南方熊楠という学者をご存じだろうか。粘菌(変形菌)研究の第一人者で、植物学や民族学・博物学における近代日本のさきがけ的存在。その広く深い知識をもって「知の巨人」と讃えられる一方で、常識にとらわれない言動によって「奇人」とも呼ばれた。そんな熊楠の名を冠した賞を『蘇るムラの神々』『地域神社の宗教学』などの著者である皇學館大学大学院の櫻井教授が受賞された。櫻井先生の研究と熊楠翁の接点はどこにあるのか。ここだけの特別講義をお願いしよう。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.7.14/BCN 22世紀アカデミールームにて

神仏分離令と廃仏毀釈は分けて考えるべき

奥田 第28回「南方熊楠賞」受賞、本当におめでとうございます。

櫻井 ありがとうございます。

奥田 僕は南方熊楠が大好きで、和歌山にある記念館に3回行っているんですよ。それに大学の同期生である櫻井先生が熊楠賞を受賞されたというので二重にうれしいですね。

櫻井 3回も行かれたのですか。私よりも多いです(笑)。

奥田 今回の受賞は、先生のどういうところが評価されたのですか。熊楠は粘菌の研究で有名ですよね。

櫻井 熊楠は粘菌を研究する一方で、世界の文化や伝説などの研究をしていた人物です。なので、賞には自然科学系と人文系の両方があって、基本的に毎年交互に替わります。ですから、28回といっても人文系での受賞者は私で16人目となります。

奥田 人文系で16分の1ということですね。すごいなあ。

櫻井 いやいや、熊楠の名前を冠した賞をいただいたことに恐縮しています。

奥田 南方熊楠の詳細については別枠を参照していただくとして、受賞された理由を拝見すると、「熊楠が反対運動をしていた神社合祀後の地域社会の様相と変容についてのフィールドワークが評価された」とありますが、これはどういうことなのか、本日は特別講義をお願いします(笑)。

櫻井 まずは近代日本における宗教の状況から説明しましょう。明治に入ると、日本の宗教の様子は前近代に比べてすごく変化してきました。一つが明治元年に発令された神仏分離令。神仏分離は神なのか仏なのかをはっきりさせること。発令に伴い、激化して排斥まで行ってしまったのが、廃仏毀釈。あまりに激しくなっていくので、政府は同じ年に「神仏分離は廃仏毀釈に非ず」という法令を出しているくらいです。

奥田 それでも止められなかった。

櫻井 止まりませんでした。動きが激しいところでは仏壇や仏具を燃やしたり、海外に流出させたり…。危機に及んだのは奈良県にある興福寺ですね。ここの五重塔が安売りに出されたといわれています。

奥田 そもそも、神仏を分離させたのはなぜですか。

櫻井 神社から仏教的な要素を取り除こうとしたのです。当時は僧侶が神前で祭祀に奉仕するということが、古くからある神社でかなり一般的でした。社僧といいます。先に挙げた興福寺の僧侶も社僧として春日大社のお祭りをしていました。

奥田 その逆もあったんですか。神職が寺で奉仕をするとか。

櫻井 それはありません。僧侶のほうが大きな力をもっていましたから。

奥田 その傾向は、いつ頃から強まったのでしょうか。

櫻井 神仏習合思想の始まりでいうと、奈良時代ですね。祇園祭りで有名な八坂神社も元は祇園社とか祇園感神院と呼ばれていて、宝寿院というお寺さんがトップだったんですが、それをさらに統括していたのが比叡山。明治政府はそうした状況を変革しようとしたのです。

奥田 織田信長みたいにですか。

櫻井 焼き討ちはしませんが(笑)。ともあれ、それまで強い実権のもととなっていた寺檀制度が崩壊するわけです。廃仏毀釈は行き過ぎたけれども、とにかく神と仏は分離したと。しかし、近代の神道史を概観しますと、神社と国家の関係について、伝統性と近代化という点でいろんな問題を含んでいました。

環境保全の先駆的役割を果たした南方熊楠

奥田 どんな問題が?

櫻井 新政府は、全国神社を管掌し、神社を「国家ノ宗祀」と位置づけ、神社の格式を決めます。大きくは、官社と民社に分けたのです。官社は由緒ある古社で、国家からそれなりの待遇をうけるのですが、民社、すなわち生活に身近な神社については、人々の信仰にまかせるとしました。官社の数はわずかですが、当時、約17万もあった大半の神社をどうすればいいのかという問題が起こります。

奥田 17万とはすごい数ですね。ちなみに現在はどのくらいあるのですか。

櫻井 今は神社本庁に登録されている神社で8万とされていますね。

奥田 今でもコンビニの店数より多い。それでどうしたのですか。

櫻井 17万のなかには、名前のない祠や、施設・設備が神社の体をなしていないものも公簿に登載されていました。それである程度整理をして、将来もきちんと維持ができるように整えよう、と内務省神社局が施策展開を図ります。

奥田 なるほど。

櫻井 一方、明治37-8年、日露戦争の折、日本は外国から国家財政の数倍の金額を借金して戦費をまかないました。戦争には勝ったけれど、国家財政は非常に厳しい。国がそうですから、地方はもっと疲弊をしていく。

奥田 そのことはあまり報道されていませんよね。戦争に勝ったことばかり強調されて。

櫻井 その通りです。疲弊していく地方を立て直すにはどうするかとなったとき、もっと効率よく運用しようとなるわけです。つまり、村ごとに小学校や農協、郵便局を置いたりしているけど、それを広域の行政村単位で統廃合し効率よく運営しようと。

奥田 現在の市町村合併のようなものですね。

櫻井 似ています。ただ、そうすることで行政的な効率化は図れるけれど、人々の気持ちとしてのムラ意識は残っている。広域的な行政を推進するために、それぞれのムラで祀っていた氏神さんを一か所にまとめて精神的に行政単位の一村としてつながり、ムラの意識をそこに集中させましょうという内務省地方局の思惑もあったわけです。

奥田 そのことに関しては納得しますね。

櫻井 こうして二方向からの考えが合致して、明治39年頃から本格的に神社の合祀が始まったわけですが、その過程で合祀された側の鎮守の森を伐採して儲けようなどという私利私欲に走る輩も出てくるわけです。

奥田 先生、そろそろ南方熊楠は出てきますか。

櫻井 これからです。伐採対象の森には熊楠が生物調査や採集をしていた田辺湾に浮かぶ神島(かしま)をはじめ、あちこちで神社の大木が伐られるのを耳にして彼は立ち上がるわけです。

奥田 それは自分が行う研究のためにということですか。

櫻井 いやそれだけではなくて、日本人の信仰心を希薄化させるとか、当時ヨーロッパで台頭していた「エコロギア」、今でいうエコロジーの概念に基づいて、環境保全の先駆的な主張をしたといわれています。熊楠は強い発信力を生かして複数の新聞に書いたり、知り合いの柳田國男に合祀政策を止めてくれと頼んだり。不逞な動きをする人たちを実名で批判する一方、神島については天然記念物にするよう熱心に活動しました。

奥田 お話をうかがってようやく点と点がつながりました。なぜ合祀反対が森の伐採とつながるのか、疑問でしたから。
(つづく)
 

粘菌をかたどった記念のトロフィー

 没後50周年記念事業として設立された「南方熊楠賞」。民俗学・博物学の両分野に秀でた熊楠に因み、1991年の第1回から、毎年交互にそれぞれの分野で顕著な業績のあった研究者に贈られている。過去には中沢新一氏や山折哲雄氏らが受賞。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第217回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。