1990年代は、ネットバブルの“震源地”だった米国西海岸で過した。「日本と全く違うITのカルチャーに刺激を受けた」と、旧ロータス在籍中には、米国永住権「グリーンカード」も取得した。大学時代は統計数学を専攻。「数学者を目指した」が、卒業後は「研究色の強い仕事を希望」して、当時ミニコンで一世を風靡していた日本ディジタルイクイップメント(日本DEC)の研究開発センターに入社。OSの日本語化を担当した。だが、入社後わずかで、米国本社勤めを言い渡される。実は、これを指示したのが当時の上司で現アリエル・ネットワーク会長の栗村信一郎氏だった。
「行き当たりばったりで仕事をしてきたかな。でも、日本のIT、特にソフトウェア産業を世界レベルに高めるという意識は一貫してもっていた」一時は、米国でITコンサルティングを開業した。だが、再び栗本会長の目に止まり日本に舞い戻った。
「社長を長くやるつもりはない。でも、当社のPtoP(ピア・ツー・ピア)技術は優秀。この技術と当社のグループウェアを世界に発信したい」と、同社のPtoP技術を世界標準にすべく、米国に乗り込むつもりだ。今でも家族は米国暮らしを続ける。「本拠地は米国。いつかは米国で一旗上げる」のが夢。「シリコンバレーに日本旋風を巻き起こす」と、壮大な人生設計を立てるアントレプレナー(起業家)精神の持ち主だ。
プロフィール
小松 宏行
(こまつ ひろゆき)1964年2月、広島市生まれ。87年、東京大学理学部数学科卒業。同年、日本ディジタルイクイップメント(日本DEC)研究開発センターに入社。89年から1年間、米DECのソフトウェア本部に出向。94年、ロータスに入社。デスクトップ開発に携わる。97年、インターネットニュース配信の米ポイントキャストに入社し、東京と香港のデータセンター開設を統括。同年、アプリケーションベンダーの米キバ・ソフトウェアに入社。02年、アリエル・ネットワークの最高執行責任者。04年2月から現職。