2007年11月、日本ヒューレット・パッカード(日本HP)はコンパックコンピュータとの合併から5年を迎える。大手企業同士の合併による混乱を克服し、合併後の業績は好調に推移する。小田晋吾社長は07年度(07年10月期)を変局点と位置づけ、「新生日本HPは第2フェーズに入った」と断言する。HP一筋の“叩き上げ”トップは何を見据えているのか。
新生HPの合併効果を訴求 5000億円企業を目標に
──社長就任から約1年半、コンパックコンピュータとの合併から数えれば約4年が経ちました。今の日本ヒューレット・パッカード(日本HP)をどう評価していますか。
小田 社長就任から1年半よりも、合併から4年経った事実のほうが年月の意味は大きいですね。HPとコンパックという大きな企業同士の合併でしたから確かに最初は混乱があった。でも、私が社長に就任する前、先輩の会長や社長が1つの会社になるための基盤をつくってくれていた。その後に社長になっていますから、使命はコンパックとの合併で生まれた「新生日本HP」の統合効果を、顧客やパートナー企業にどうアピールするか。そして、社員に対してこれから進むべき方向性をはっきりと示すかだと考えていました。
今の日本HPの業績は、市場伸び率の2倍以上で成長を遂げています。顧客やパートナーからは「HPは元気ですね」と言ってもらえるようになりました。期待値も高まっている。高評価をもらっていると思います。
私は、昨年度(06年10月期)までを新生日本HPの第一段階、そして今年度からを第二フェーズに位置づけています。今は3年後までの中期的な目標を定めて動き始めた時期。今年度は大きな変局点だと思う。次の成長に向けて会社を変えていく段階です。
──今年度からはこれまでの延長ではなく、変わる時期にきていると。
小田 そう。日本HPは売上高4000億円を超え、次の成長を目指しています。一般的に年商5000億円を超えると会社としてのステージが変わる、顧客や社員の企業を見る眼が変わるといわれています。5000億円企業に成長するうえで、経営基盤が磐石であるかと問われれば、まだそうとは断言できない。第二段階に入った今、冷静に会社をみつめ足りないものは何かを再度認識するなど、やることはたくさんあります。これまでの延長では駄目。だから変局点なのです。
──この先3年間の経営のなかでどこに焦点を当てていきますか。
小田 大きくわけて5つあります。「戦略」「人材」「プロセス」「コンプライアンス(法令遵守)」そして最後が「財務基盤」。この5つを重視します。
日本HPの製品群とテクノロジー、市場環境、ユーザーとパートナーの要望すべてをミックスしてHP全体の基本戦略を立て、それを各事業部に落とし込む。そして、そのビジネス戦略を推進するための人材を育成し、最適に配置する。プロセスの改善は、企業規模が大きくなったことで発生する業務プロセスの複雑さを“見える化”“簡素化”して解消するためのもの。業務プロセスの簡素化は、生産性向上とパートナーや顧客の満足度を高める意味で重要です。そして、情報漏えい対策や内部統制の仕組みをしっかり整え、法令を遵守し財務基盤をさらに強固にする。
──パートナーとのアライアンス体制の強化は。
小田 もちろん重要です。顧客の要望は多様で、今はもう1社ですべてのニーズを満たすことはできない。当社が弱い分野は、強いSIerと組んで一緒にソリューションを提供する体制がますます大切になる。アライアンスを組んでいる企業に対しては今以上に支援し協業体制をさらに強固にします。技術情報の迅速な提供や営業支援、共同プロモーション体制の確立にはさらに力を注ぎます。
──そうした社長の考えは、全社員に浸透していますか。
小田 浸透させている最中という段階ですかね。当たり前ですが、社長だけでは何もできません。社員一人ひとりが同じベクトルで進み、業務を遂行しなければならない。だから、私の考えを社員に浸透させるためにコミュニケーションを密にとっています。
05年に日本HPのビジョンを掲げました。グローバルレベルや米本社と共通のビジョンではなく、日本HP独自で。その時も役員、中堅社員、若手社員のそれぞれから意見を集めて案を練りました。社員と一緒につくり、ビジョンを共有したかったからです。
コンサルとSIが好調 サーバーでシェアを
──昨年度の実績をどう評価していますか。
小田 市場全体の伸び以上に成長できたと思います。とくにサービスビジネスとプリンタ事業は大きく伸長しました。サービスでは、コンサルティングとシステムインテグレーション(SI)、そして保守事業が総じて良かった。日本HPはコンサルとSIでインフラ層とアプリケーション層に分ければ、インフラ構築に強い。インフラは目立ちませんし、他社と協業してシステムを構築しているため表舞台に立つケースがないので印象が薄いかもしれませんが。でも、このサービスビジネスが日本HPの売上高の約40%を占めているんですよ。
一方、プリンタは目標を上回り計画値を3年ぶりに達成することができました。
──サーバーとPCについては。
小田 x86系サーバーは、昨年よりも台数シェアを伸ばして2位ですが、今後もっと伸ばせる。そして何とか1位を獲りたい。シェアナンバーワンの地位はブランド力を強めます。販売に弾みがつく。利益を度外視して闇雲に台数シェアを追う戦略はとりませんが、収支をうまくみながらシェアナンバーワンにはこだわってチャレンジします。UNIXサーバーは金額ベースで1位ですが、今年はもっとプロモーションかけてシェアを高めていく。
一方、PCについては厳しい環境で今後の大きな課題だと思っています。グローバルパワーを使い、いかに価格性能比を高めるか。そしてハードの品質とサポートの質を向上させるかに集中して取り組みます。
そして、今年はコンシューマ向けPC事業を本格的に強化する。HPは北米、欧州地域ではコンシューマPCに強い。この強さを日本市場でも再度アピールしたいんです。店頭販売を行うかなど販路は検討していますが、製品ラインアップは今よりも確実に増やします。
──x86系サーバーでもPCでも差別化要素が少なく価格勝負になっている感がある。差別化ポイントをどこに見いだしていくのでしょうか。
小田 HP製品を選んで使い続けてもらうためには、顧客に安心感を与えることが重要です。その要素は、品質の高さとサポートサービスの質だと思うんです。
──品質とサポートは他社より抜きん出ていると。
小田 いや、十分かといえば必ずしもそうとはいえない。私の感触では65点くらいかと。とくにサポートはまだまだ充実させる余地がある。サポートセンターでの問い合わせ対応やトラブルが発生した場合の対応など改善すべき点は多い。当たり前のことができていないケースもあります。だから今、業務プロセスを見直しているところです。品質とサポート力の高さで日本HPを選んでもらえるようになりたい。そうすれば自ずとシェアは高められるはずです。
──ソフトウェアは?日本HPのソフトウェアは弱いとの印象を受けます。利益を上げるうえでは、ハードよりもソフトの地位向上が今の日本HPには必要なのでは。
小田 確かにそう。ソフトは強化しなければならない分野です。HPには、「OpenView(オープンビュー)」という運用管理ソフトがあってこれまで販売を伸ばしてきましたが、今は多少飽和感が出てきて競合も激しくなってきた。ただ、米本社は手を打っており、運用管理系やストレージ系のソフト会社を買収、製品群を揃えています。2007年はもっと攻める。これからが勝負です。
My favorite 父の形見であるゴルフクラブ。ゴルフは17歳頃に始め「親父に相当鍛えられた」。ゴルフが大好きだった父親から譲り受けたクラブで、今でもコースに出た時に使う。120-130ヤードの距離に最適だとか。「このクラブを忘れた時はどうも調子が悪い」そうだ
眼光紙背 ~取材を終えて~
小田社長の経歴をみれば一目瞭然だが、まさに“叩き上げ”。ビジネスキャリアはすべて日本HPで培った。外資系企業では極めて珍しい。元社長で独特の個性を持った高柳肇氏、そしてダイエーに移った樋口泰行前社長を陰で支え続けていたのは小田氏だったとの声も耳にする。
インタビュー中、戦略を語る眼には勢いと力強さがあって記者に「気が抜けない」と思わせる半面、本社受付での写真撮影時には「早くしてね、恥ずかしいから」と照れくさそうな表情で応対する一面もある。「社員からは小田さんと声をかけられる存在で、人気がある」と、ある社員は言う。力強さと、肩肘張らない気さくな性格を併せ持つ独特の雰囲気は、2人の前社長には見られない小田社長の持ち味だ。
2002年の合併から今年は5年を迎える。小田社長は5年目を変局点と考えている。本格的に攻めるのは2007年からなのかもしれない。(鈎)
プロフィール
小田 晋吾
(おだ しんご)1944年11月、東京都生まれ。67年3月、慶応義塾大学法学部卒業。70年5月、東イリノイ州立大学商学部卒業。同年7月、横河・ヒューレット・パッカード(現・日本ヒューレット・パッカード)入社。82年、営業本部業務部長。90年、東部支部長。92年、コンピュータシステム事業本部ストラテジックパートナ営業本部長。97年、取締役。99年、常務取締役。02年、コンパックコンピュータとの合併に伴い、取締役副社長エンタープライズシステム事業統括業務統括本部長に就任。04年、取締役副社長営業統括。05年2月、代表取締役副社長営業統括。同年5月、代表取締役社長に就任し現在に至る。
会社紹介
日本ヒューレット・パッカード(日本HP)は、横河電機との共同出資で1963年に設立した横河・ヒューレット・パッカードが前身。95年に現社名に変更し、99年に米HPの100%出資となった。02年の米本社と米コンパックコンピュータとの合併に伴い、日本法人も同年11月1日に統合した。05年度(04年11月ー05年10月)の売上高は4119億円。従業員は約5600人。販売およびサポート拠点を約50か所に設置する。米本社の直近四半期(06年8ー10月)業績は、売上高が246億ドル(約2兆9028億円)、営業利益が19億ドル(約2242億円)。
総合コンピュータメーカーとしてハードウェアとソフトウェアともに豊富な製品群を持つ。ハードではサーバーやPC、ストレージやネットワーク機器、プリンタなどがあり、ソフトでは運用管理ソフト「Open View(オープン ビュー)」などを揃える。また、情報システムの企画コンサルティングやシステム構築も手がけており、全社員のうち約4000人をSEが占める。
IDC Japanの調べによると、05年のサーバー出荷金額シェアは18.6%で、日本IBM、富士通に次ぐ3位に位置する。ソフトでは、米本社が運用管理系ソフト会社の買収でラインアップを増やしているほか、06年7月にマーキュリー・インタラクティブをTOB(株式公開買い付け)で買収した。