今では当たり前になっているストレージ関連機器。1990年代前半は、まだ黎明期だった。しかも、表現は一つではなく、「ストーレジ」などさまざま。そんな頃、国内でのストレージの浸透や市場拡大に大きく貢献した立役者が、日本ネットワークストレージラボラトリ(JNSL)の社長を務める宮坂新哉である。
東京エレクトロンでストレージ関連事業を任された。扱ったブランドはSUNやHPをはじめ、StorageComputerや、MAXSTRAT、SEEKなどだ。ユーザー企業に対して、どのようにストレージの導入メリットを理解させるか。業界全体で考えなければならないと判断した。ストレージを売るほかの商社にも話を持ちかけて、業界団体として「JDSF(日本データストレージフォーラム)」を設立する。
JDSFでは、国内市場に普及させる策としてイベントの開催を模索した。そこで実現したのが「データストレージEXPO」だ。今では、有名なストレージ展示会になっている。「本当は、市場創造なんていう大それたことを手がけようとしたわけではない。あくまでも、自社のビジネスを拡大させることが目的だった」と打ち明ける。しかし、競合他社も巻き込んで市場創造に寄与したことは確かだ。
新しいネットワーク関連機器の市場も立ち上げた。例を挙げれば、F5ネットワークス製のロードバランサーを日本に持ち込んだことなどだ。これが、ロードバランサーの国内需要を押し上げることにつながった。F5ネットワークスジャパンが国内市場でトップシェアに上り詰めたのは言うまでもない。
今は、ストレージベンダーの新製品開発や市場開拓などを支援するコンサルティングが主力事業だ。「海外には、日本で知られていない製品が沢山ある」。海外メーカーと国内商社をつなぐ橋渡しの役目を担っている。(文中敬称略)
プロフィール
宮坂 新哉
(みやさか しんや) 1985年、東京エレクトロン入社。画像認識関連システムエンジニアの業務に従事した後、営業担当者として海外メーカーの製品調達や国内販売に携わる。95年、SI営業グループリーダーとしてストレージ関連ビジネスを担当。ストレージ関連団体の複数立ち上げにも貢献。03年にJNSLを設立、社長に就任。現在に至る。