挑戦しない組織は衰退してしまう
──黒瀬社長は、基本的に新しいことがお好きなのですね。これまでどのような新しいことに取り組んでこられたのか、お話しいただけますか。
最初はなんといっても当社が京セラから独立した95年です。それまで京セラ本体の情報システム部門で勤務していたのですが、「外販をやる」という話を聞いて、即座に手をあげて異動を願い出ました。新しいことに挑戦したかったし、何よりも売り上げを外から持ってきて、武勲を立てたいという野心もありましたからね(笑)。
アメーバー経営なので、情報システム部門でも社内での損益はしっかりカウントしているのですが、外からお金を稼ぐのとでは、気分的に違うのではないかと当時は思いました。
──独立してからはどんな仕事をなさったのですか。
90年代後半、携帯電話からインターネットに接続するサービスが立ち上がり、そのサービスを支える基幹システムを担当しました。携帯電話からネットに接続して、しかもさまざまなコンテンツをダウンロードしたり、購入したりする仕組みづくりは、初めてのことばかり。データセンターを開設し、UNIX機をベースに構築しましたが、今から思えば、われわれにもメーカーにも知見が十分ではありませんでした。でも、携帯電話のユーザーはうなぎ上りに増え、拡張が間に合わない状態がしばらく続いてしました。お客さまである通信キャリアに何度も謝りに行った記憶があります。
ほかにもゲームメーカーのコンテンツ販売にかかわる会員管理、課金システムの構築を担当するなど、オンライン系のビジネスを数多く経験させてもらいました。いずれも、誰もが知っているユーザーやサービスばかりで、日本の情報サービスの産業史に残る仕事にかかわらせてもらったと自負していますし、私のやりがいにもつながっています。“進取の精神”で新しいことに取り組む。そして、自分の努力と才覚で自由にビジネスを広げられる面白さを経験しました。
──「進取の精神」が原動力というわけですね。
新しいことに挑戦しない組織は、いずれ緩やかな衰退を迎えてしまうと私は考えています。国や会社も同じで、新しいことに意欲的に挑戦することで活気づきますし、そのなかで社会を変えるようなプロジェクトが生まれてくる可能性だってあるわけです。何もしなければ、何も生まれません。これからも、進取の精神で新境地をどんどんと切り開いて、次の成長につなげていきたいですね。
“進取の精神”で新しいことに取り組む。
そして、自分の努力と才覚で自由にビジネスを
広げられる面白さを経験した。 <“KEY PERSON”の愛用品>座右の書を戒めに ヴェネツィア共和国の興亡を描いた『海の都の物語』(塩野七生著)、『文明が衰亡するとき』(高坂正堯著)。千年続いた共和国でさえ、「年月とともに建国の精神が形骸化し、衰退してしまう」ことを自らの戒めとして経営の舵を取っている。
眼光紙背 ~取材を終えて~
どうせやるなら、新しい、おもしろいことをやろう――。
黒瀬社長は、「進取の精神」で次々と新しいことに挑戦してきた。KCCSが独立する前後の90年代半ば、他社に先駆けてグループウェアのLotus Notes(ロータスノーツ)の販売を手がけた。ノーツをベースにあれほど本格的なワークフローの仕組みを構築したのは、「恐らく国内初」だと振り返る。
その後、間髪を入れずに携帯電話やゲーム機向けの、当時としては先進的な会員管理やコンテンツ販売の仕組みを構築。黒瀬社長が手がけたプロジェクトの多くは、今でも「進取の精神」を代表する“語りぐさ”になっている。
ちなみに大学3年生、二十歳になるのを待って挑戦したのが日本酒の「利き酒」だそうだ。学生による利き酒大会で優勝したこともある猛者となり、今でも「日本酒の利き酒に関しては一家言ある」とのこと。(寶)
プロフィール
黒瀬善仁
(くろせ よしひと)
1961年、鳥取県生まれ。85年、慶應義塾大学卒業。同年、京セラに入社。95年、京セラコミュニケーションシステム(KCCS)。96年、情報ネットワーク事業部副事業部長。99年、データセンター事業部長。2003年、ネットワークシステム事業本部長。04年、取締役。06年、ICTサービス事業本部長。07年、エンジニアリング事業統括本部副統括本部長。10年、常務取締役。15年、代表取締役社長に就任。
会社紹介
京セラコミュニケーションシステム(KCCS)の昨年度(2016年3月期)の連結売上高は1147億円。従業員数は3000人余り。システム構築(SI)事業と通信エンジニアリング、アメーバー経営を軸とした経営コンサルティングの主に3つの主力事業を擁している。