日本ヒューレット・パッカード(日本HP)のトップに就いて1年。この間、社内構造改革を着々と進めていた。米本社が米EDSを買収し変化はさらに加速。「統合作業、相乗効果の追求も進めてきた」。準備は終わり、「2009年は結果を出す年」。日本IBMから通信業界に移り、再び総合ITベンダーに。「イノベーションを起こす」と声を強める辣腕経営者は、今のポジションを10年間務める決意を固めている。
木村剛士●取材/文 大星直輝●写真
ユビキタスの今に再びITを 総合力に魅せられ日本HPに
──社長就任から1年が経ちます。振り返る前に、まずご自身の選択についてお聞きしたい。日本IBMに約25年間籍を置き、通信業界に移って、今度は日本HPの社長に。どんな思いがあっての決断ですか。
小出 通信業界に籍をおいていた約3年間は、ITとネットワークの融合が急激に進んだ時期でした。コンピュータの処理能力にネットワーク速度が追いつき、ユビキタスがまさに現実的になってきた激動の頃。私は通信業界でその流れを肌で感じることができました。その時、この時代にもう一度IT分野に戻れば、もっといろんなことができるかなと思ったのです。
──日本HPを選び、社長を引き受けた理由は?
小出 変革を起こすためには、総合力が必要です。HPは製品・サービスのカバレッジが広く、その力がある。一方で、グローバル市場のなかでも勢いがある会社で、私の海外経験も生かせる。日本だけでみれば、横河・ヒューレット・パッカード(日本HPの母体)時代から、日本に根付いたオペレーションを長く手がけている実績もあります。複数の企業との合併を経て今のHPがありますから、人間的、会社的なしがらみがあるのかなと思っていたのですが、驚くほどない。むしろ、IBMよりオープンな雰囲気を感じます。総合的にみて日本HPに魅かれ、自分のキャリアを発揮する集大成の場として日本HPを選びました。
──「集大成の場」と表現するところをみると、2~3年で辞めるつもりは全くない、と。
小出 日本HPに入る時、日本のIT産業界の再編・変革を自分なりの形でやり遂げると決意しました。変えるためには、それなりの時間がかかる。私は「10年戦争」だと思っていますよ。日本HPの役員定年は60歳で、49歳の時に就任しましたから、まさに10年ですね。
──ではこの1年を振り返り、日本HPの課題は何と見定めましたか? 気になるのはサービス事業です。
小出 日本のマーケットで、PCとプリンタを除くIT事業の売上高を見た場合、一番大きいのは富士通ですよね。その後にNEC、日立製作所、日本IBM、NTTデータと続き、日本HPは6番目……。ハードウェアでは優位な位置にいるのに何が原因か。まったくご指摘の通りで、サービス事業のポーション(部分)が大きく違うんです。他社に比べて日本HPはサービス比率が低い。
でも、HPのグローバル全体でみると、日本法人は全売上高に占めるサービス事業の比率が高いんですよ。理由は、日本はサービスやソリューションを求めるユーザー企業・団体が多く、それに親身になって対応していること。それと、日本はPCではNECや富士通、プリンタではリコーやキヤノンといった国産メーカーが他国市場よりも強く、他国のHP現地法人に比べてプリンタとPCの販売金額が低いことがあげられます。そんなお国柄からくる理由があるとしても、まだ低い。
日本HPが成長するには、もっとサービスを伸ばす必要があると思っています。アウトソーシングだけをみれば、日本HPは売上高に占める比率が2~3%しかなく、他社に遠く及ばない。他社がそこを伸ばしているのであれば、そこにユーザーの要請があるということですから市場もある。だから、サービスとソフトも組み合わせたソリューションを強くすれば成長が見える。この1年はそのための社内構造改革を進めてきました。
EDSの力も武器になる サービス事業強化に注力
──構造改革の中身を教えてください。
小出 戦略的な事業部門へ200~300人をシフトさせ、かなり大掛かりな人員配置をしました。それとは別に、日本HPの強みを生かした付加価値の高いサービス、ソリューションを生み出すためには、各事業部門が連携しないとダメだと考えました。そうでないと、新しいイノベーションは生まれませんから。だから、横断的な戦略的事業を創出するため、専門部署を私の直属組織として作りました。これも、かなりダイナミックな人員配置だと思います。各部門の優秀な人間を集めましたから。強みの再認識からマーケットの分析、新サービス・ソリューションの創出まで私と一緒に考えてきたのです。
──サービス事業の強化という観点でみれば、米本社が買収した世界的ITサービス大手の米EDSが力になるはず。大きな武器になりますよね。ただ、日本法人同士の統合による相乗効果が見えてきません。
小出 日本HPとEDSジャパンの相乗効果というローカルな観点で話をするより、EDSという世界的なサービス事業の大手がHPの仲間に入ったというインパクトを考えるべきだと思っています。世界最大のアウトソーシングをやっているのはEDSですし、アプリケーション開発の卓越したメソドロジーも持っている。オフショア開発能力も世界トップレベルでしょう。そのように数多くある武器のなかで、私が日本HPのサービス強化につながるものを日本に持ってきて、ユーザーのソリューションにどう使うかが重要です。ユーザーもそこに期待していると思います。
──ただ、日本のユーザー企業やパートナーは、もうそろそろ“目に見える”相乗効果を期待しているのではないですか。
小出 強いサービス、ソリューション作りをすべて自前でやろうとは思っていません。EDSと組み合わさった日本HPの強みを最大限に生かすためのパートナーを見つけ、協業した形で提供するのが適切かと。日本HPはITインフラ系のハードやソフトに強い。そこは日本HPが中心になって、顧客の業務に直結した情報システムなどは、それぞれの業種に強いパートナーと組むというように。実例はすでにいくつかありますが、それぞれのソリューション、サービス強化について最適なパートナーは誰かを見極めるのはこれからです。
──この1年、成果をどう自己評価しますか。
小出 1年で構造改革の結果を測るには性急にすぎる。今は真っ最中の段階で、計画通りに進んでいますよ。ただ、成果は経過ではなく結果で測るものですから。
──では、どの時期に改めてお話を伺えばいいのでしょうか。
小出 1年後ぐらいですね。今大きく舵を切っている最中です。戦略的領域への投資、そして人員のシフト。2008年の日本HPは社長も変わり、本社は世界的ITサービス企業を買収した。社員や会社を変化させた。そして市場は大きく変わってきている。09年の経済全体はマイナス成長かもしれません。ただ、歴史的にみれば、そんな厳しい年にこそ、イノベーションが起きています。だから、あと1年。09年は変化を巻き起こさせるんです。
PCとプリンタは、世界中で2秒に1台が売れていく状況です。そこで、スケールメリットを生かせるシェアを持った。EDSという強い武器も手に入れた。いろいろな手を打てる段階に入ったわけです。08年は着々と準備を整えた。09年はそれを実行し結果を出す。米HPは、世界的にみれば米IBMに次ぐ世界第2位のITプレイヤーかもしれませんが、日本では業界6位のチャレンジャーなんですから。
眼光紙背 ~取材を終えて~
今回の取材に至った経緯をいえば、小出氏の社長就任のプレスリリースが届いた2007年12月3日に取材を依頼し、その後数十回もの広報担当者とのやり取り……。今回の取材は08年12月16日。足掛け1年かかった単独インタビューだった。この間、小出社長がメディアに登場した回数は驚くほど少ない。
米HPはハードではシェアNo.1、サービスでは米EDSを買収して米IBMに次ぐ第2位に。そんな勢いある企業の日本法人新トップはIBM出身。大歳卓麻氏が日本IBM社長に就任した際には社長補佐を務め、その後米IBMに出向しコーポレートストラテジーも担当した。それゆえに日本IBM次期社長候補との声も聞いたことがある。そんな人物が今の道を選んだ背景や胸の内を、できる限り早く記事にしたかった。
「1年後」。小出社長は自ら手がけてきた構造改革の成果を判断する時期をこう答えた。10年戦争、勝つか負けるか。最初の試金石となる09年がスタートした。(鈎)
プロフィール
小出 伸一
(こいで しんいち)1958年10月1日、福島県生まれ。81年3月、青山学院大学経済学部経済学科卒業。同年4月、日本IBM入社。94年、金融機関第二営業本部・第一営業部長。98年、社長補佐。99年2月、米IBM出向。コーポレートストラテジーを担当。同年12月、経営企画・社長室担当。01年、理事・システム製品事業担当。02年、取締役-ITS・アウトソーシング事業担当。03年、取締役-金融システム事業部長。05年、日本テレコム(現・ソフトバンクテレコム)に移籍。常務執行役営業統括オペレーション担当。05年、常務執行役営業統括担当。06年6月、取締役副社長営業統括。同年10月、代表取締役副社長COO。07年12月1日、日本ヒューレット・パッカード(日本HP)に移り代表取締役社長執行役員に就任。