他に類をみない大量データの高速処理技術をもつ高速屋。特許の数は、国内で25件、米国で10件、欧州で2件、中国で3件に達している。これは、新庄耕太郎の父で高速屋の創業者、そして技術者である新庄敏男が成し遂げた偉業だ。
創業者は、技術者の間で「カリスマ」として知られていた。多くの技術者が憧れ、腕を磨くために高速屋に就職した。誰にも真似のできない高速処理技術を開発した創業者は、社員にノウハウを惜しみなく披露する。だが2010年、創業者が心筋梗塞で急逝した。その他界をきっかけに、新庄耕太郎は代表取締役に就任した。
父が積み上げてきた事業を他人任せにして後悔したくないというのが事業承継の理由だが、「カリスマ経営は到底、自分には不可能」と思った。会社をどのような方向に進めるべきか、しばらくは葛藤があったそうだ。しかし、創業者を慕って社員になった技術者たちは、むしろ創業者の遺志を継承しなければならないという使命感に燃えていた。「自分なりに可能性を見出していく」と奮起し、「カリスマ経営」から組織で事業を動かしていく「チーム力」の会社への変革を遂げた。「(父が重きを置いていた)『技術の追求』が第一創業期ならば、今は第二創業期。コア技術を事業化する『ビジネス創造の追求』に力を注ぐ」と意気込む。具体的な策として、高速処理技術を顧客のニーズに合わせてカスタマイズする事業や、特許を生かしたライセンスビジネスを立ち上げた。
02年5月設立の高速屋は、創業10周年を迎えた。「高速処理の分野で世界を制覇する」。創業期とは違うスタイルで父親を超えようとしている。(文中敬称略)
プロフィール
新庄 耕太郎
新庄 耕太郎(しんじょう こうたろう)
1974年4月4日生まれ。98年3月、千葉工業大学卒業後、同年4月、コアに入社。00年9月、新庄経営研究所に入社。02年5月、高速技研への移籍を経て、04年9月、高速屋に移籍。05年11月、取締役に就任。07年4月、取締役を退任し、執行役員に就任。10年9月、代表取締役社長に就任し、現在に至る。