旅の蜃気楼

大野健さんを偲ぶ

2002/12/02 15:38

週刊BCN 2002年12月02日vol.968掲載

▼街にいると山が恋しい。山にいると街が恋しい。人間はわがままにできているんですね。そうはいうけれど、もっと恋しいものがある。人だ。大野健さん、68歳。11月21日に他界した。綜合システムプロダクツの社長。1977年2月、日本事務器を退社、オフィスコンピュータのソフト開発会社を創業した。当時のコンピュータはメインフレームとオフコンが主流で、個人がコンピュータを占有して使う時代ではなかった。ソフト会社はハードを販売するメーカーやオフコン販売代理店の周辺に集まり、集団を形成してハードメーカーを旗頭にして競争していた。大野さんはNECの道をとった。

▼人生とは、ときおりドラマがある。創業期の頃、時期を同じくして、大塚商会はオフコン事業の舵を大きく切った。内田洋行からNECに販売機種を乗り換える荒技をとった。当時の内田洋行・オフコン軍団は肩で風を切る勢いだ。NECとは激烈な戦いをしていた。大塚商会のコンピュータ事業部は15人からのスタートであった。その事業のトップに複写機を販売してきた楢葉勇雄さんが就いた。あるとき、「僕はコンピュータのことは何も知らない。大野さん、教えて欲しい」。こんな率直な言葉が、楢葉さんの口から飛び出した。「何をおっしゃいますやら、僕なんかだめですよ。でも、本気ですか」。それ以来意気投合、「楢葉-大野」の静かな勉強会が始まった。

▼「もう一軒、行きましょうや。ねえ、いいでしょう。ナラハさん」。二軒目はカラオケのバーと決まっていた。おなじみの店もあったようで、銀座、赤坂、新宿と、お酒を楽しむよりは、傍らの美しどころと会話を楽しみ、「僕の職業、何だと思う」。ワーッと場が盛り上がり、「では、帰りましょか」。といった感じだ。柔らかな関西弁で、心をつかむ名人であった。熱い心。広い心。強い心。究める心。いつも「心」を大切にしていた。社是は「先心後技」。ガンとの闘病は10年近い。訃報は突然だった。「もう一度会いたかったね」。楢葉さんの思いは一人だけではない。合掌。(玉泉院発・笠間直)
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