コンピューターゲームを使ったスポーツ・競技“e(エレクトロニック)スポーツ”のプロチームをもつ「プロスポーツクラブ名古屋OJA」。運営会社の社長でありゼネラルマネジャーの片桐正大さんは、長年スポーツ業界のビジネスマンとして、世界各地で活躍してきた。現在は日本のeスポーツ産業の振興に人生をかけて取り組んでいる。「先輩からいただいた恩を後輩に返す」と片桐さん。その人生観はどのように生まれたのか、なぜeスポーツに参入したのかに迫る。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.5.10/東京都港区赤坂のJETRO応接室にて

大好きなスポーツで恩返し 人生観を決定づけた原風景

奥田 なぜ、ビジネスマンとしてスポーツ産業に入られたのですか。

片桐 学生時代にスポーツの世界で生きていくことを決意しました。当時の私には、スポーツ産業は大変おもしろい仕事だと思えたのです。しかし、持って生まれた才能に限界があるとも感じました。であるならば、大好きな分野の周辺で生きていけば、世の中に恩返しできる実績を残せるのではないかと単純に考えて、“好き”を仕事にしました。

奥田 学生というと、18歳くらいですよね。そんなに若い頃から“世の中”という認識があったのですか。

片桐 私は両親に大変恵まれていたので、若くして海外によく触れる人生を送っていたからかもしれません。小学5年生の頃に、3カ月もの長い間、ヨーロッパに連れて行ってくれました。当時は1980年代で、バブルの入り口みたいな時期でした。みんな右肩上がりの世の中を信じて、父親たちが一生懸命に働いていました。土曜日も半ドンで会社勤めをするのが当たり前の時代だった。

奥田 今なら“ブラック企業”ですね(笑)。

片桐 そんな日本で父親たちの懸命に働く姿を見て育って、ヨーロッパに行ってみたら、金曜日の午後3時以降はほとんど働いていない。そういうところを実際に目にして、「これは素晴らしい。ゆとりがあって、進んだ国だなぁ」と思ったのです。

奥田 小学5年生で…。

片桐 はい。おそらく父親の影響を受けているはずですが…。「こういう世界こそが進んでいる国なんだぞ。こんなことができるのは戦争に勝ったからなんだ」と。正しいのかどうかわかりませんが、これが私の原風景になっています。

奥田 おぉ~。それはもう、お父さんは信念として片桐さんに植えつけられたのですか。

片桐 おそらくそうですね。しかし、それだけだとバランスが悪いと思ったのか、次の年に、当時世界最貧国に挙げられていたインド・ネパールを2カ月旅行しました。空港に降りた途端、背の低かった私は、同じような背丈の男の子たちに囲まれて、「バクシーシ(お恵みを)」と迫られました。目線が低いので、さらにその下から手を伸ばしている子どもにも気がつきます。で、その子をよく見ると足がない。そこで父が「この子の足は、おそらくこの子の父親のせいだろう。なぜなら、この国にはカースト制度というものがあるからだ。よかれと思って、より優秀な物乞いになれるように足を切ったんだよ」という説明をしました。本当か嘘かまったくわからないし、事実は確認しようがないはずですが…。

奥田 それは、お父さんがその時に?

片桐 はい。多感な時期の私に説明してくれました。「日本人はなんて恵まれているんだ」と素直に思いました。前の年は「日本は遅れているぞ」と思い、その翌年には「日本はこんなに進んでいるんだ」と、相反する価値観を与えてもらいました。こんな体験を通じて日本の先輩方から受けた恩恵を感じ、後輩へ恩返しする使命感が芽生えたのだと思います。

eスポーツとの出会い 集いを価値に変えるビジネス

奥田 スポーツとの接点はいつごろですか。

片桐 もともとスポーツ大好きで育てられてきました。ただ、中・高と遊び呆けてしまったので、大学からスポーツ選手として身を立てるのは難しいわけです。何かスポーツと関わって仕事をする方法はないかと探して、いろいろな方に話を聞いて、スポーツのマネジメントという領域があることを知りました。そして最終的には、プロ野球球団の新卒社員になりました。

奥田 何か、ゴールはありますか。

片桐 当時は、世界で一番ファンの多いプロスポーツクラブを所有するという目標を立てていました。

奥田 今まさにその夢に向けて、一昨年、名古屋OJAを立ち上げた、と。

片桐 プロスポーツクラブと称しておりますが、今はeスポーツチームしかありません。今後、いろいろなスポーツチームを運営していきたいと考えています。

奥田 自分で事業を立ち上げたのは今回が初めてですか。

片桐 実は数社経営しています。最初の法人は、2012~13年頃に現地駐在の日本人子弟のために、中国で始めたサッカースクールです。当時の中国のサッカーはまだ日本より遅れていたので、日本から指導者を招きました。連れてくるからには、その人の人生に責任を持たなければいけないので、お金を得る仕組みや支払う仕組み、納税、ビザの発行などの手続きをこなしていたら、勢いで法人になりました。その後、3カ国5都市でサッカースクールやチアダンススクールを経営しました。

 それからさらに、プロサッカークラブとの共同事業に取り組み、インドネシアで展開していたある時、友人から「赤道付近の東南アジアは暑すぎてサッカーの品質が上がらない。なので、ゲーミングハウスを始めたんだ」ということを教えてもらいました。

奥田 あ~、そこでeスポーツと出会ったわけですね。

片桐 「なにそれ、おもしろいね」ということで見せてもらったのが、お屋敷を新しく借りて、7~8人の選手と4~5人の使用人がいて、最新のPCがあって、と。「これ、なんなの」と聞くと、「知らないのか、eスポーツっていうんだ。東南アジアにリーグがあって、隣のマレーシアの王子の息子が同じようなチームをもっていて、なかなかそこに勝てないんだ」と言っていました。この話を聞いて、「これは国と国の壁を軽く越えるんだな」と思いました。日本ではどうなっているのかと思って調査すると、そもそも市場がない。その時にいろいろな方と相談する中で、新しいリーグができると聞き、リーグやプロチームをつくるのは私の得意とする分野なので、それはできるに違いないと思い込んで16年に入ったのが、日本eスポーツリーグです。現在は5チームが参加しています。

奥田 私たちの業界そのものがクロモノの産業なので、eスポーツはすごく近い存在です。eスポーツの土俵が大きくなればなるほど、業界も恩恵を受けることになります。応援は惜しみませんよ。

片桐 私がスポーツビジネスをやってきて得たのは、「スポーツは集いをつくるもの」だということです。これは、私が今も尊敬してやまない、ダイエーホークスの当時副社長であった高塚猛さんの言葉です。「集いでできた価値を他の産業と分け合うのだ」と言っておられました。今もそれを胆に銘じて仕事をしています。グッズや道具、PCのようなスケールの話ではなく、コンテンツ全体の話です。人生をかけてeスポーツに取り組む人がいれば、人生そのものを抱え込む気概で市場をつくりにくる人もいるんです。その気概と気合を共有できる人を集めたい、という願望をもっています。

奥田 日本のeスポーツ産業を変えることはできますか。

片桐 現在は、ほぼ100%の時間を名古屋OJAに費やすほど精一杯取り組んでおります。これはこれでライフワークとしてやりながら、いつの日にか、スポーツ業界で得た知見を生かしながら、今のeスポーツのもつ特徴を最大限生かしたエコシステムをつくっていきたいと考えています。

こぼれ話

 OJAは“王者”と読む。OJAを声に出して叫んでみるとしよう。野球場で選手にエールを送る感じだ。「お~じゃ」「お~じゃ」「お~じゃ」「名古屋のお~じゃ」。まだ一般的ではないけれど、近い将来、OJAのチームにお気に入りの選手ができて、その人の対戦の様子をインターネットで観戦しながら、「お~じゃ」と歓声をあげるわけだ。こうしたスポーツ観戦風景は取り立てて珍しくもない。しかし、バーチャルの世界では様相が異なる。パソコンの画面を睨みつけながら、手指を激しく動かしてパソコンゲームの技を競い合っている場面が現れるのだ。これを「eスポーツ」と呼ぶ。

 さて、ところ変わって、ある家庭でのシーン。「またパソコンゲームやってるの? もういい加減にやめて、勉強したら…」。実にありふれた光景ではないか。多くの家庭で一日一回かわされているやりとりではないか。

 そうした親の制止を振り切って、飛び抜けて強いゲーマーがプロのライセンスを取り、賞金を稼いでいる。ほんとにこんな世界があるのだろうか。あなたはeスポーツに賛成派?それとも反対派?。ここで片桐少年に登場していただこう。小学5年生の時に3カ月間ヨーロッパの旅。6年生の時はインド・ネパール2カ月の旅。この体験で少年の価値観は破壊され、時を経て新たな価値観を築いた。話をしながら、そう仕向けた片桐さんの父君に会って話をしてみたい、と思った。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第218回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。