Special Feature
国内“InsurTech”の旗手になるか 「オールスター」の支援で究極のCXを目指す ネット型自動車保険企業
2022/05/19 09:00
週刊BCN 2022年05月16日vol.1922掲載

かつてよく使われた「ディスラプター(破壊者)」という表現は、もはや古めかしいものになってしまった感がある。それでも、デジタルテクノロジーをフル活用してゲームチェンジに挑む取り組みは、新興企業、市場の既存プレイヤーを問わず着実に増えている。例えば日本の保険業界では、最後発のインターネット型自動車保険会社がビジネスのドラスティックな変革を進め、“InsurTech(保険+テクノロジー)”の旗手になりつつある。エンタープライズIT市場の「オールスター」とでも表現できそうなトップベンダーたちが支える現在進行形のDXプロジェクトを追う。
(取材・文/本多和幸)
東京海上グループが2009年に設立したイーデザイン損害保険は、業界最後発のネット型自動車保険会社だ。そのビジネスの性質上、顧客体験(CX)や業務品質の向上にデジタルテクノロジーを積極的に活用する動きをグループ内で先導してきたが、昨年11月にその集大成ともいえる商材として、新たな自動車保険「&e」(アンディー) を発売し注目を集めている。
&eを開発した背景には「究極のCXの実現」と「レガシーシステムからの脱却」という経営課題があった。
市場の最後発企業である同社がプレゼンスを高めるには、競合他社と一線を画したビジネスモデルに変革する必要があるという意識が経営層にはあった。そこで18年6月、部署横断で同社の変革で目指すゴールを議論する「ありたい姿プロジェクト」を立ち上げた。酒井宣幸・取締役IT企画部長兼ビジネスアナリティクス部長は「保険という機能だけでなく、お客様の体験そのものをバックキャスティング(ありたい未来像からの逆算)思考でデザインし直すというコンセプトでワークショップを行った」と説明する。顧客対象としてデジタルネイティブ層が拡大していく中で、従来とは異なるレベルでデジタルテクノロジーを活用した抜本的な提供価値の再構築が必要であるという意識が全社に浸透していったという。

ありたい姿プロジェクトをきっかけに、企業パーパスを「事故時の安心だけでなく、事故のない世界そのものを、お客さまと共創する」と再定義した。これに伴いミッション、ビジョン(ミッション実現のための行動指針)をそれぞれ「事故のない安心・安全な世界の実現」「保険業界の新しいかたちをお客さまとともに」と設定。顧客に対しては、分かりやすく不安を感じないパーソナライズされたサービスを提供するだけでなく、事故に遭わない、事故を起こさない行動をデジタルの力で支援することで究極のCXを実現するという方針を固めた。
ただし、こうした構想を実現するには情報システムも抜本的に変革する必要がある。同社は従来、90年代に発売された保険パッケージをベースにしたシステムを使っており、これがビジネスの変革の足かせになりかねないことも深刻な課題として浮上していた。酒井取締役は「機動性や柔軟性の不足、システム維持コストの急騰リスク、技術者枯渇などの課題・リスクを抱えていて、経済産業省のDXレポートで指摘された『2025年の崖』問題の典型例ともいえる状況に陥っていた」と振り返る。
社内や東京海上グループ内で議論を重ねた結果、究極のCXの実現とレガシーシステムからの脱却は同時並行で取り組むべき課題であるという結論に至り、そのための方法論として、東京海上グループはイーデザイン損保をグループ全体の「デジタルR&D拠点」と位置付け、「InsurTech保険会社」に変革する構想を打ち出した。InsurTechとは、Insurance(保険)とTechnologyを掛け合わせた造語で、FinTechの一分野だ。&eは、InsurTech保険会社としての同社が市場に提供する商品・サービスの第1弾ということになる。
フルクラウドでシステムを全面刷新
&eの特徴を詳しくみていこう。まず、契約手続きから各種問い合わせ、事故時の連絡、保険金の支払いまでスマートフォンだけで完結でき、シンプルで分かりやすいUIやUXを追求したという。顧客が現在加入中の保険証券をスマートフォンで撮影しアップロードすると、AI画像認識機能により、見積もりや申し込みに必要な項目を自動的に補完し、入力作業を大幅に削減する。また、全ての契約者に無償で、テレマティクスサービス大手のイタリア・OCTO製IoTセンサーを提供する。これを契約者のスマートフォンとBluetoothで接続。事故時にはIoTセンサーが自動で衝撃を検知し、スマートフォンから1タップでイーデザイン損保に連絡できる仕組みを備える。IoTセンサーのデータを基に事故状況を動画で再現でき、事故前後の車の速度、衝撃、損傷などの状況を同社側の事故担当者も把握できるため、事故時の支援サービスを高度化できるという。提携修理工場での修理もその場で申し込むことが可能だ。
IoTの仕組みは事故時以外のサービス提供でも重要な役割を果たす。急ブレーキや急ハンドル、急加速などの情報を取得・分析して、契約者に運転スコアを提示することで安全運転を支援する。運転スコアはポイントに変換してさまざまな商品と交換できる。
こうしたサービスを実現するためのInsurTech保険会社としての基盤整備では、フルクラウド型のシステムに全面的に刷新する計画を立てた。同社によれば「ビジネス環境の変化に迅速な対応を可能とするマイクロサービスアーキテクチャー、データに基づく意思決定モデルを支える基盤、エコシステムとの柔軟な連携や高いセキュリティレベルなど、デジタル時代にあわせた先進的な保険システム」を志向したという。
特筆すべきは、この大掛かりな基盤整備を非常に短期間で形にしたことだ。「これまでにないリッチなユーザビリティを実現するとともに、レガシーから脱却するために全てのシステム、オペレーションなど一切合切を基礎検討から1年半で再構築するというかなり意欲的なプロジェクト」(酒井取締役)だった。成功のかぎとなったのは、地力のある複数のベンダーと、マルチベンダーでワンチームの体制をつくったことだ。酒井取締役は「本格的なマイクロサービス化やフルクラウド、マルチクラウドによるオープンで先進的なアーキテクチャーを採用したことによる効果」だとみる。
InsurTechの商機、ITベンダー側も変革を
サービスの要となるCRMにはセールスフォースの「Salesforce Financial Services Cloud」(FSC)を採用した。保険に特化したオブジェクトやデータモデルが提供されており、「フィット&ギャップ分析をした結果、実現したいことがおおむね標準仕様で対応できると評価」した。また、契約の引受管理や事故対応サービス、保険料管理などに対応する保険業務の基幹システムとしては、米ガイドワイアソフトウェアの「Guidewire InsuranceSuite」を採用し、FSCはGuidewire InsuranceSuiteとシームレスに連携可能であることも大きなポイントになった。さらに、デジタルマーケティングツールの「Salesforce Marketing Cloud」など、セールスフォースの他のソリューションと組み合わせることで「あらゆる顧客接点を強化し、データをシームレスに一元管理できること、つまりオムニチャネル対応に極めて優れている点も大きな魅力だった」(酒井取締役)という。
このほか、ダッシュボード機能によるマクロ的な行動分析や「Tableau」によるn1分析(一人の具体的な顧客を深く分析すること)が可能である点、マイクロサービスに不可欠なAPIマネジメントを「MuleSoft」で実現できる点なども採用を後押しした。「構築から運用に至るまで、広範囲かつワンストップのサポートをセールスフォースから得られることは心強かった」と酒井取締役は話す。TableauやMuleSoftは、セールスフォースが近年、M&Aで手に入れた商材で、拡充してきたポートフォリオの価値がユーザーに認められた事例ともいえそうだ。
一方、ITインフラ整備ではAWSのエコシステムが大きな助けとなった。&eのUIやコンタクトセンターの電話機能、データ分析基盤、運用監視基盤、さらにはGuidewire InsuranceSuiteを活用した保険基幹業務システムやMulesoftによるAPI連携基盤などをAWS上にフルクラウドで構築した。
AWSの採用にあたっては、将来的な事業の拡充を見据えたメンテナンス性の高いインフラ整備が可能である点を評価したが、同時に保険業務で求められるセキュアな運用も実現すべく、AWSに対応したNTTデータの金融機関向けクラウドマネージドサービス「A-gate」を採用。NTTデータはAWS部分のインフラ構築を2カ月程度で終えたとしている。
また、コンタクトセンターソリューションには「Amazon Connect」を採用しているが、FSCとの連携を含むシステム構築は、CTI連携の豊富な実績が豊富な点を評価されNTTテクノクロスが主導した。
&eの提供に至るまでには、外資系のコンサルティングファームやITベンダーを中心とする、システム構築の範疇にとどまらない支援サービスも活用した。アクセンチュアは戦略コンサルとしての機能も生かし「ミッション・ビジョン・バリューの構造整理やCX設計から業務プロセス改革、&eのサービス設計、UI/UXのデザインまでを全般にわたり支援した」(同社)ほか、AWSやセールスフォース製品を中心としたクラウドファーストのアプローチも提案したという。
またAWSは、顧客中心で課題解決を図るためのワークショップなどを行う「デジタルイノベーションプログラム」を提供しているが、イーデザイン損保はこれを社員研修の一環で活用し、ボトムアップでの新サービス創出を促す。
前述のありたい姿プロジェクトでは、デザイン思考のフレームワークを使って顧客のアイデア実現や課題解決にセールスフォースの「Igniteチーム」が支援する。InsurTech保険会社として成長を図る企業は、ビジネス変革の上流から、有効なサービスを取捨選択してコーディネートしていく意欲と力を備えつつある。
イーデザイン損保は継続して、&eのサービス内容の拡充や新たなデジタル基盤を生かしたサービスの拡充に注力する意向だ。現時点で発表済みの計画としては、&e契約者の同意を得た上で、IoTセンサーや連携するウェアラブルデバイスなどを通じて取得できるデータを地方自治体や他の企業と連携して分析・活用し、交通事故削減のための施策やより網羅的な安全運転支援サービスにも役立てていく。これを「SafeDriveWith」プロジェクトと名付け、既に東京都渋谷区との連携を発表している。こうした取り組みがInsurTech市場の拡大につながればITビジネスの商機も当然大きくなるが、ITベンダー側にニーズの的確な把握と相応の高度な価値提供が求められるのもまた確かだ。

かつてよく使われた「ディスラプター(破壊者)」という表現は、もはや古めかしいものになってしまった感がある。それでも、デジタルテクノロジーをフル活用してゲームチェンジに挑む取り組みは、新興企業、市場の既存プレイヤーを問わず着実に増えている。例えば日本の保険業界では、最後発のインターネット型自動車保険会社がビジネスのドラスティックな変革を進め、“InsurTech(保険+テクノロジー)”の旗手になりつつある。エンタープライズIT市場の「オールスター」とでも表現できそうなトップベンダーたちが支える現在進行形のDXプロジェクトを追う。
(取材・文/本多和幸)
東京海上グループが2009年に設立したイーデザイン損害保険は、業界最後発のネット型自動車保険会社だ。そのビジネスの性質上、顧客体験(CX)や業務品質の向上にデジタルテクノロジーを積極的に活用する動きをグループ内で先導してきたが、昨年11月にその集大成ともいえる商材として、新たな自動車保険「&e」(アンディー) を発売し注目を集めている。
&eを開発した背景には「究極のCXの実現」と「レガシーシステムからの脱却」という経営課題があった。
市場の最後発企業である同社がプレゼンスを高めるには、競合他社と一線を画したビジネスモデルに変革する必要があるという意識が経営層にはあった。そこで18年6月、部署横断で同社の変革で目指すゴールを議論する「ありたい姿プロジェクト」を立ち上げた。酒井宣幸・取締役IT企画部長兼ビジネスアナリティクス部長は「保険という機能だけでなく、お客様の体験そのものをバックキャスティング(ありたい未来像からの逆算)思考でデザインし直すというコンセプトでワークショップを行った」と説明する。顧客対象としてデジタルネイティブ層が拡大していく中で、従来とは異なるレベルでデジタルテクノロジーを活用した抜本的な提供価値の再構築が必要であるという意識が全社に浸透していったという。

ありたい姿プロジェクトをきっかけに、企業パーパスを「事故時の安心だけでなく、事故のない世界そのものを、お客さまと共創する」と再定義した。これに伴いミッション、ビジョン(ミッション実現のための行動指針)をそれぞれ「事故のない安心・安全な世界の実現」「保険業界の新しいかたちをお客さまとともに」と設定。顧客に対しては、分かりやすく不安を感じないパーソナライズされたサービスを提供するだけでなく、事故に遭わない、事故を起こさない行動をデジタルの力で支援することで究極のCXを実現するという方針を固めた。
ただし、こうした構想を実現するには情報システムも抜本的に変革する必要がある。同社は従来、90年代に発売された保険パッケージをベースにしたシステムを使っており、これがビジネスの変革の足かせになりかねないことも深刻な課題として浮上していた。酒井取締役は「機動性や柔軟性の不足、システム維持コストの急騰リスク、技術者枯渇などの課題・リスクを抱えていて、経済産業省のDXレポートで指摘された『2025年の崖』問題の典型例ともいえる状況に陥っていた」と振り返る。
社内や東京海上グループ内で議論を重ねた結果、究極のCXの実現とレガシーシステムからの脱却は同時並行で取り組むべき課題であるという結論に至り、そのための方法論として、東京海上グループはイーデザイン損保をグループ全体の「デジタルR&D拠点」と位置付け、「InsurTech保険会社」に変革する構想を打ち出した。InsurTechとは、Insurance(保険)とTechnologyを掛け合わせた造語で、FinTechの一分野だ。&eは、InsurTech保険会社としての同社が市場に提供する商品・サービスの第1弾ということになる。
この記事の続き >>
- フルクラウドでシステムを全面刷新
- InsurTechの商機、ITベンダー側も変革を
続きは「週刊BCN+会員」のみ
ご覧になれます。
(登録無料:所要時間1分程度)
新規会員登録はこちら(登録無料) ログイン会員特典
- 注目のキーパーソンへのインタビューや市場を深掘りした解説・特集など毎週更新される会員限定記事が読み放題!
- メールマガジンを毎日配信(土日祝をのぞく)
- イベント・セミナー情報の告知が可能(登録および更新)
SIerをはじめ、ITベンダーが読者の多くを占める「週刊BCN+」が集客をサポートします。 - 企業向けIT製品の導入事例情報の詳細PDFデータを何件でもダウンロードし放題!…etc…
- 1
