スクラッチ信仰が阻害要因?
──“そもそも論”になりますが、日本のパッケージソフトは海外市場で通用する技術力があると思いますか。
千田 あります。日本市場にも海外製ソフトは進出してきていますよね。それでも、日本のパッケージソフトは売れています。私が会長を務める東洋ビジネスエンジニアリングの製造業向け基幹システムパッケージ「MC Frame」は海外製品と競合になるケースがありますが、競争に勝って多くのお客さんを抱えています。日本に海外製品が進出したからといって、すべて海外製品になっているわけではない。日本の技術力は世界に負けていないという証です。
──であるとしたら、モノづくりで世界に存在感を示す日本が、ソフト産業ではなぜ地位が低いのでしょうか。
千田 パッケージソフトに対する欧米諸国と日本の見解の違いが大きいと思います。歴史を振り返ってみると、90年代前半に欧米のユーザー企業はシステム開発する際、パッケージベンダーが登場したことでスクラッチ開発からパッケージベースに舵を切った。ユーザー企業は割り切ったんです。自社の業務に適したソフトをITベンダーに開発させるのではなく、業務をパッケージに合わせるという考えに変えた。そうなったことで、パッケージソフト産業が育ち、海外に出る準備も出来た。ソフトを効率的に管理するための標準化や自動化、いわば、工業化が進んだんです。
一方で、日本は違う。徐々にパッケージ指向になってきたとはいえ、スクラッチ開発が最適という考え方が根強く残っている。ユーザー企業は「俺たちには俺たちのやり方がある」と言ってソフトをカスタマイズ。ITベンダーも人月商売で売り上げが立つから、それに異論を唱えずにスクラッチ開発する。欧米のように「パッケージに切り替えよう」と言っても、「それは日本の特色を捨てることになる」という結論になってしまって……。
そんな状況だからパッケージソフト産業はいつまでも工業化が進まず、世界市場に打って出るタイミングも遅れたんです。この考え方の遅れが世界で尾を引いて、未だに存在感を示せない最も大きな理由だと私は分析しています。
──といっても、パッケージがすべてではないような気がします。
千田 確かにそう。ただ、業務のなかで「ここで競争する!」という領域以外の仕事ってどの企業もありますよね。そこに莫大なIT投資をしてソフトをカスタマイズ開発するのが、本当に適切でしょうか。そこは割り切って、標準化されたパッケージソフトを活用して、コアな部分で独自性を出す考えが必要ではないかと。それをベンダーがしっかりとユーザーに提案することも大切です。こうした考えをMIJSメンバーは共有しており、それを伝えることもMIJSの取り組みとして必要だと思っています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
海外へのチャレンジ精神が以前から旺盛な千田理事長だけに、今のMIJSには内心忸怩たる思いを抱えている様子だった。尖がった意見を口にしているようで、「かなりのプレッシャーを感じて理事長に就いたんだよ」と胸の内を明かしてくれた。
記者は今から2年半前、本紙2006年8月7日発行号(Vol.1149)でMIJS発足の記事を1面に掲載した。1面トップでの掲載にこだわり、社内外であれこれ調整したことを思い出す。日本の製造業は世界で強いのに、ソフト産業に限っていえば弱い──。そんな状況を打破して欲しいと記者は常々思っている。だからこそ、MIJS発足には大いに賛同し、このニュースを大々的に扱いたかった。
「総論賛成、各論反対」。個々の思惑を抱える企業が集まった任意団体をまとめるのは容易なことではないだろう。だが、そろそろ具体的な成果を見たい。志あるリーダーの世界展開を注視していきたい。(鈎)
プロフィール
千田 峰雄
(せんだ みねお)1948年、岐阜県生まれ。73年、一橋大学経済学部卒業。同年、東洋エンジニアリング入社。97年、経営計画本部事業開発室長。99年、同社子会社の東洋ビジネスエンジニアリング(B─EN─G)の設立に参画。B─EN─GのSAPセンター長を務める。00年取締役、01年常務取締役を歴任した後、02年に代表取締役取締役社長に就任する。08年4月、取締役会長に就き、同月からMIJSコンソーシアム理事長を務める。
会社紹介
MIJSコンソーシアムは2006年8月設立の任意団体。MIJSは「Made In Japan Software」の略で、国産ソフトを連携させて世界市場で販売する仕組みを共同立案する目的で設立された。発足時の設立メンバー企業は13社で、現在は正会員27社、賛助会員13社の企業で運営する。海外展開のための調査・研究活動のほか、会員企業が持つパッケージソフトの連携動作のための標準規格作りにも取り組む。