米アドバンスト・マイクロ・デバイシズ(AMD)のCEO(最高経営責任者)が、創業者であるジェリー・サンダース会長からヘクター・ルイズCOO(最高執行責任者)に交代した。1969年の創業以来、33年間CEOを務めてきたサンダース会長は、物まねと揶揄されながらも「競争こそ産業発展の原動力」という信念を貫き、巨像インテルを時にたじろがせる企業に育て上げた。新時代を迎えようとするAMDの戦略を、堺和夫日本AMD社長に聞いた。
好調なプロセッサ部門Athlon XPが業績に貢献
――サンダース会長がCEO(最高経営責任者)の席をヘクター・ルイズ氏に譲り、事実上の引退と受け止められています。堺社長から見て、サンダース会長はどのような人物だったんですか。
堺 会長職にはとどまりますので、引退とは違いますが、とにかく凄い人です。 インテルの重圧のなかで、33年間かけて今日のAMDをつくり上げた。「競争のないところに進歩はない」という信念をかたくなに守り、追求し続けてきたわけです。われわれAMDが力をつけるにつれてCPUの開発競争に加速度がつき、これがパソコンの市場拡大に結びついていったのはご存じのとおりです。アスロンで名実共にインテルに追いつき、64ビットのオプティオン(Opteron)でついに追い抜いた。それを見極めた上でCEOを退くことにしたんでしょうね。
――ヘクター・ルイズ新CEOは日本市場をどう評価していますか。
堺 2000年1月に社長兼COO(最高執行責任者)として指揮を執ってきて、昨年来日もしました。日本が戦略的に大事なことはよく認識しており、「堺、日本は大事だから、がんばってくれ」とよく言われます。市場として2番目に大きいことと同時に、技術のトレンドセンターとしても評価していますね。
――ところで、業績面は厳しい状態が続いているようですが。
堺 昨年通期の売上高は38億9175万ドルで、前年比では16%減でした。ただ、売上げ減少の原因ははっきりしています。それはフラッシュメモリの不振につきます。フラッシュメモリは99年から00年にかけて急成長し、巨額の利益を生み出したんですが、世界的な携帯電話不況などで大きな影響を受けました。プロセッサも、パソコン不況の影響を受け、数量ベースでは厳しかった。もっとも、シェアは伸ばしています。ワールドワイドのパソコン用プロセッサ市場は、昨年金額ベースで20%以上縮小したと見ていますが、当社は台数では16%増となる3100万個を出荷、金額でも3.5%増を達成しました。結果としてシェアは4ポイント伸ばせたと考えています。
――その要因は。
堺 昨年10月に投入したAthlon XP(アスロンXP)プロセッサがすばらしい立ち上がりを示しました。これが01年第4四半期の業績に大きく貢献しました。今年に入っても、プロセッサ部門は好調で、第1四半期(02年1-3月)の同部門売り上げは対前年同期比3%増の6億8400万ドル、数量では800万個出荷しました。
日本ではリテール系で伸び64ビットへの流れをキャッチ
――日本市場はどうですか。
堺 絶対量という面では厳しいですが、シェアは確実に上がっています。BCNのデータでもそれは裏付けられると思いますが。
――そうですね。デスクトップでは1月に35.1%まで伸ばしていますし、昨年11月から今年4月までの平均シェアは27.8%です。ノートパソコンは徐々にシェアを高めつつあり、同じく半年平均で23.2%という数字が出ています。
堺 家庭・個人向けに限定すると、40%台というもっと高い数字を出している調査機関もあります。とにかくリテール系では順調に伸びています。
デスクトップでは少な目に見ても3台に1台はAMDマシンという実績がほぼ固まったうえに、ノートパソコンで確実にシェアを上げているのが心強いですね。企業向け市場の開拓も昨年から本格的に取り組んできましたが、徐々に形になってきつつあります。
――4月25日付で64ビットのオプティオンとそれに対するマイクロソフトのサポート表明がなされました。これはどんな意味をもつのですか。
堺 32ビットから64ビットへというのは、誰もが認める大きな流れです。「ハマー(SledgeHammer)」というコードネームで開発を進め、オプティオンとして正式に発表したものです。技術的には、2つの画期的な内容をもっています。第1はx86-64テクノロジーを採用、既存の32ビットアプリケーションがそのまま使えるようにした点です。既存資産を守りつつ、新しい世界に導くというAMDの姿勢を形にしたわけです。この点が先行しているインテルのXeon(ジーオン)やItanium(アイタニウム)と根本的に違います。
また、ハイパートランスポートというCPU間を高速でつなぐ技術もAMDが独自に開発した技術です。技術情報は開示し、コンソーシアムを組織しており、70社ほどが賛同の姿勢を示しています。何より大きいのは、マイクロソフトがOSでのサポートを正式に表明したことです。マイクロソフトがインテルのアーキテクチャ以外でこのようなサポートを表明したのは初めてのことです。さらに、主要なLinuxベンダーもサポートする方向にありますので、64ビットプロセッサの方向性は固まったといって良いでしょう。最初に言った、アスロンで名実共にインテルに追いつき、このオプティオンで追い抜いたというのはそういう意味です。
――出荷はいつ頃になるのですか。
堺 来年上半期を予定しています。それに先駆け、同じアーキテクチャに基づくデスクトップやノート向けの第8世代アスロンプロセッサを今年第4四半期には出荷する予定です。
――アルケミーセミコンダクターという会社を買収しましたね。
堺 これはPDA、ウェブタブレット、無線/有線のIA(インターネットアクセス)デバイス向けの低消費電力プロセッサに独自技術をもった会社です。モバイルやユビキタスなど、これから低消費電力化が求められる商品が増えてくるでしょう。それに備えての買収です。いずれにしろ、上位の64ビットサーバーからモバイル機器まで、全領域に渡るプロセッサを来年には提供できるようになります。サンダース会長はCEOの退任挨拶で、「インテルに戦いを挑む勇気をもっているのはAMDしかいない。いつの日かインテルを追い抜こう」と挨拶していました。そうありたいと私たち日本の社員も誓いを新たにしているところです。
眼光紙背 ~取材を終えて~
数年前まで、会見に集まる記者は20人足らずであった。それが今では、大ホテルの大宴会場に100人以上を集めるようになった。日本市場に受け入れられ、AMDが変身していった姿を何よりも象徴している。外資系らしくない企業である。トップはもちろん社員もいつの間にか変わっているというのが、外資系へのイメージだが、堺社長は79年の入社と言うからすでに20年を超える社歴となる。その間、AMDは何度かの苦難を経験しているが、堺社長も同社一筋に歩いてきた。社員間の風通しも良さそうで、この辺にも外資系らしくない雰囲気だ。日本市場におけるシェアはワールドワイド平均よりかなり高そうだが、日本の経営陣がうまく機能しているからなのであろう。(見)
プロフィール
(さかい かずお)1951年10月6日生まれ。1975年3月、東京電機大学工学部電気工学科卒業。75年4月日本テキサスインスツルメンツ入社。79年5月、日本AMD(Advanced Micro Devices)入社、以来AMD一筋に歩む。90年7月営業本部長、92年5月代表取締役副社長、94年6月代表取締役社長に就任。99年7月北アジア・太平洋地域セールス・アンド・マーケティング担当AMD副社長に就任(日本AMD代表取締役社長兼任)。
会社紹介
AMDの設立は1969年、インテルから遅れること1年だった。インテルを設立した7人の叛乱で当時の名門企業フェアチャイルドがガタガタになり、そこから飛び出した人たちが立ち上げたのがAMDだった。以来33年間、CEOとして同社を引っ張ってきたのがサンダース会長である。インテルとは当初は手を組みながら、最終的にはインテルを追い抜くことを悲願として、それを公言してきた。
AMDの01年の売上高は39億ドル、インテルの265億ドルに比べればまだ6分の1足らずだが、業界における存在感は5年前と比べれば様変わりしたことは確か。独占は悪、競争こそ産業発展の原動力と唱え続け、30数年かけてこの信念を現実のものにした。AMDが力をつけるにつれて、プロセッサの開発スピードは加速され、コスト競争もシビアになった。ユーザーには何よりの朗報である。新経営陣も、今までの姿勢を貫いて欲しいものだ。