U-15プロコン」)の輪が広がる。長野では今秋の「産業フェアin信州」で開催する。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.4.13/長野市役所にて

企業経営の経験を市政に生かす これこそが地元への恩返し

奥田 300年続いた加藤家には、過去に政治的な接点は何かあったのですか。

加藤 まったくありません。父からも政治家は使うものであって、自分でなるものじゃないと(笑)。

奥田 それではなぜ、地元長野市の市長選に出馬されたのですか。

加藤 一つは、加藤家として地域や街に対する長年の恩返しですね。もう一つは、今の政治を変えたい!という思いからです。

 今の急速な人口減少・超高齢社会の時代のなかで、あと30~40年もすれば、田舎の町や村はすべて消滅していて、まわりじゅう、年寄りだらけという大変な事態となるのです。

 ところが差し迫ったこの問題に、どの政治家からも“大変なことになる”という危機意識を示す言葉は聞こえてこない。不作為症候群が蔓延していたのです。私が商工会議所会頭の立場で政治のあり方を見ていて、もうそろそろ官も変わるべき時がきたというように感じていました。

 そんな時に市長選がありました。「よーし、やったるぞ!この変革は、私にしかできない!」と考えて挑戦したのです。

奥田 なるほど。地元の商工業者を束ねる立場になって、意気に燃えたと。

加藤 当初は政治にかかわるつもりはなかったのですが、この低成長のなかで、自分の経験を生かし、市民のお役に立とうと考えました。幸い、弟が二人いるので、彼らに会社を任せることができたということも決断するうえで大きな要素でした。

奥田 どんな部分を変えなければいけないと思われたのですか。

加藤 民間が時代の変化に対応して必死になって生きているのに、お役所は十年一日のごとく変化なしなのです。これは、ぜひ変えなければと考えました。

奥田 なるほど、ビジネスの考え方と一緒ですね。

加藤 会頭に就任した07年は世界金融危機による不況で、それまで名誉職だった商工会議所の会頭も商工業のリーダーとして行動していかなければならない状況でした。そこで、県内の各商工会議所と連携して行動していこうと働きかけ、現実に実践してきた経験は、市長になった今も生きていますね。

意識改革と組織改革でスピード感ある行政を目指す

奥田 13年10月の市長選で当選された。就任にあたってどんなことを打ち出したのですか。

加藤 職員にまず話したことは、市役所は、「市民のために存在する」「市民の安全を守り、市民を幸せにするためのお手伝いをする」ということです。

 具体的には次のように話をしました。「ここで皆様にお願いしたいことを三つ申し上げます。一つめは『市民はお客様』という意識で、市民に接していただきたいということ。できない理由を挙げるのではなく、どうしたら市民の要望に応えられるかを考えてほしいのです。二つめは、『挨拶』と『名札の着用』、そして、『明るく元気な挨拶』を市役所から発信していきたいのです。明るく元気な挨拶は、『おはようございます。いらっしゃいませ、今日は何のご用でしょうか』と。小売業ではあたりまえにやっていることです。三つめは役所の前例踏襲の殻を破って失敗してもいいから挑戦していただきたい」。

奥田 挨拶の励行まで入っているのですね。“三つのお願い”はすでに根づいていますか。

加藤 職員の市民への応対は劇的に変わりました。それで市民から褒められるので、誰しも、もっとよく思われるように頑張ろうという気になる。そのことが好循環になってきています。

奥田 市長とはいえ、号令をかけただけではなかなか人は動きませんよね。加藤さんは、どんな方法をとられたのですか。

加藤 挨拶の励行では、マスコミの力を借りました。今まで長野市役所には挨拶をするという習慣がなかったのです。総務部長に「全職員に挨拶を徹底させる」と伝えたら、「それでは挨拶実行委員会をつくって……」などと言うから、「何を考えているのだ! 即実行だ! 12月の第一月曜日に私が宣言するから、すべてのマスコミに連絡をしてください」と指示しました。市長就任直後だから、たいしたことでなくてもマスコミはやってくるのです(笑)。

奥田 そこで、挨拶の話をしたと……。

加藤 そうです。職員の前で、今日からきちんと挨拶を実行するぞと話しました。新聞やテレビのニュースでそれが報道されて、市民みんなが知るわけですよ。だから、職員もやらざるを得なくなってしまう。やはり意識が変われば行動が変わるのです。

奥田 なるほど、まずはマスコミですか。それは企業経営者の経験からの発想ですか。

加藤 それもあるでしょうね。

奥田 これまで培ってきた企業の風土と役所の風土は違いますか。

加藤 全然違いますね。役所で一つの事業をやると決めても、市民に対する意識調査、説明、アンケート、予算、議会と、民間企業に比べて、ものすごく時間がかかります。ある事業が赤字続きだからこれをやめるといっても、5年以上かかったりします。いずれにせよ、早く決断しなければ進まないという点では焦りますね。

奥田 同じ組織でもスピード感が違うと。

加藤 組織ということでは、市民にわかりやすいように部署名を変えたり、組織そのものの改編を行ってきました。例えば、子ども関連業務を一元化して一貫した施策展開を図るために、「こども未来部」を設置しました。そのほか、「文化スポーツ振興部」「人口減少対策課(現:人口増推進課)」、そして「マリッジサポート課」を新設しました。

奥田 「マリッジサポート課」とは具体的には、どんなことを行うのですか。

加藤 「夢先案内人」という名称の世話焼きおじさん、世話焼きおばさんを育成するのです。個人情報保護法の施行以来、プライバシーにかかわるので、世話焼きもなかなか難しいのが実情です。「あなた、結婚しなさいよ」という言い方はセクハラになると認識するなど、適切な世話の焼き方を学んでいただくわけです。夢先案内人はもう500人ほどいますが、もう少し増やしていきたいですね。

奥田 それでカップルを増やそうと。

加藤 その通りです。それと、長野市には中山間地域が多いので、イノシシ、鹿、熊などの鳥獣対策は大変重要です。これも組織改編で「いのしか対策課」という部署に一本化し、鳥獣害に関する問題はすべてここで受け付けることにしました。

 役所はどうしても縦割り社会になってしまうので、そこに横串を通して、いかに迅速な実現に向けて連携していくかが大切ですね。

奥田 市民にとっての利便性を高め、前向きな組織に変革されたわけですね。ところで、10年後を見据えたとき、どんな思いをおもちでしょうか。

加藤 私はまず10年後の長野市の姿を予測して、そこに「こうありたい」という長野市を描きます。

 今の人口減少・少子高齢化の大きな流れは変わりませんが、一つひとつの課題に対処し、とくに将来の市民に過度な負担を先送りしないよう、安定的な着地点を設けることを考えています。

 この超高齢化が進むなか、高齢者に「自分の健康は自分で守る」という意識を育んでもらい、行政はそこにお手伝いをするのです。私は、このすばらしい長野を将来にわたって守り育てる体制を築きたいと考えています。

奥田 長野市の市民は、すぐれたリーダーに恵まれて幸せですね。ますますのご活躍を期待しております。
 

こぼれ話

 人と会って話をする。「人とはなんぞや」を座標軸に置いて会話を進める。話題はあちらこちらに飛び火する。質問を繰り返すうちに、人の生き方について腑に落ちることがある。“そうなんだ”であったり、“そうなのか”であったりする。加藤さんの場合は前者であった。長野市長に就任して2期5年目になる。出身事業母体は株式会社本久だ。バリバリの実業家だ。

 本久はモトキュウと読む。長野市を本拠としていて、県内では県歌『信濃の国』と同様に根づいている。享保2年、1717年に問屋として起業。今年、創業300年を迎える。人が織りなす社会は一人ひとりの集合体である。家族、企業、国家の集合体はそれぞれに歴史を刻む。本久は300年の企業史を刻んでいる。立派なものだ。何が継続の力となっているのだろうか。

 加藤さんは本久の社長時代、その当時、隆々たる業績を上げている関連会社を売却した経験がある。理由は、その会社の業績が悪化した場合、親会社の力では支えきれないと判断したからだとか。300年の間に幾度も厳しい冬の時期を過ごしたのだろう。もしもの事態を想定して優先順位を決め、それに従う。手順は難しいことではない。が、判断する集中力、決断する胆力、実行して悔いを残さない覚悟。――“そうなんだ”と思った。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第215回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。