何度も後悔した。住み込みの新聞配達をしながら、「やめとけばよかった」と思ったが、気がつけば前を向いていた。

アニメ好きで平凡な高校生活を送っていた木林佑亮だが、16歳で高校を中退し、家を出てしまう。当然、親は反対した。家庭環境への不満もなかった。ただ、退屈な人生に耐えられなくなった。新聞奨学生として、働きながら自力で高校を卒業。その後、起業のヒントを求めてニュージーランドへ留学した。
帰国後、目指していた起業を実現したが、うまくいかなかった。二度の失敗を経験することになる。二度目の熱帯魚ショップで、ライバル店がネットショップで成功するのを目の当たりにする。ITに大きな可能性を感じた木林は、ITベンダーへの転職を決意する。まったくの未経験だったが、スーパーコンピュータの開発現場に協力会社の一員として派遣された。
「わからないことだらけで、失敗することさえできなかった」と当時を振り返る。経験のない歯がゆさだった。ただ、スーパーコンピュータの世界は、木林少年が大好きな「アニメで見た未来」だった。必死に勉強することが楽しくて仕方がなかったのは、それがあったから。前向きな姿勢への評価は高く、気がついたら部下を20人抱える事業部長に。家を出てから10年、まだ26歳だった。
自信をつけた木林は、そこで三度目の起業を果たす。それが今の会社だ。インフラ系を強みとして、大手企業のほか、自治体の案件も請け負うなど、事業は着実に拡大してきている。現在は約20人の社員を抱えているが、採用した社員のほとんどが未経験者。「どんなものにも“コツ”みたいなのがある。ITも同じ。そこを教えることで、未経験者でも立派なエンジニアになっていく」。未経験者だったという経験が、ここに生きている。(文中敬称略)
プロフィール
木林 佑亮
木林 佑亮(きばやし ゆうすけ)
1983年11月生まれ。埼玉県出身。2003年、新聞奨学金制度を利用し、高校卒業後、ニュージーランドへ留学。帰国後、レストランや熱帯魚販売店の経営を経験し、ベンチャー企業に就職。ITインフラ基盤技術者として、スーパーコンピュータシステムを担当。09年、IT技術部門の事業部長に就任し、Linux系インフラ技術でのソリューション事業を展開。13年にクリエイトソリューションズを創業し、Linuxインフラ整備のソリューション、中小企業向け社内管理システムの販売を手がける。