ソフトのライセンスをWebサイトで販売・購入する仕組み。ソフトをパッケージで販売するのが一般的だった2000年前後に、藤田健治はこの仕組みを日本に持ち込んだ。米ライセンスオンラインの日本での事業化権利を取得し、同社の日本法人を、当時在籍していた三井物産の社内ベンチャーとして立ち上げ。31歳で初代社長に就く。ソフトメーカーと販社、そしてユーザー企業をつなげるプラットフォームをWeb上に作った。
藤田は、ソフト販売のビジネスロジックを熟知するソフト流通のプロだ。90年代中盤、三井物産が米シマンテックの国内総販売代理店契約を結んだことで、同社セキュリティソフトの法人販売で2次代理店網の構築を任された。ライセンス体系から保守料金の設定など、わずか3人しかいないチームで年間20億円を売り上げる。ここでソフト流通のチャネル販売を徹底的に学んだ。そして、そのノウハウを生かし、ライセンスオンラインを軌道に乗せる。
なんとはなしに東京工業大学を志望して入学し、「商いをしたい」という漠然とした思いから三井物産に入社。ITに関心が高いわけでもなく、「東工大時代も落ちこぼれで、商社勤めなのに英語もしゃべれず、優秀なほうではなかった」。そんな藤田は、ソフト販売事業で自らの能力を開花させた。
咲かせた花は、ビープラッツという企業の創業経営者という形で結実した。事業内容はSaaS型サービスを提供したいソフトメーカーの支援。ソフトのライセンス契約期間などを管理するためのプラットフォームサービスを提供する。SaaS型サービスはライセンス管理が複雑で、販社を通じて販売すればますます手間がかかる。藤田は長年の経験から、この問題にこそビジネスチャンスがあることを敏感にかぎ分けた。
SaaS型サービスのビジネスプラットフォームの提供──。時流に乗っているが、決して拙速で始めたビジネスではない。そこには、藤田がこれまで培ったソフト流通のノウハウが凝縮されている。(文中敬称略)
プロフィール
藤田 健治
(ふじた けんじ) 1969年8月、三重県四日市市生まれ、東京工業大学電子物理工学科卒業後、92年に三井物産入社。情報産業本部に在籍する。日本ユニシスの営業支援業務、輸出入業務などを経て、シマンテックの国内総販売元(当時)としてセキュリティソフトの法人向けチャネル構築を担当。99年に米ライセンスオンラインに投資し、日本での事業化権取得。02年、ライセンスオンライン(当時三井物産100%出資、現在はソフトバンクBBの完全子会社)を設立、代表取締役社長に就任。06年、ライセンスオンラインおよび三井物産を退職。同年11月、ビープラッツを設立し、代表取締役社長に就任。