ASPとSaaSの普及啓蒙活動を手がけるNPO、ASP・SaaSインダストリ・コンソーシアム(ASPIC)。河合輝欣氏は1999年の設立から今まで会長職を務め続ける。約10年、ASPとSaaSの歩みを見てきた河合会長は、「今のASP・SaaSの高まりは今後も続く。いつかは社会のインフラになる」と絶対的な自信を示し、その普及に力を注ぐ。
システムは所有から利用へ 市場は5年後、2兆円台に
──設立時に就いたASPIC会長職も、もうすぐ10年になります。同じ団体のトップを、これほど長期間務めるのは珍しい。ASPとSaaS普及に対するこだわりというか、執念を感じます。
河合 ASPICは、ASPとSaaSの意味は全く同じで違いはないと定義しているので、「ASP・SaaS」と表現しますね。(ひと続きに感じるほど)確かに思いは強い。ASP・SaaSは近い将来、社会インフラになる。私はそう思ってきましたから。
──社会インフラ……。SaaSは旬のキーワードで、業界が盛り上がっているのは事実です。しかし市場規模がまだまだですし、課題もある。そこまで断言できる裏付けは何ですか。
河合 この10年ほど、私はASP・SaaSの歩みを肌で感じてきました。まずASPという言葉が登場した時、ネットワークを通じてアプリケーションを提供するサービスモデルを創出しようと、みんな走りましたよね。ASPICの会員数は、設立時85社でしたが、その頃二百数十社まで急拡大しました。ただ、その時はブロードバンド回線が普及しておらず、Webアプリケーションの操作性を高める技術も弱かった。新しいサービス形態だけにユーザーも疑心暗鬼でしたから、なかなか市場が大きくならなかった。結局、会員も減っていきました。
──ASPは尻すぼみになり、ソフトウェアビジネスの本流にはならなかった。
河合 だけど、今は違う。回線は太くなりWeb技術は飛躍的に向上した。政府もASP・SaaSの普及に力を注いでいます。ASPIC主催のイベントでは、増田寛也総務大臣が出席し、ASP・SaaSの優位性を説明してくれました。こんなことは他の分野ではありえないでしょう。しかもプレゼン資料を持ち込んで。10分間の予定だったのに、倍の20分も時間をかけたほどです。
セキュリティやコンプライアンス(法令遵守)にかかわるような重要な経営・個人情報を保持する情報システムを、自社で所有して運用するのは大変な作業。プロ(ITベンダー)に任せたほうがずっと経営効率はよくなる時代です。SaaSという新語を外資系企業が持ち込んで大々的にPRしたこともあり、そのメリットは徐々に知られつつある。いろんな要素が相まって今の流れができたのです。この点で、ASPが出てきた頃とは大きく異なります。この流れは止まらないはずです。
──コンピュータは「所有」から「利用」へとシフトし、そこでASP・SaaSが貢献する、と。
河合 コンピュータが高額で「持てなかった」時代から、オフコンとPCの登場で誰もが「持てる」環境になった。そして、今、少し言い過ぎかもしれませんが、情報システムは「持ってはいけない」時を迎えたんです。コンピュータを持たずに利用するために必要なインフラ。それがASP・SaaSです。
──市場規模はどの程度とみますか。
河合 2012年までに2兆円くらいにまで成長すると思います。
──年率30%ほどで伸びる勘定になります。IT産業全体の成長率に比べ、かなり高い。普及を疑う人は少ないですが、実際のビジネスにつなげるには課題も散見されます。
河合 私もいくつかあると思いますが、大前提として「ユーザー企業が知らない」という根本的な問題があります。ASP・SaaSをもっと知ってもらわないといけない。たとえ知っていても、情報資産を預けることに不安を感じているユーザーもいます。
ITベンダーの人間はASPとSaaSの違いについて言及し、テナント方式の違いやカスタマイズの柔軟性などをユーザー企業に説明していますが、そんなことに意味は全くありません。ユーザーにとっては、どうでもいいはずです。ASP・SaaSは、「安心して使える利便性の高いIT利用法」であることをアピールするほうがずっと重要です。
安全の認定制度をスタート 敷居低く中小も使いやすく
──それがASPICの役目だと。
河合 だから、「ASP・SaaS安全・信頼性情報開示認定制度」をつくって4月から運用を開始したんですよ。この制度は、ASP・SaaS型サービスの提供企業やサービスの内容、支えるITインフラ情報といった、「ユーザーがサービスを購入する際に最低限必要な情報を、ITベンダーが適切に開示しているかどうか」を審査・認定する〝お墨付き制度〟です。
ユーザー企業は、まずこれを取得しているかどうかでサービスの安全・信頼性を測定できる。各ベンダーがそれぞれ提供するASP・SaaS型サービスを共通した尺度で見比べることができ、どのサービスが一番自社にとって有効かも判断できます。
ITベンダーにとってもメリットはある。ASP・SaaS関連で第三者が認定する唯一の制度ですから、これを武器に自社サービスの安全・信頼性をアピールできます。これからASP・SaaS型サービスを始めるベンダーにとっては、サービス提供には何が必要か、どんな情報を開示すればよいか知ることができ、指針にもなります。
──この制度は、あくまでも開示情報について審査・認定しています。そうではなくて、「『A』サービスはASP・SaaS、『B』は違う」という感じで、ASP・SaaS型サービスの内容自体を客観的に見定める制度にしなかったのはなぜですか。
河合 小さなソフトハウスやベンチャー企業がASP・SaaS市場でビジネス展開するための参入障壁を高くしたくなかった。
正確な数は把握していないのですが、ASPICではASP・SaaS事業者は国内1000社ほどで、その大半は中小企業とみています。大手でも小さな事業部門が展開している程度。確かにサービス内容自体を認定すれば、制度の信頼性は増すかもしれません。ただ、ベンダーにとっては敷居が高くなる。認定制度の価値が上がれば上がるほど、それを持っていないベンダーは事業展開しにくくなります。それだけは避けたかった。今の制度で求めている情報開示体制を整えるだけでも、中小企業にとっては大変だと思いますから。
──個別のSI案件やパッケージソフトでは表舞台に立てなかった中小企業が存在感を示せるチャンスだ、と。
河合 確実にビジネスチャンスはあると思います。今まで中小ソフト開発企業は、ユーザー企業から直接受注しているケースはまれで、大半は大手ITベンダーの下請け受注だったと思います。
でも、中小でも高い技術力を持っていたり、斬新な発想があるベンダーはたくさんいるんです。私はNTTデータという大手企業にいましたが、中小のソフト開発企業とお付き合いする機会が多かったからよく分かるんです。
ASP・SaaSはネットワークを通じて直接ユーザーにアプリケーションを提供できる。SIやパッケージソフトの商流とは違うのです。自社サービスをより容易に提供・販売できる。また、ASP・SaaSは、他社アプリとの連携が簡単ですから、複数の中小ITベンダーが弱い部分を補完し合ってサービスを作り上げ、共同展開するようなことも可能なはずです。
米セールスフォース・ドットコムのようなベンダーが日本から出ないのは残念でならない。中小のソフトハウスでも協調して成長でき、世界でも戦えるような環境をASP・SaaSで作りたい。そう願っています。
My favorite 6年ほど前に愛娘からプレゼントされたモンブランの万年筆。以来ずっと愛用する。ビジネスシーンでサインやメモをとる時には万年筆を使う。モンブランがお気に入りのブランドとか
眼光紙背 ~取材を終えて~
河合会長はASPICのほかに、中小のソフト開発企業が会員の日本ソフトウェア産業協会(NSA)会長も兼務する。そこでも、ASP・SaaS普及に向けた活動を推進しているようで、「中小企業がサービスを開始するためには何が必要かなどを伝えるセミナーや勉強会を活発化させている」という。
NTTという超大手企業でキャリアを積み、NTTデータでは副社長を務めた。知り合った中小企業のポテンシャルを高く評価している。だからこそ、中小IT企業の活性化を主眼において活動を続けている。
ASP・SaaSは「既存のパッケージソフト販売やSIのビジネスモデルを壊しかねない」との見方があり、一部のITベンダーは収益面から及び腰なところもある。しかし、「始めないと他社に食われてしまう可能性は大きい」と河合会長は指摘する。中小企業にASP・SaaSの利点を教えるだけでなく、「今後ビジネスを継続するために必要な要素」とも説いている。(鈎)
プロフィール
河合 輝欣
(かわい てるよし)1966年3月、慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程(電気工学専攻)修了。同年4月、日本電信電話公社(現・NTT)入社。88年、NTTデータ通信(現・NTTデータ)に移籍。公共システム事業部長。97年、代表取締役副社長。01年、顧問。03年、TDCソフトウェアエンジニアリングに移り代表取締役社長。07年、ユー・エス・イー取締役会長(現任)。ASP・SaaSインダストリ・コンソーシアム(ASPIC)の会長職は、99年の設立当初から務め、05年からは日本ソフトウェア産業協会(NSA)の会長も兼務する。
会社紹介
ASP・SaaSインダストリ・コンソーシアム(ASPIC)は、1999年にASPの普及促進を目的として設立されたASPインダストリ・コンソーシアム・ジャパンを前身とするNPO(特定非営利活動法人)。ASP・SaaS市場調査や情報提供、会員企業間のアライアンス、政策・制度に対する提言活動を主な事業内容としている。
最近では総務省のASP・SaaS施策を積極的にサポートし、「ASP・SaaSにおける情報セキュリティガイドライン」の作成を支援。08年4月15日に始まった「ASP・SaaS安全・信頼性情報開示認定制度」の運用業務も担う。
08年度「電波の日・情報通信月間」記念中央式典では、総務省からASP・SaaSの利用促進に貢献したと評価され、総務大臣賞を受賞した。