文部科学省の「スクール・ニューディール構想」を受け、国内文教市場が賑わい始めた。従来から同市場を得意にしてきたベンダーのほかに新規参入組が加わり、4181億円という巨大な予算に群がっているのだ。企業システムと同じで、学校のICT利用環境を知ったうえでなければ、実効性のあるICTは実現できない。分野に応じて得意技を持つベンダー同士が手を組み、攻略することが重要になる。文教市場はこの20年間、「暗黒の時代」が続いた。この二の舞にならないために、ベンダーの力が試されるときだ。
政府の追加経済対策では市区町村や都道府県立学校に対する措置として、文部科学省が「スクール・ニューディール構想」を掲げ、総額約1兆1000億円を投じる。2005年までに世界最先端のデジタル教育環境を整備すると謳った「e─Japan構想」や、その後の重点計画では、小学校で2人に1台、中・高校で1人に1台のコンピュータ教室を配備することなどが打ち出された。
ところが、最初のパソコン整備(2分の1補助)を除き、その後の整備費は「地方交付税」であったため、自治体首長の判断で他の予算に配分されてしまうケースが多くみられた。このため、文科省は「当初の整備計画が未達で終わったため、その分を今回で一気に解消する」(生涯学習政策局の中沢淳一・企画官)と、教育用と校務用だけで総額4081億円を計上。今回の措置は、いわゆる“紐付き予算”であるため、確実に用途限定で使われる。これで一気にハードウェア整備の「目標達成」を狙うわけだ。
文科省は6月12日までに主管教育委員会から、何を整備するかを提示させた。現在その集計作業をしている。従来の交付税措置による年額は、約1500億円。この2.5倍以上の国費が1年間に投じられるわけだから、当然のことながら文教市場のシステム提供が得意なメーカーやSIerなど、ベンダーは色めきたつ。
これまで、ICT導入が思いのほか進まなかったため、文教市場に強みを持つベンダーは“失われた20年”を強いられることとなった。この間、特に地域のSIerなどは、“需要がない”文教市場に人材を投下することを諦め、専門部署を閉じるケースが多くみられた。学校ICTは、企業システムと同じように学校の学習や校務、校内環境をよく知らないと、“箱モノ(ハードウェア)”を導入するにとどまり、利用率の高いデジタル教育環境を実現できない結果を招く。
これまでの学校向けシステム販売のメインプレイヤーは、富士通やNEC、日立製作所など大手コンピュータメーカーと系列販社に加え、内田洋行など、官公庁・自治体に影響力のある、いわゆる“ITゼネコン”など。いわば閉じられた市場だ。ところが、膨大な整備事業費を見込んで、「次の勢力」として「安売り」で定評のある家電量販店が参入してくるようだ。誰が「売る」にしても、教師の指導環境や子供たちの学習環境をしっかり熟知したうえで最適なシステムを提供しなければ、「使われないICT」整備で終わり、これまでの苦い経験を繰り返すことになる。
メーカーI ハードウェア
PC市場、12%押し上げ効果あり
大手コンピュータメーカーや系列SIer、販社にとって、確実に収益ビジネスに結びつくプロダクトの筆頭はパソコンだろう。今回の追加経済対策に計上された「学校ICT(情報通信技術)環境整備事業」で、主管する文部科学省は、「今回の政府構想でこれまで未整備だった分をすべて満たす」(生涯学習政策局の中沢淳一・企画官)と、教育用で計画未達分と新たに教務用を含めパソコン約195万台分を整備するという大がかりな予算を組んだ。
全体構想のうち、パソコン整備は総額1420億円に上る。2008年の国内パソコン出荷金額が9758億円(電子情報技術産業協会調べ)だったことから、昨年に比べ今年はパソコン市場を14.5%も押し上げる効果があるわけだ。富士通では、この“特需”をモノにするため「プロジェクトチームを組織して戦略立案する」(政策に詳しい森部泰昭・政策渉外ユニット計画部長)など、動きを早めている。
パソコン販売とともに大手コンピュータメーカーがチャンスだと感じているプロダクトは、整備事業に盛り込まれた地上デジタルテレビなど電子黒板を含むモニター環境整備だ。
地デジ対応のテレビ配備が最も分かりやすい整備例だが、同構想では必ずしもテレビの配置を義務づけてはいない。地デジ放送が視聴できるインフラや、学習用設備などがあれば構わない。このため、富士通やNECのようにテレビを自前で生産しないメーカーは、ディスプレイ装置を組み合わせたシステム構築などで需要をたぐり寄せようとしている。
NECは、大型ディスプレイ装置と他社製テレビチューナーをセットにしたプロダクトを商品化、地デジ需要の取り込みを目指す。プロジェクターでは、整備費に項目として記された電子黒板とのセット商品を企画。ハードに加えて、教員が負荷なく学習で利用できるように電子教材を組み合わせた。「政策が生み出す需要をしっかりと捕まえたい」(岡田靖彦・ディスプレイ・ドキュメント事業部長)と大きな期待を寄せる。
今回の政府措置では、普通教室を含め「校内LAN整備」が310億円計上された。これを受け、通信機器メーカーが文教市場に力を注ぎ始めた。
エクストリームネットワークスは、教育機関に強い販社と協業を強化し、市場開拓に乗り出した。浜田俊社長は、「複数の分野にフォーカスして事業を拡大する」と話す。同社の販社である東京エレクトロンデバイスは、「校内LAN」を複数の学校に導入した実績を持つ。選定される製品は、エクストリームブランドが中心。東京エレクトロンデバイスは、得意とするセキュリティ重視のインフラ構築などに関連し、生徒の個人情報の漏えい対策の実施関連で学校から案件を獲得できると目論む。
メーカーII ソフトウェア
ハード+ソフト、必須条件を主張
これまで憂き目を見てきた文教向けソフトを開発するベンダーにとっても、今回の政府措置は千載一遇のチャンスとなる。デジタル教育のソフトや機器を開発・販売するチエルは、自社製品宣伝用とハードだけの整備に偏らないことをアピールする「『学校ICT環境整備事業』に対するご提案」と題した資料を携え、全国自治体の教育委員会を歩き回っている。
この資料には、例えば、地デジ対応テレビ整備に対し、利用場面に応じてチエルのフラッシュ型教材シリーズを提示している。同社の川居睦社長は「整備と活用が両立して、初めて教育の情報化が確立する」と、ハード整備と活用の両立こそがICT整備と強調する。
だが実際には、「売る側」であるSIerは、ハード整備を獲得することに奔走するあまり、ソフト面の整備を怠るきらいがある。また、今回の不況による民需の落ち込みを文教市場で賄う動きも見え隠れする。「文部科学省が今年3月に公表した『教育の情報化に関する手引き』に基づき、システムだけでなく、ソフトも導入しなければ、これまでの二の舞になる」と、川居社長は苦言を呈する。実際、文教市場はここ数年で収縮し、販社によっては「文教担当部署」を統廃合する例が増えており、こうした意見に耳を傾ける必要がある。
チエルの出身母体であるアルプスシステムインテグレーション(ALSI)は、三つの施策で需要喚起を狙う。一つは学校がパソコンを増やす際、ユーザー数に関係なく導入できる無制限ライセンスの提供だ。二つ目として、教育委員会単位(傘下の学校一括導入)の場合は、仮想化技術を活用したコスト抑制策を提示する。三つ目には、校務用パソコン向けに、ASP/SaaSを提案する。ASP/SaaSの提供により、サーバーレスで学校と同等のポリシーを持ち出しパソコンに適用できる。
ALSIの杉本浩信・営業統括部副部長は、「携帯キャリア向けに提供実績がある強みを生かし、既存販社を介しての販売を積極展開する」。これに対し、ウェブフィルタリングメーカーのデジタルアーツは、「現状でも子供向けパソコンにはフィルタリングが施されているが、パソコンが追加導入されることに対応したライセンス体系を準備する」(野崎暢彦・パートナー営業第3グループグループマネージャー)と、実績を背景に強気の見通しを立てている。
メーカーIII AV家電
AV家電メーカー沈黙も虎視眈々
地デジ対応の薄型テレビを手がける大手電機メーカーは「非常に歓迎している」(ソニー)と、今回の予算措置に期待感を露わにする。ただ、販売面では「まだ動いていない。具体的な策定はこれから」(東芝)と、展開について明言を避けている。とはいうものの、その言葉は額面通りには受け取れない。水面下では“特需”にあやかろうと売り込みに奔走しているからだ。
「地デジ対応テレビのことは相談してください。われわれも全力で取り組みます。ぜひ当社のテレビを勧めて」──。シャープが5月末、販売会社向けに開いた液晶テレビの商品説明会で、文教市場の営業担当者はこう発言した。
説明会には、文教市場に強みを持つ販社20社が招待された。出席した販社の担当者は「何としてでも売ろうという強い意志を感じた」と、感触は上々のようだ。
シャープやパナソニックなどは地デジ対応テレビだけでなく、電子黒板も製造・販売する。地デジ対応テレビをはじめ映像システムも扱う販社に、ディスプレイとして販売してもらうことで、副次的に収益増につなげる狙いもあるようだ。
ある流通卸関係者は「大手電機メーカーは、表面的には販売活動について話したがらない。だが、ゴールデンウィーク明けから積極的に動いている」と、メーカー自身の消極的なコメントとは裏腹に、積極的な売り込みを開始しているようだ。
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