キヤノンマーケティングジャパン(キヤノンMJ)グループは、ITソリューション(ITS)事業の売り上げを1000億円上乗せして3000億円にする「ITS3000」構想を推進している。キヤノンITソリューションズ(キヤノンITS)は、ITS事業の中核を担うSI会社だ。キヤノンMJグループとの連携やストック型サービス、独自商材をベースとしたビジネスなどを柱として、「ITS3000の成長エンジンの役割を担っていく」と、今年3月末にキヤノンITSトップに就任した金澤明代表取締役社長は意気込みを話す。キヤノンMJグループとの関係をより密にしつつも、キヤノンITSの強みや特色を生かすことを重視する。
――トップ就任から3カ月が経ちましたが、まずは基本的な経営方針について教えてください。
キヤノンITSが所属するキヤノンMJグループ全体の大きな目標として、ITS事業の売り上げを2025年までに1000億円上乗せして3000億円にする「ITS3000」構想を推し進めています。達成するためには、キヤノンMJを軸としたグループ連携を一段と強化していくことが欠かせません。
――今年1月には、情報セキュリティの「ESET(イーセット)」などのセキュリティ事業をキヤノンITSからキヤノンMJに移管しています。これもグルーブ連携の一環ですか。
ITS事業を伸ばしていくには、キヤノンMJグループの強みである大手から中堅・中小ユーザーに至るまでの幅広い“対応力”をより強くしていく必要があります。大手・中堅ユーザーまでの「エンタープライズ領域」のSIは主に当社が担い、中堅・中小ユーザー層の「エリア領域」はキヤノンシステムアンドサポート(キヤノンS&S)が担う体制となっています。
情報セキュリティは、ユーザーの企業規模に関係なくニーズがありますので、キヤノンMJ本体に移管して、当社やキヤノンS&Sがそれぞれの領域のセキュリティ事業を手掛けたほうが効率がいいとの判断があったのだと思います。戦略事業の健康医療分野を担うキヤノンITSメディカルといったグループ会社も、以前はキヤノンITS傘下にありましたが、今はキヤノンMJの直下とすることで、キヤノンMJ主導の体制を強化しています。
前社長は1年で交代、その狙いは
――キヤノンITSの前社長の足立さん(足立正親・現キヤノンMJ取締役専務執行役員)にインタビューしたときも、「キヤノンMJとの連携を重視する」とのお話がありました。その足立さんはキヤノンITS社長に就任してから、わずか1年で金澤さんにバトンタッチしていますが、どういう経緯があったのでしょうか。
足立さんはもともとキヤノンMJの役員を兼務するかたちでした。グループ連携がうまくいくと手応えを感じたので、後は私に任せたと推測しています。実際、足立さんがキヤノンITSの社長を経験したことで、キヤノンITSがどういう会社なのかをより深く理解できたことは、間違いありません。同じグループ会社といっても、出自も違いますし、当然ながら分業する仕事の内容も異なってきます。
ご存じの通り、キヤノンMJグループのITS事業は、旧住友金属システムソリューションズを03年に迎え入れたことで本格的に拡大し、08年には旧アルゴ21と合併しています。キヤノンMJはメーカー販社がルーツですが、キヤノンITSは純粋なSIerという業態の違いがあります。
メーカー販社との“違い”を生かす
――キヤノンMJとキヤノンITSの違いをもう少し補足していただけますか。
メーカー販社の文脈では、やはりどのくらい売り上げられるかの数字を重視する傾向にあるのですが、SIerは数字を出すためのプロセスを重視する傾向が強い。言い換えると、SIerは不採算案件のリスクを常に抱えていますので、プロジェクトの担当者の言動を注意深く観察したり、ときには社内の第三者がプロジェクトを監査するなどして、リスクを極小化していくプロセスを重視しています。
キヤノンMJがプロセスを軽視しているという意味では決してないので、誤解しないでほしいのですが、不採算案件のリスクはやはりSIerという業態特有のものです。職場の「ヒヤリハット」のようなもので、現場のSEと話をしたときに、何となく感じる違和感が積み重なると大きな不採算案件につながります。売り上げは大切ですが、そこに至るまでのプロセスをしっかり踏まえ、むしろ「売り上げや利益はあとからついてくる」くらいの余裕がほしいところです。
――足立前社長はそうしたSIer特有の現場感みたいなものを、しっかり身につけてキヤノンMJ専任に戻られたということでしょうか。
そうだと思います。実際、キヤノンITSとキヤノンMJの連携はより密接になりましたし、私と足立さんは、キヤノンITSの実質“社長と会長”のような関係になっています。キヤノンMJ本体もITS事業は手掛けますが、本格的な開発になったときはキヤノンITSとの連携が欠かせませんし、グループが一体とならなければ、大手から中小企業ユーザーまでをカバーしたキヤノンMJグループの強みも生かせない。
――金澤社長はずっとSI畑だったのですか。
もともと大学で電子工学を学んでいたこともあり、卒業後は電機メーカーの技術者をしていましたが、当時の住友金属システム開発(現キヤノンITS)が仙台でニアショア・ソフト開発を行うというので、92年に転職。私は、生まれが宮城県ですので、地元で仕事ができるほうがよいと思った経緯があります。
とはいえ、実際は、住友金属システム開発が金融系のシステム開発に力を入れており、しばらくして金融機関の集中する東京で仕事をすることになりました。私の苗字に「金」の字が入っているので金融に向いていると、私を金融系の仕事をするよう命じた当時の上司が冗談交じりに話していたのを今でも覚えています(笑)。
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