「千人回峰」は文字通り千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいとの願いを込めて開始した連載である。千人の中には同一人物に再度登場していただく場合もある。その方が大きく変化されたケースがそれに当たる。小間裕康さんもその一人だ。地元神戸で阪神淡路大震災を経験した後、独学で学んだピアノで人々を楽しませたことをきっかけに、ビジネスという大海原に乗り出した。時に追い風に乗り、時に荒波にもまれながら、今、二度目の舵を大きく切ろうとしておられる。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.11.2/BCN 22世紀アカデミールームにて

電気自動車との出会いは学び直しの京都大学大学院で

奥田 小間さんには『千人回峰』に以前登場いただいています。第93回(2013年10月)、電気自動車事業に取り組む京都発のベンチャー「グリーンロードモータース」(現:GLM)の代表取締役社長としてお話をうかがいました。

小間 ちょうど「トミーカイラ・ZZ」の量産体制が整った時期でした。

奥田 すごく喜んでいらしたのを覚えています。ちょっとおさらいすると、会社を立ち上げられたのが2010年。電気自動車の開発は、もともと京都大学のベンチャー・ビジネス・ラボラトリーで発足したプロジェクトだったんですよね。

小間 そうです。「京都電気自動車プロジェクト」といいます。ちょうどその頃、ビジネスのABCを学び直すために京都大学の大学院に通っていてプロジェクトと出会いました。

奥田 大学院に行かれたのは、どういった理由で?

小間 それまで人材派遣の会社で国内外の家電メーカーへのBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)事業を展開していたのですが、ビジネスが拡大して上層部の人と会う機会が多くなるにつれて、自分自身の知識や知見、語彙の少なさを痛感するようになって。

奥田 話についていけなくなった。

小間 最初はハウツー本を読みあさっていたんですが、ビジネスの先輩からMBAの話を聞いて、どうせなら関西の最高学府で学びたいと、京大を受験しました。

奥田 我流だったビジネススキームを、系統立てて聴講してみたい、学びたいということですね。

小間 京大がMBAコースを創設してまだ4期目だったこともあるのか、おそらくポテンシャル採用だったと思いますが入学できたんです。

奥田 そこで電気自動車に出会われた。そして会社を設立。順調ですね。

小間 とんでもない。最初は大変でした。設立の資本金は私が貯めたものを出したんですが、すぐに追加することになって。

奥田 どのくらい出資したんですか。

小間 最初は1000万円くらい。でも最終的には1億円近くになりました。

奥田 大変な金額になりましたね。

小間 派遣の時代に10年間かけて貯めたお金が、1年で底を尽きかけました。資金がどんどんなくなっていく怖さを実感したものです。

奥田 よく分かります。僕はいく度もそういう思いをしているから(笑)。本当に怖いですよね。

小間 怖いだけでなく、それまでにあった自信のようなものもなくなっていくんです。まあ、自信といっても確たる根拠があるわけではなかったのですが……。

奥田 それも分かります。お金がなくなると同時に自信もなくなる。でも、経営者はそうなってはいけない。このことはベンチャー企業でお金の苦労をしている経営者に大きな声で言いたいですね。お金は減らしても自信を減らしてはいけない、と。

小間 身に沁みます。自分一人でやっていく限界を痛切に感じました。

奥田 それは小間さんの限界ではなく、事業枠の限界なんですけどね。それでどうされたんですか。

小間 資金的には厳しかったんですが、開発のほうは一緒に始めたメンバーががんばってくれて少し先が見えかけていました。なので、そこに共感してもらえる方にリスクを分担していただこうと、いろいろな方に協力を仰ぎ始めたんです。設立して1年が経とうとしていた頃です。

そうそうたる出資元に鼓舞されてナンバーの取得と量産体制を実現

奥田 出資先を募られた。以前の取材では、エンジェルとしてソニーの出井伸之さんや江崎グリコ創業家の江崎正道さんのお名前が挙がっていましたが、最初に応援するよと言ってくれたのはどなたですか。

小間 法人ではニチコンさん。京都でコンデンサや回路製品の開発・製造・販売を手掛けておいでです。個人では那珂通雅さん。当時、シティグループ証券の取締役副社長をされており、友人の個人的な紹介から最初のサポーターになっていただきました。

奥田 江崎さんとは不思議なご縁があったとか。

小間 たまたま同じマンションに住んでいたんです。正直、私には身の丈を超えた住まいだったんですが、「いいところに住むことで、自分を高めろ」という祖父の教えに従い背伸びして住んでいました。

奥田 出資を頼みに行ったんですか。

小間 いえいえ、実は会社を立ち上げる頃、敷地内に充電スタンドを作りたいと。電気自動車を開発する会社を立ち上げるからには自分自身も乗らなくてはと思っていた時で、当時江崎さんが管理組合の理事長だったのでお願いしに行ったんです。

奥田 あ、そちらのほうか(笑)。

小間 結果的には充電スタンドの設置は実現しなかったんですが、その1年後くらいにマンションのフロントを通じてご連絡をいただいたんです。

奥田 出資の件だとすぐ分かりましたか。

小間 いえ全然。充電スタンドが置けるようになったのかな、なんて考えながらマンションのロビーにうかがうと、どこから調達されたのか、私が作った投資用の資料を手にしていらして、驚きました。しかもその時点で、大きな額を出資すると決めてくださっていて。

奥田 うれしいサプライズでしたね。

小間 はい。すごくうれしかったのですが、実情をきちんとお伝えしなくてはと、まだナンバーが取れていない、などのネガティブな情報を全部お話しました。

奥田 それでも出資をしていただいた。事業に対する自信は戻りましたか。

小間 そうですね。自信と同時に重い責任も感じました。江崎さんだけでなく、出資していただいた皆さん全員に対する責任。絶対に逃げてはいけないという……。

奥田 その後、ナンバーが取れたのが2012年。

小間 そうそうたる方々に出資をしていただいたということで、社員の心に火がつきました。何がなんでもやらなくてはと、全員が必死でした。

奥田 今さらの質問で恐縮ですが、ナンバーを取るのはそんなに難しいものなんですか。

小間 「ナンバー取得」というのは、公道を走っていいという国土交通省からの許可のことをいいます。ご存じのように自動車というのは命を預かる道具なので、ものづくりの中でも最高クラスの安全性を担保しておかないと許可が得られないんです。過去にも多くの新興の会社が自動車会社を目指しましたが、ナンバーを取得できずに挫折してきました。

奥田 なるほど。自動車を買う側にとっては当たり前のように付いてくるナンバーですが、製造する側には高いハードルだったんですね。

小間 ナンバーの取得だけでなく、その後の量産体制や品質管理体制が構築できるかも大きな課題でした。電気自動車に対する社会的な期待が高まっていた時期で、同じように電気自動車に対する安全基準が高くなり、さまざまな要件をクリアしないと量産ができなくなっていったのです。合格しなければいけない試験がどんどん増えていって、現場は本当に大変でした。

奥田 なるほど。前回の取材はそれらをすべてクリアして、量産体制が整ったというタイミングだったのですね。小間さんの満面の笑みの理由が今さらながら分かりました。
(つづく)

ご長男の成長を願う手彫りの彫刻

 小間さんが事業家としての考え方を教わったというお祖父さま手彫りの像。優しい表情と見事な後光が印象的。繊細な後光を壊さないよう、お住まいの香港に移動する際には、ハンドキャリーで大切に運ばれたのだとか。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第227回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。