経済産業省が今年度末を目標に策定する「組込みソフトウェアスキル標準(組込みスキル標準)」を、グローバルスタンダードに引き上げようとする動きが活発化している。デジタル家電や車載情報機器などに組込まれるソフトウェア分野は、「日本のIT産業にとって、国際的な優位性を保てる唯一残された領域」(経済産業省の組込みソフトウェア開発力強化推進委員会関係者)であるからだ。グローバルスタンダード化で何度も欧米の後塵を拝してきた日本のIT産業にとって、組込みスキル標準に馳せる思いは熱い。(安藤章司●取材/文)
国内電気・機械メーカーの競争力強化へ
■経産省、今年度末をめどに策定 世界で通用する標準に 組込みソフトウェアスキル標準(組込みスキル標準)」の策定作業が急ピッチで進むなか、これをグローバルな標準として機能させようという動きが活発化している。2002年末に策定された「ITスキル標準(ITSS)」が国内中心の標準であるのとは対照的だ。
経済産業省の平山利幸・商務情報政策局情報処理振興課係長は、「わが国の国際的な強さが際立っているのは製造業」と、デジタル家電などの最終製品に強い国内産業の特性を指摘する。デジタル家電に代表されるように、最終製品の強さの源泉がソフトウェアにある点が、近年の大きな特徴だ。メーカーのなかには汎用的なハードウェアを使ってコストを下げ、ソフトウェアの力で製品価値を高める動きも出てきている。
こうした動きに対応する形で、経済産業省では今年度末をめどに組込みスキル標準を策定し、組込みソフトの生産性向上を図る。だが、組込みソフトを活用する中心となる電気や機械製造業は、早くから海外生産などグローバル化を進めている。このため、組込みスキル標準についても、グローバル化に対応した仕組みを採り入れなければ「つくった意義が半減する」(経済産業省の組込みソフトウェア開発力強化推進委員会関係者)という意見が相次いでいる。
組込みスキル標準を策定する委員の1人であるNECエレクトロニクスの門田浩・ソフトウェア開発推進室シニアソフトウェア戦略プロフェッショナルは、「基本的にはグローバルで展開できるデファクト(世界標準)戦略を進めたい」と、国内製造業の競争力を高める戦略的な要素を組込みスキル標準に盛り込む考えを示す。
同じく委員のコアの詰素之・取締役専務執行役員システムウェア事業カンパニー社長は、「欧米を中心とするISOやCMM(ソフトウェア開発の能力成熟度を定義する品質管理基準)などの国際的な基準と並んで、日本の組込みスキル標準を世界に普及させる」と、国際基準として通用する標準に仕立てるべきだと強調する。
しかし、経済産業省のなかには、「表立ってグローバル展開するとは言いにくい」(経済産業省関係者)事情がある。いま、ソフトウェア産業は急速にオフショア開発化が進んでおり、中国やインドなどでの開発比重が高まる方向にある。国が税金を投入して策定した組込みスキル標準のグローバル化が海外生産を後押しすることになれば「国益に反する」(同)と神経を尖らせているからだ。失業対策や中小企業の育成など、総合的な見地からすれば、仕事が海外に流出すると産業の空洞化を招くと危機感を抱く。
■考え方は“すり合わせ型”国内産業にもプラス これに対し、委員で東芝セミコンダクター社の田丸喜一郎・ブロードバンドシステムLSI開発センター参事は、「やり方によっては国益に反するどころか、プラスに作用する」と、組込みスキル標準の作り方次第でグローバル展開してもなお、国内産業にプラスに働くと言い切る。
田丸参事は、「“組み合わせ型”と“すり合わせ型”」の考え方の違いを指摘する。欧米企業の多くは、非常に優れたアーキテクト(設計者)がトップに立ち、トップダウン方式で各部品を開発させる。製品化する段階で個々に開発した部品類を組み合わせて、最終製品に仕立てる。これを組み合わせ型と呼ぶ。
組み合わせ型の場合は、トップに立つアーキテクトさえ優秀ならば、個々の部品を開発する技術者の水準は、それほど高くなくても済む。このため、生産効率が非常に高く、海外展開も容易だ。
一方、日本企業の多くは、均質な技術水準を持つ技術者が寄り合って、互いに相談を繰り返しながら「技術をすり合わせていく」(田丸参事)方式が主流を占める。このすり合わせ方式の最大の利点は、組み合わせ型の生産効率には及ばないものの、品質の良いものができる点にある。
組込みスキル標準は、日本企業のお家芸とも言えるすり合わせ型の要素をベースに策定することで、「競合する欧米企業にとって有利に働きにくいようにすることは十分に可能」(同)と、仮に組込みスキル標準を世界中にばらまいたとしても、最終的には日本企業に最も有利に働くようになると話す。
ITの世界では、欧米企業が考案した規格が次々と世界標準となり、日本企業はこの標準に振り回された苦い経験がある。デジタル家電などで優位にあるタイミングを突いて組込みスキル標準を世界に打ち出せば、逆に日本発のデファクトスタンダードを創出でき、日本企業がリーダーシップを発揮できるのではないかとの期待が高まっている。組立や最終製品の製造は海外流出しても、“中枢”部分のスキルは国内に残る。
このタイミングを逃せば、「組込みソフトの価値を高められず、労働力の安い海外での開発が加速しかねない」と(NECエレクトロニクスの門田シニアソフトウェア戦略プロフェッショナル)と危惧する声も聞こえてくる。
世界標準を目指すとなれば、今後、国際的な普及・啓蒙活動が求められるのは必至だ。国の枠組みを超えて、日本の製造業の競争力を高めるためのグローバル展開を成し遂げられるか――。組込みスキル標準の真価が問われるのはこれからだ。
 | | バージョン1.0は今年度末に | | | 「組込みソフトウェアスキル標準(組込みスキル標準)」では、携帯電話やカーナビゲーション、デジタル家電などに組み込まれるソフトウェアの開発スキル標準を定める。一般企業などで使う汎用的な情報システムの開発スキルについては、2002年末に「ITスキル標準(ITSS)」の名称で経済産業省によって標準化されている。 今回の「組込みスキル標準」は、ITSSとの整合性を保ちながら、今年度末までをめどに初版の「バージョン1.0」を公開。来年度は委員として策定作業に関わった企業を中心に、実際に組込みスキル標準を導入した実証実験が行われる。さらに、06年度中には、ハードウェアも含めた“組込みシステム”としての標準化に、作業のコマが進む予定となっている。 | |