日立グループの「フロント」の一翼を担う日立ソリューションズ。日立グループが掲げる「フロント重視」とは、顧客に最も近いところで仕事をしている営業やSEが、より主体的に活躍することを示した日立グループの経営方針である。言葉をかえれば顧客本位、顧客主義の考え方であり、もともとフロント領域で強みをもつSIerの日立ソリューションズにとっては、一段と強みを発揮する機会が到来したともいえる。柴原節男社長に話を聞いた。
「フロント重視」の改革を推進
──日立グループでは、頻繁に「フロント」というキーワードを発信していますが、どういう意味でしょうか。 これは営業やSEといった、顧客に近いところで仕事をしている人たちに、より主体的に活躍してもらいましょう、という意味です。当社のような情報サービス業は、基本、営業やSEが主役ですので、あまりピンとこないかもしれませんが、日立グループ全体を見渡すと、電力や鉄道、建機といった商材が多くあり、こうした重電系のビジネスは、工場の発言力が伝統的に強かったりするのですね。
例えば、見積もり一つ出すにも、工場で原価計算しないといけないし、現場は工場からの返答を待たないと何も動けない。それでは顧客本位に反するということで、よりフロントを重視する方向へ、今年度から大きく舵を切っているのです。私は日立製作所の常務を兼務しつつ、日立ソリューションズをはじめとする日立グループの「フロント重視」に向けた改革を推進しています。
──柴原社長も指摘しておられますが、日立ソリューションズを含むSIerはビジネスの構造上、もともとフロント重視というか、工場が力をもっている構造にはないと思うのですが、それでも改革が必要ですか。
当社には二つの側面があって、一つは日立製作所と一体になって展開するビジネス、もう一つは自主独自のビジネスです。前者の日立製作所との連携ビジネスについてですが、例えばIoT/ビッグデータ、AI(人工知能)という領域は、業種・業態は関係ありません。日立グループが注力している社会インフラのほぼすべての領域に深く関係していますので、ITの領域でフロントの一翼を担う当社自身の意識改革の遂行にもつながっているのです。
もう一つの独自ビジネスは、民需や産業全般に向けたシステム構築、自社開発のパッケージソフトやサービスの販売、マイクロソフトの基幹業務システム「Dynamics」シリーズを軸としたグローバル展開などに取り組んでいます。昨年4月には、日立製作所との協業比率が高かった当社の社会・金融・公共分野のシステム事業を日立製作所本体に移管し、当社は民需・産業に特化したSIerとして再出発しています。こうした影響もあって直近での独自ビジネスは、売り上げ全体の8割を占めています。この領域は、ご指摘の通り、当社自身が独自にフロントに立ち、顧客本位により徹して、顧客の売り上げや利益を伸ばすためのビジネスに一段と力を入れていきます。
「炎上」を機に顧客と密接な関係
──日立ソリューションズのトップに就いてほぼ半年が経ちましたが、御社のすぐれた点について、どのようにお感じになっていますか。 そうですね、情報漏えい防止の「秘文」や文書管理の「活文」に代表される自社パッケージ製品やSI経験、北米や欧州、アジアの主要都市に拠点を展開していて海外でのサポート力もある。何よりスピード感あるビジネスを実践できているところが当社の強みであり、魅力ではないでしょうか。IoTをはじめとする、デジタル経営の領域にも、当社の優位性を生かして、多少の失敗は恐れずに挑戦していきたいですね。
──柴原社長は、主に日立製作所のシステム畑でキャリアを積んでこられたとうかがっていますが、ご自身の「失敗を恐れずに挑戦」してきた武勇伝も、ぜひ教えてください。 「失敗談」なら、たくさんありますよ(苦笑)。82年に入社して間もない頃、私は大学や研究所などを担当する公共部門に配属されていました。科学技術の文献データベースや、図書館のデータベースの構築、汎用機を使った機械翻訳などを担当していたのですが、その流れで防衛庁(現防衛省)の文献データベースの構築を担当しました。すでに公開されている文献や記事を記録しておくものなのですが、翌年2月の本稼働を控えて、設計が完了したのが11月。開発フェーズでは、ほぼ泊まり込みで、正月が明けて、いざテスト稼働させると、あちこちのモジュールが動かない。ソースコードをひっくり返して、しらみつぶしに不具合を探して、ようやく一つ、二つみつけるといった、いまでいうところの炎上プロジェクトをやらかしてしまったのです。
──設計も柴原社長が担当しておられたのですか。 いえ、実はこのプロジェクトでは、設計はお客さん側で担当してもらっており、開発の遅れは、当社だけではどうしようもない部分がありました。恐らく、当時の上司も、それを見越して入社数年目の、“体力だけはある若手”を送り込んだのでしょう。
電算室の床に寝袋を持ち込んで仮眠をとっていると、電算課長が「どうだ、風呂に行かないか」と声をかけてくれたり、差し入れにおにぎりをわけてもらったりと、いろいろ配慮していただきました。
システムが稼働した後(といっても本稼働は結局半年遅れたんですけど)、書類を届けに行く前に、先方から「柴ちゃん、秋の運動会に向けて軽い練習をやるからさ、運動着と靴をもってきて」と言われたのですね。そして当日、バドミントンの練習におつき合いさせていただき、足の皮が剥けた思い出があります。あのときは、「陸自の隊員になるって、こういうことなんだな」と肌で感じましたよ。「軽い練習」って、軽さのレベル感がまるで違うのですよ!
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