野球のスポーツ推薦で地元の高校に入学した。甲子園常連校である。甲子園で活躍し、プロ野球へ。そんな思いもなかったわけではない。自信もあった。
ところが、入部して間もなく、自信は不振へと変わっていく。「関西から来たメンバーがスゴ過ぎて。野球もそうだけど、関西弁が怖かった。それまで『お前えぇぇぇ』なんて言われたことがなかったから」。すっかり萎縮してしまい、キャッチボールをやめてボールの修理係に立候補していた。ただ、「毎年甲子園に行けたので楽しかった」と、菅原秀一は当時を懐かしむ。在学中、野球部は3年連続で甲子園の切符を手にした。
楽しかったというが、くすぶっていなかったわけではない。その気持ちを知ってか知らずか、文芸部の友人が「詩のボクシング」というリング上で詩を読み上げる朗読大会に誘ってくれた。日頃の鬱々とした気持ちを詩に書き溜めていた菅原。詩という名のボールを思いっきり投げつけた。あれよあれよと勝ち進み、全国大会の決勝へ。結果は惜しくも準優勝だったが、大会関係者との人脈がきっかけとなり、今度はNHKの討論番組「真剣10代しゃべり場」のレギュラーに抜擢される。「番組では同年代の人と真剣にしゃべった。当時は他人に生かされている気がして、自分で生きている実感がなかったけど、いろんな価値観があることを知ると、救われた気がした」。
テレビ番組の出演がきっかけで映像関連の企業に就職する。そこでウェブ関連の技術を身につけた。一方で、小さな頃からケガが多く、医療関係にも興味があった。今はその両方を満たす医療機関向けシステムを手がけている。「職場の仲間はいい人ばかりで、会話が楽しい」と菅原。今は言葉のキャッチボールに喜びを感じている。(文中敬称略)
プロフィール
菅原 秀一
菅原 秀一(すがわら しゅんいち)
1983年9月24日生まれ。山形県酒田市出身。新卒で就職したDVDの映像コンテンツ関連を取り扱う企業で、ウェブサイトのノウハウを習得。自由に時間を使いたいと思い独立。知人を通して企業のキャンペーンサイト、ウェブページの構築、ECサイト構築などを請け負うが、もともと医療関連の仕事を希望していたことから、医療機関向けシステムを手がけるメディカル・データ・ビジョン(MDV)に就職。主に新規事業を担当している。