チャンスを掴んで大きく成長へ
――2006年の起業当時、佐藤社長はセールスフォースが急成長するとの手応えを感じて、このビジネスを始めたのでしょうか。
起業するときは「セールスフォースは伸びる」と確信していました。ただ、日本IBMを辞めてセールスフォース日本法人の立ち上げに参画した01年当時は、正直、セールスフォースの知名度は今とは比較にならないほど低かったですね。
――それでも、「日本IBMを辞める価値はある」と思っておられた。
私は日本IBMの社長になるつもりで入社したんですよ。87年のバブル景気真っ只中の新卒採用組は1800人。その前後の5年間で、日本IBMは実に1万人を採用しています。ずいぶんがんばって、年間最優秀営業部員を表彰するセールス・オフィサー賞をいただくまでになりましたが、それでも社長は無理かなと。そんなときに海外ベンチャーの日本法人を立ち上げるので一緒にやらないか、と声をかけていただいたのがセールスフォースだったのです。まずは経営者としての経験を積んで、そこから起業する流れを当初からイメージしていました。
――日本法人を立ち上げた知見があるからとはいえ、セールスフォースが伸びると見越してテラスカイを立ち上げ、わずか12年で東証一部企業に育てるのは容易ではありません。
セールスフォースが伸びるだろうとは思っていましたが、テラスカイについては、いつも全力で突っ走ってきただけです。ベンチャー企業は失うものがないですからね。
東証マザーズに上場するまでは、オフィス一つを借りるのも社判と私の実印の両方が要りますからね。何をするにも社長の個人資産が担保として求められますので、正直、全責任を自分が負っている感じでした。もっとも、その担保にできるような個人資産もなかったので苦労したのですが、上場してからは会社の信用が通用するようになり、経営環境は大きく変わりましたね。その頃から自分だけの会社ではなく、株主や従業員などのステークホルダーをより強く意識するようになりました。
――次に伸びる領域はどこだとお考えですか。
企業秘密です(笑)。幸いセールスフォースやAWSもまだまだ伸びますし、量子コンピューターやAI関連など伸びる領域はたくさんあります。当社もこうしたチャンスを掴んでより大きく成長していきたいですね。
Favorite Goods
社会人になった30年前から、ずっと愛用しているクロスのボールペン。紛失したりして今は5代目。いつも同じデザインのものを買い続けている。「このペンを持っていると商談がうまくいくような気がする」と、験担ぎの意味もあるとか。
眼光紙背 ~取材を終えて~
社会インフラの一翼を担う企業へ
テラスカイが、東証マザーズに上場した2015年の本紙インタビューで、佐藤秀哉社長は「60歳で引退する」と答えていた。東証一部に上場した今、改めて同じ質問をしてみると、やはり「変更ありませんよ」とのことだった。理由は、「時代の先端を行くテクノロジー企業の経営者が還暦を超えているのはおかしい」という持論にもとづくものである。
その真意は、おそらく“東証一部企業として将来にわたって事業を継続していくために必要なこと”なのだろう。テラスカイが主軸とするセールスフォースも、当初は営業支援から始まったが、今では適用領域が大幅に広がって、社会インフラを支えるプラットフォームになりつつある。AWSも同様だ。
当然、テラスカイのビジネスも社会インフラを一端を支えるようになり、継続していくことがより強く求められている。事業を継続的に発展させていく役割は、起業家としての佐藤社長個人から会社組織全体へと広がり、一部上場によってその重みが一段と増す。そうした変化を早くから予測して「還暦引退」を公言。今年で56歳。後進の育成を通じて、ビジネスを一段と継続性、発展性のあるものにする。
プロフィール
佐藤秀哉
(さとう ひでや)
1963年、新潟県妙高市生まれ。87年、東京理科大学理工学部情報科学科卒業。同年、日本IBM入社。2000年、年間最優秀営業部員に贈られる「セールス・オフィサー賞」を受賞。01年、セールスフォース・ドットコム日本法人の立ち上げに参画。執行役員営業統括本部長。05年、ザ・ヘッド社長。06年、テラスカイ設立。代表取締役社長に就任。
会社紹介
テラスカイの2019年2月期の連結売上高は前年度比39.3%増の67億円、経常利益は商材開発などの先行投資がかさんで32.5%減の2億円の見込み。直近ではセールスフォース関連の売上比率げが7割、AWS関連が3割。今年度(20年2月期)は年商100億円、経常利益10億円を目指している。