登場した時から“改革者”である。あのゼネコン汚職事件で揺れた1993年に初当選して丸9年――。次々と新しい施策を打ち出すなかで、「みやぎIT革命」を宣言し、電子自治体にも積極的に取り組んできた。「県民を顧客と考えて、顧客満足度を最大限に高めていく視点が大切です」。浅野知事が目指す新しい行政改革は、果たして電子自治体のなかでどう結実するのだろうか。
仙台を核にIT企業が集積、人材育成で独特の取り組みも
──IT企業を積極的に誘致していますが、IT産業にとって宮城県の魅力は何ですか。
浅野 やはり最大の魅力は、仙台市という都市圏にITのハード・ソフトが集積されていることでしょう。携帯電話会社J-フォンのコールセンター「東日本カスタマーサービスセンター」の誘致に成功したことが示すように、ITに対応できる人材も集積しています。20、30代を中心に1800人の人材を集め、センターを立地できる地域はそう多くはないでしょう。
さらに大きいのは、東北大学の存在です。現在、東北大学では半導体の国家プロジェクト「DIIN計画(21世紀型顧客ニーズ瞬時製品化対応新生産方式の創出)」が、未来科学技術共同研究センターの大見忠弘名誉教授のもとで進められています。昨年には半導体・液晶ディスプレイの分野で最先端研究を行うとの趣旨に賛同した民間からの支援で、「未来情報産業研究館」も開設されましたが、そのような施設が県庁から車でわずか10分のところにある。今年のノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんも東北大学の出身ですしね。
──頭脳の集積度は高いですね。
浅野 これを産業育成にどうつなげるかですが、宮城県でも87年から産官学の連携事業に力を入れてきました。98年には大学等技術移転促進法に基づいた技術移転機関(TLO)「東北テクノアーチ」が設立されましたが、実績件数ではダントツの1位、まさに“実学の雄”です。
──「みやぎマルチメディア・コンプレックス構想」の進ちょく状況はいかがですか。
浅野 構想を推進していくうえで、最初に力を入れたのが、人材の養成です。それもかなり高度な技能をもったトップクラスの人材を育てることに重点を置いています。何か新しい仕事を始める時にも、その仕事を任せられるリーダーとなる人材がいなければ、プロジェクトをスタートさせることができません。今年2月には、日本オラクルやサン・マイクロシステムズなどと協力して、人材育成機関「東北テクノロジーセンター」を設立して活動を開始しています。このセンターもそうですが、マルチメディア・コンプレックス構想では、基本的に従来の第3セクター方式ではなく、民間企業が主導のコンソーシアム方式で運営していくことにしています。
ITがどんどん進歩していくなかで、これから大事なのはやはりコンテンツでしょう。県庁もブロードバンド化して通信速度は確かに速くなったが、ブロードバンド化の狙いは、動画や音楽といったコンテンツが利用できることだったはずです。しかし、そうした恩恵を受けているという実感はないですよね。そこで次に手がけたのがコンテンツ制作のためのグループづくり「みやぎコンテンツ・クリエーターズ協議会」で、今年8月に立ち上げました。9月には電子認証基盤も立ち上がりました。
──人材育成では、ほかにも面白い取り組みをされていますね。
浅野 私自身が塾長をしている「みやぎ情報天才異才塾」もそうです。情報・通信分野に関心の高い子どもたち(小学5年と中学2年)を対象に、5年前から夏休みに2泊3日でかなり専門的な情報教育を行ってきています。また、県が直接タッチしているわけではありませんが、「高齢者向けのパソコン講座では日本一」と新聞にも紹介された仙台シニアネットクラブがユニークな活動を展開しています。クラブ独自の運営方式は「仙台方式」と呼ばれ、高齢者のITリテラシーの向上に寄与しています。ソフトウェアのマニュアルは、一般の人でも分かりにくいとよく言われますが、このクラブでは高齢者でも分かり易いマニュアルを独自に作って、それがソフト会社に採用されるという実績も上げています。
──マルチメディア・コンプレックス構想にはいろんなメニューが盛り込まれていますね。
浅野 いま悩んでいるのは、独自のIX(インターネット・エクスチェンジ)整備プロジェクトです。果たして需要があってビジネスとして成り立つのか。今ひとつ見えない状況です。将来的には東京・大手町に集中しているIXだけでは不十分で、データセンターを含めて地方にも拠点展開する時代が来るのは間違いないでしょうが、現時点では大阪や名古屋などでも苦戦していますよね。前向きに考えてはいますが、いつ立ち上げるかは慎重に見極めているところです。IT関連企業立地促進プロジェクトでは、仙台駅の東口地区がIT企業の集積する地域となってきています。東京から新幹線で1時間40分、程良い近さというのも良いのでしょう。仙台への誘致にはどの企業も前向きに検討してくれますね。
──IT産業育成には、中小企業のIT化が不可欠だと思いますが…。
浅野 そうなのです。ところが、なぜか不思議なのですが、宮城県内では中小企業のIT利用が非常に低いのです。東北各県とも地元中小企業のIT化の水準は低いのですが、ITに対する認識がまだ不十分なところがあります。県としても非常に強い危機感をもっており、中小企業に対していろいろな場に出向いて啓蒙活動を1年ぐらい前から展開しており、少しずつ向上してきていると期待しています。
住民は電子自治体の”先端“、IT化は「何のために」が重要
──電子自治体への基本姿勢はいかがですか。
浅野 国のIT戦略では「ラストワンマイル問題」が話題になります。確かに情報を流す中央から見れば通信回線の“末端”なのでしょうが、(地方の)利用者から見ればファーストワンマイル、先端”なのです。電子政府と電子自治体の意識の違いはそこではないでしょうか。電子自治体は利用者に近い“先端”に位置しています。まず県民があって、新しいハード・ソフトを使ってどれだけ便利になるかという発想が重要です。電子政府なら、IT化によって業務を効率化し情報を流しやすくするといった考えが強いかもしれませんが、電子自治体はそれじゃいけない。住民に最大限に使ってもらえるように、どんなサービスを提供していくか、です。
──行政のIT化ではBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)が不可欠と言われています。
浅野 県庁のIT化を進めるにも「何のために」との目的が抜けてしまうと、IT化も単なるアクセサリーになってしまいます。宮城県では97年から「新しい県政創造運動」という名称で行政改革に取り組んできました。行政改革というと、人減らしだとか予算を削るといった“縮み指向”に陥ってしまいがちですが、そうではなく、県民をカスタマー(顧客)と捉えて、顧客満足度(CS)を最大限に向上させるという視点で進めています。電子自治体もその中に位置づけており、単に行政が効率化されるだけでなく、県民がいかに便利になるかを考えて進めていかなければ、方向を見誤ると思っています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
「今朝も阿佐ヶ谷まで走ってきました」。東京・平河町の都道府県会館内にある宮城県東京事務所に現れた浅野知事。“ジョギング知事”と言われているだけのことはあると思ったら、何と「フルマラソン出場を計画している」というのでビックリ。
すでにフルマラソンは3回走った経験はあるものの最後に走ったのは、知事に就任する以前の10年前。「妻からは、ばかなことはやめなさいと言われているのだが…」と苦笑するが、全く意に介する様子はない。
知事もすでに3期目。情報公開を積極的に進めた行政手腕は高く評価されている。とはいえ、まだ年齢は50代半ば。フルマラソンへの出場計画は、挑戦し続けるという浅野知事の気持ちの表われと言えそうだ。(悠)
プロフィール
(あさの しろう)1948年2月8日生まれ。宮城県仙台市出身。70年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、厚生省入省。厚生省社会局老人福祉課、外務省在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、厚生省年金局企画課、北海道民生部福祉課長、厚生省児童家庭局障害福祉課長などを歴任し、93年11月に厚生省生活衛生局企画課長で厚生省を退職。同月、宮城県知事当選(第一期)。97年10月、宮城県知事当選(第二期)。01年11月、宮城県知事当選(第三期)。最近の主な著作物に、「福祉立国への挑戦―ジョギング知事のはしり書き―」(本の森刊、00年2月)、「民に聞け―地方からこの国を変えてみせる―」(共著・河内山哲朗氏、光文社刊、99年4月)、「政治の出番」(共著・田勢康弘氏、日本経済新聞社刊、99年1月)などがある。
会社紹介
「地域からIT戦略を考える会」の第3回会議が、今月26日に福岡県で開催される。浅野知事も、岡山県、岐阜県など9県の知事が参加して2001年11月に発足した同会のメンバー。IT分野に限らず“改革派”と呼ばれる知事のネットワークには欠かせない存在だ。地域のIT戦略で、やはり重要な柱となるのは「ITを活用した地域経済の活性化」だろう。日本経済の低迷が長引くなかで、地域経済の活性化は県政をあずかる知事にとって最重要課題である。宮城県でも、昨年8月には仙台市を中心にIT企業・人材の集積を促進するための「みやぎマルチメディア・コンプレックス構想」を策定。ITプラットフォームの形成により、「みやぎIT革命」の推進力とする作戦だ。「私がPRするのもおかしいかもしれませんが、東北大学では新たな産業に直結する最先端の素晴らしい研究が進んでいます」。その研究内容までも熱っぽく語る浅野知事の目には、産官学が連携しながら活性化する地域経済の未来図がもう見えているのだろう。