アイ・ビー・イー(IBE)は昨年12月25日、東証マザーズに上場した。同社は1992年にダイナウェアのマルチメディア事業部として、ビデオ映像のデジタル化、ネットワーク配信、データベース管理システムなどの事業をスタート。98年にダイナウェアから分社・独立し、株式会社となった。パソコン産業の黎明期から活躍してきたメンバーが多く、立ち上げ時から一貫して、ITと映像の融合技術を追い求めてきた。菅原仁社長は、「ITと映像のワンストップサービスに対するニーズは高いが、それに応えられる企業は他にない」と自信を見せる。
90年代前半、新ビジネスを模索
ブロードバンドを先取り
──アイ・ビー・イー(IBE)の強みは、ITと映像を融合する技術をもっていることですが。
菅原 当社の社名であるIBEは、「Interactive Broadband Environment」の略です。今のようにブロードバンドが一般化する前から、ブロードバンドを標榜し、ITとデジタル映像を融合させて、より使いやすいビジネス環境を提供する「Video IT」を提唱してきました。
ようやくブロードバンド環境が当たり前になり、ITと映像の複合化というニーズが高まってきているわけですが、なかなかそれを実現できる企業はない。しかし、当社はITと映像の融合を可能にする技術をもっています。これが大きな強みとなっています。
──他社にはない、技術的な強みをもった要因はどこにあるのですか。
菅原 ビジネスがスタートした時期に、日本の大手ITベンダーの研究機関に対し、こうやったらITと映像の融合が実現できますよ、という提案をしてきたからです。提案というと格好いいですが、要するに「よろず御用聞き」で、相談を持ちかけられたら技術的に工夫して使えるようにするということをやったおかげで、他社にはないノウハウを貯めることができたのです。
しかし、当時は戦略的にそうしていたわけではなく、1991年、92年頃にMPEGのエンコーダーボードを販売することになり、その際に単に商品を売るだけでなく、「こうやったら使えますよ」という利用方法を提案しているうちに派生的に御用聞きをするようになったのです。
当社の竹松(竹松昇・現取締役CTO)がいたことで、大手研究所から「ドライバを作って欲しいのだが…」といった提案を受けることができました。当時、ブロードバンドの研究を行っていた大手ITベンダーの相談窓口として、当社が機能することができたということだと思います。
──すると、偶然という部分も大きかった?
菅原 90年代の前半は、ウィンドウズの登場で、DOS時代にあった日本のソフトベンダーが作ったオリジナルのワープロや表計算ソフトの市場が縮小していった時期です。当時のダイナウェアも、新しいビジネスをどう作っていくのか模索していました。そこに、ITと映像の融合という新しい可能性があるビジネスが立ち上がったわけです。
──ITと映像の融合を事業化したいと考えた会社は、他にもあったと思いますが。
菅原 先ほどもお話したように、竹松をはじめとした技術スタッフがいたことで、要望を具現化する力があったのだと思います。発想だけでなく、それを具現化する技術力をもったスタッフがいたことが大きかったですね。私が基本的なアイデアを作って、竹松が具現化するという役割分担ができていました。
事業拡大のために分社・独立
顧客にオンリーワンを提供
──ダイナウェアの事業部から分社・独立した経緯は。
菅原 独立する前の97年頃の事業部時代から、売上規模は4億円から5億円程度あったのですが、ITと映像の融合ということで、ターゲットとなるのは大手ITベンダーの研究所や放送局など、ダイナウェアの営業先とは全く異なる層でした。また、営業のやり方も全く異なっていました。
そこで、さらに事業を拡大させるためにはあえて分社・独立し、協業できる企業の資本を入れてさらに成長できる会社にしたいということになりました。
ダイナウェアでは、IBE以外にも4、5社の企業を設立しましたが、IBEは一番可能性があるのではないかと思っていました。その当時から、ブロードバンドがインフラとして当たり前のものになっていくだろうとの予測はあったものの、では具体的な提案をしている会社はあるのかと見渡すと、そういう会社はほかになかったですね。
だからこそ、ブロードバンドインフラをベースにしたビジネスを行うことで、ダイナウェアが発足した頃のパソコン黎明期と同様、ビジネスチャンスがあると判断したわけです。
現在、当社のメーンビジネスの1つが、放送業界のIT化のお手伝いです。事例としてはNHKアーカイブス、日本テレビ放送網の新社屋向けシステム、それからこれは放送業界ではないのですが、コジマ全店に当社が開発したプロダクト「Globiz21」と「EZプレゼンテーター」を導入し、全店をつないだ店長会議に活用してもらうなどの実績があります。
──しかし、これだけブロードバンドインフラが当たり前になると、IBEと同じようにITと映像の融合をビジネスにする企業が、新たに登場してくる可能性もあるのではないですか。
菅原 確かに、ブロードバンドやIT化といった要素は、誰も否定する人がいない成長分野ですから、ライバルが新たに登場する可能性は十分にあるでしょう。パソコンソフトと同様に、市場が大きく変化して、厳しい場面が出てくるかもしれない。しかし、当社のビジネスにはさまざまな局面があります。
例えば、放送局に当社が納めたシステムは、お客様にとってはオンリーワンのシステムですが、中身を見ると色々なものを集めて、お客様にとってオンリーワンとなるシステムを作り上げているのです。
ダイナウェアのビジネスモデルは、自らオンリーワンとなることを追い続けました。そういうビジネスモデルを選択したのは、パソコン産業が黎明期で、どのベンダーがオンリーワンとなるソフトを作るのか、確定していなかったという、時代とマーケットのニーズがあったからです。
現在のユーザーの要求はもっと複雑ですから、全て自社で開発したオンリーワン商品だけでシステムを作り上げようとしたら、コストが数千倍になってしまいます。だから、他社が作り上げたオンリーワン商品を組み合わせて、最適なシステムを構築するのです。
こう話すと、それではIBEはアセンブリー事業に特化するのかと思われてしまいますが、自分たちでオンリーワンになれると思った商品については、オンリーワン企業となる。でも、すでに強い企業が存在する分野ではその企業の製品を使う。場面、場面によって、フレキシブルに選択することができる企業がIBEです。
──昨年12月に株式を上場しましたが、この狙いは。
菅原 事業拡大がしやすくなります。企業体力を拡充し、新規技術や技術ライセンスの購入といった新しいビジネスへのチャレンジが非常にしやすくなりました。
ただし、新しいチャレンジといっても、当面はビデオITという分野にフォーカスしていくつもりです。当社がフォーカスしているビデオIT分野だけで、かなり範疇は広く、色々なビジネスが存在していますから、普通の企業のビジネスターゲットよりは、ずっと間口は広いと思っています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
ダイナウェア時代の菅原社長は、広報マンとしてマスコミの応対役であった。現在でもその頃の気質が抜けないのだろう。とにかく、親切に取材対応してくれる。
「学生時代は自分で映画を作ったりしていた」。映像には思い入れが深い。
「最初は全く戦略的ではなかったのだが、いつの間にかそういうノウハウが貯まっていった」。非常に理想的なビジネス展開である。
「パソコン産業の黎明期、市場は全くの荒れ地で、それだけに苦労も大きかった。現在、市場の競争も激しいかもしれないが、荒れ地ではなく、もっと耕しやすい市場だと思っている」
苦労を重ねて事業を立ち上げてきた。その苦労が現在のビジネスを助けたようである。(猫)
プロフィール
菅原 仁
(すがわら じん)1963年3月26日生まれ。87年4月、デービーソフト入社。89年8月、ダイナウェア入社。98年6月、ダイナウェア取締役に就任。99年7月、現職であるアイ・ビー・イー代表取締役社長に就任。
会社紹介
アイ・ビー・イー(IBE)は、1998年11月の設立。従業員は46人で、主な株主はシャープ、トランス・コスモス、NTTソフトウェア、日本オラクル。今年度(2003年3月期)の業績見通しは、売上高18億7100万円、経常利益1億9800万円、当期純利益1億1300万円となっている。事業別売上高は、昨年度(02年3月期)の場合で、システムインテグレーションが86.2%を占め12億2800万円、プロダクト事業が8.2%の1億1700万円、サービスが5.6%の7900万円となっている。
圧倒的にシステムインテグレーション事業の比率が高いことが特徴。だが、今後は同事業に加え、サービス、プロダクトの3分野で3分の1ずつの売り上げとしていくことを見込んでいる。そのために、オリジナル商品「EZプレゼンテーター」などの商品を、代理店を通して販売していくビジネスの確立などを進めている。
それと同時に、システムインテグレーション事業についても、「デジタル放送のスタートで、放送局のIT化ビジネスも拡大していくことから、システムインテグレーション事業の売り上げを伸ばしていく」。そのうえで、「並行しながら、サービス、プロダクト事業の売り上げも拡大させていく」という将来像を描いている。