決まったキャリアパスを歩んで、管理職に就くのはイヤ。経験を積んでいるからこそ、開発現場にいて、エンジニア発のサービスをつくりたい。荒川義弘はそう考えて、インフラ構築に携わった大手SIerを思い切って退職した。移籍したのは、東京・渋谷のファッション街にオフィスを置いて、組織も発想も自由なITベンチャー企業のピーシーフェーズだ。同社で、自らが指揮して、日本初の「BaaS」の事業を立ち上げた。
「BaaS」とはBackend as a Serviceのこと。荒川は、数年前に米国で生まれたBaaSに着目し、日本でも展開したいと考えた。スマートフォン向けのウェブアプリケーションを開発する企業に、ユーザー情報の登録や認証、課金・決済といったバックエンド機能をサービス型で提供する仕組みだ。「どんなものをつくるか、最初は何も決まっていなかった」。模索しつつ、プログラムを書いたり、サービス基盤をつくるデータセンターに足を運んでネットワークを設定したり。「すべての仕事をほぼ一人でこなした」。しかし、苦労とは感じなかった。「やりたいことができたので、すごく楽しかった」と、目を輝かせて話す。
アプリ開発企業は、インフラ系のエンジニアが少ない。だから、バックエンド機能を自社でつくらずに、クラウドで利用したいという企業が多い。昨秋、ニフティもBaaS市場に参入した。競合が増えたことはうれしくはないが、「自分が考えたことが正しかった」という裏づけになって自信がついたという。ピーシーフェーズは今年、BaaS事業を独立させて、アピアリーズを設立した。荒川は、現場で働くことを楽しみながら、「『日本初』のサービスを連発したい」と、意気盛んだ。(文中敬称略)
プロフィール
荒川 義弘
荒川 義弘(あらかわ よしひろ)
1978年生まれ、神奈川県横浜市出身。2004年、東京工業大学大学院を修了後、システム構築会社に入社し、技術職に携わる。07年、ピーシーフェーズに転職。日本初の「BaaS(Backend as a Service)」製品である「アピアリーズ」を開発。14年、アピアリーズの設立に伴って、同社に出向。現職に就いた。