旅の蜃気楼

許しあうこと

2003/01/06 15:38

週刊BCN 2003年01月06日vol.972掲載

 お雑煮の匂いだ。ああたまらない。街にいると山が恋しい。山にいると街が恋しい。人間はわがままにできているんですね。おお、焼き餅の匂いがする。お正月だ。あなたはどの人が作ってくれたおせち料理を、思い描きますか。この料理ばかりは、毎年同じメニューだ。年年歳歳、待ち遠しくなる。あと、20年間、生きるとしたら、1年に1回の限定版だから、20回食べることになる。あと何回か、と回数を数え始めると、切なくなるから、今、この瞬間をおいしく楽しく味わっている。

 今年はどんな年になるんでしょうか。多くの読者の方と、同じ話を幾度もした。良くなってほしいものだ、とだれもが期待をする。BCNのコラム・北斗子は前号でいう。2001年の世界は“戦”だった。02年は“帰”であった。03年はそろそろ“喜”の到来を願う、と。同感である。日本だけでなく、世界の人々がそう願っているはずだ。年を追ってこの思い増え続け、見えないエネルギーとして大気圏に充満し始めているはずだ。もう、がまんならない。爆発のときだ。“幸せ”でありたい。幸せとは何か。それは、お互いが安定した人間関係で、“にこっ”と微笑み合うことではないのか。

 NHK素人のど自慢大会の総集編を見た。1952年に渡米して、アメリカ人と結婚し家族をつくり、移住した美しい日本人女性が登場した。会場でご主人と家族が応援した。司会者は聞いた。「結婚生活、50年の間にはいろいろなことがあったでしょう。長続きした秘訣はなんですか」。それまで、多少たどたどしく聞こえる英語なまりの日本語で話していた女性が突然、ネイティブ・イングリッシュで「forgiveness & forget」と答えた。司会者はちょっと間をおいて、「許しあうこと、そして、忘れること」と通訳した。相手を思いやること、譲り合う気持ちが根底にある。弱肉強食で勝ち残ることを賛美する風潮のなかで、今、譲りあうことには崇高な勇気がいる。勇気とは“見切り”だ。今年は“見切る”年だ。(本郷発・笠間 直)
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