日本を代表する「ブドウ」の一大産地・山梨県で、ブドウの生育管理にITを活用する取り組みが盛り上がっている。これまで「勘」や「経験」に頼っていた部分を可視化し、品質や生産性の向上につなげることが主な目的だ。なかには、新規就農を促進し、地方創生を狙う動きも。高齢化や担い手不足が農業全体の課題となるなか、新たな挑戦の最前線を紹介する。(取材・文/廣瀬秀平)
小さなワイナリーから
世界一のワインを
東京都心から車で約1時間半。山梨県北東部に位置する甲州市で、真っ黒に色づいたブドウがたわわに実っていた。欧州でよく見られる垣根栽培の畑。小ぶりな粒をつけた品種は、赤ワインの原料となる「カベルネ・ソーヴィニヨン」だ。
奥野田葡萄酒醸造
中村雅量
社長
広さ約10アールの畑は、近くにある奥野田葡萄酒醸造が管理している。案内してくれた同社の中村雅量社長は、収穫一歩手前となったカベルネ・ソーヴィニヨンの房を手にしながら、「いいできですね」と満面の笑みを浮かべた。
山梨県では、昔からブドウづくりが盛んに行われてきた。農林水産省がまとめた作況調査では、2016年産ブドウの収穫量は、全国最多の4万2500トンで、国内全体の約24%を占めた。
ブドウづくりとともに発展してきたのが、ワインの生産だ。同県によるとワインづくりは明治時代に始まったとされ、現在は全国で最も多い約80のワイナリーを抱える。
そのなかで奥野田葡萄酒醸造は、従業員数人で年間約4万本のワインを生産している。管理する畑は、ほかに2か所あり、ブドウの栽培面積は計約2ヘクタール。カベルネ・ソーヴィニヨンのほかに、ワイン用の2品種を育てており、原料の約半分を自社でまかなっている。
同社の規模は、県内のワイナリーのなかで「最も小さい」(中村社長)が、それでも、「世界一のワインを生み出す」(同)という目標を掲げており、品質向上のためにさまざまな取り組みを展開している。
奥野田葡萄酒醸造の畑で育った「カベルネ・ソーヴィニヨン」
病害予防で
目に見える効果
取り組みの一つが、富士通の生育管理システムを導入していることだ。奥野田葡萄酒醸造は10年から、各種センサ計4基を3か所の畑に設置し、温度や湿度などを10分おきに24時間、365日計測。農薬散布の判断などに役立てている。
富士通のシステムを導入したのは、農業と企業の連携を生み出すことを目的にした山梨県の支援制度を通じて知り合ったことがきっかけ。環境負荷の少ない無肥料・不耕起でのブドウの栽培を続けていた奥野田葡萄酒醸造の姿勢に、富士通が賛同し、両社の協力関係が生まれた。
システムは、センサで計測したデータを無線通信で事務所のサーバーに集約し、インターネットを介してクラウドに保存。スマートフォンから畑の状況がリアルタイムで確認できる仕組みだ。
奥野田葡萄酒醸造の畑に設置されているセンサ
無線通信は、通信費用が不要で、免許もいらない特定小電力無線ネットワークを利用。通信が途絶えても、データロガーから計測結果を抽出できるようにした。電源はソーラーパネルから確保し、電池交換の手間も省いた。
それまでのブドウの栽培は、長年の勘や経験に頼る部分が多かった。例えば、ブドウの大敵となる病害は、「10日に1回というように、ルーティーンで農薬を散布して防いでいた」(中村社長)という。ただ、年間20回近く散布しても、病害の発生具合によって効き目にムラが出ることがあり、効率の悪さが課題になっていた。
システムを導入した効果は、すぐにあらわれた。中村社長は、「温湿度などのデータを振り返ることで、病害が発生しやすい条件を可視化できた」と説明し、「病害が発生する本当に危険な場面は、多くても年間6、7回だということがわかった。ここをピンポイントで狙って農薬をまくことで、散布回数を半分以下に減らしても、病害の発生を防げるようになった」と話す。
さらに、データの状況から危険を察知し、メールで通知するスマートフォンのアプリも活用。生育管理のさらなる効率化を図り、生産性の向上にもつなげた。中村社長によると、収穫量が落ちるといわれる無肥料・不耕起の農法でも、過去に肥料を使っていた時を上回る収穫量が確保できるようになったという。
データ収集だけでは
「不十分」
今シーズンは、8月に曇天や雨の日が続いた。山梨県ではブドウの着色不良や病害といった被害が広がり、農家からは「今年の出来はいまひとつ」という声が広がっている。一方、奥野田葡萄酒醸造では、これまでのデータの蓄積を栽培に生かした結果、「畑のブドウは無傷」(中村社長)の状態を維持した。
センサによるデータ収集が功を奏したと思われがちだが、中村社長は、「生育を管理するうえで、センサを設置してデータを集めただけでは不十分。出来上がったブドウやワインの品質とデータを照らし合わせて、何が問題だったかをしっかり分析し、次に備えることが重要だ」と強調。さらに、「病害の危険を察知し、農薬をまいて駆除するだけではだめ。そもそも病害が出にくい環境を微生物レベルでつくりあげることも考えなければならない」と指摘する。
中村社長は、さらなる品質向上策として、土壌へのセンサの設置を検討している。「『甲府盆地の気象状況や肥沃な土壌は、ワイン用のブドウを育てる環境としては理想的ではない』といわれることが多いが、決してそんなことはない。甲府盆地でも、ワイン用のブドウを使って高品質のワインがつくれることをデータで証明したい」と意気込む。
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