富士通がここ数年注力してきたビジネスモデル改革は、2段階のステップを踏んでいる。第1段階が、事業の選択と集中など構造改革を行う「形を変える」変革。そして第2段階が、グローバルのIT市場で戦える体質を目指す「質を変える」変革。後者の役割を期待されて社長に抜擢された時田隆仁氏は、収益性を向上させるだけでなく、カルチャーの部分も含む企業改革に取り組んできた。富士通はどのように変わったのか。そしてこれからどんな企業像を描くのか。
(取材・文/日高 彰 写真/大星直輝)
富士通は変わったな、という実感
――2019年6月に社長に就任してから3年半がたちました。22年はどのような年でしたか。
社長になってすぐにコロナ禍に入って、それから今まであっという間に過ぎてきましたが、この1年はさらに速かったです。22年はいろいろありましたが、特にロシアのウクライナ侵攻では、ロシアやその周辺のビジネスをどうするかということになり、ロシアの拠点はすぐにクローズして他の拠点に移すというオペレーションを行いました。また、部材調達の遅れでサプライチェーンが混乱し、サーバーが供給できずお客様にご迷惑をおかけしたこともありました。部材の問題は今ほぼ終息していますが、そういったバッドニュースのネガティブインパクトを抑えるのにバタバタした1年だったと思います。
――そんな中でも、企業としての存在意義を示す「パーパス」を定め、事業の変革や自社そのものの変革に取り組んできました。
このパンデミックの中でも、全従業員の理解を得ながら、定めた方向性の通り着実に動いてこられたという点で、従業員には感謝しかありません。成果として表れるのはこれからだと思いますが、着実にかじを切って、大きな船の船首を新たな方向に向けられたという実感は、社内のみんなが感じていると思います。
――ここ2~3年で、「富士通は変わったな」という感覚は社内でも広がりましたか。
全社の変革をどの程度感じているか、社員を対象に調査を行っていますが、スコアは非常に高いです。ただ、それが一人一人の行動変容を促し、「自分も変わったな」というところまで落とし込めているかというと、全社の変革にくらべてまだスコアは低い。これが実態なんだろうなと。本当に一人一人が変わったという実感を持つまではまだまだ道のりがあると思いますが、全社としてはずいぶん大きく変わってきたと思ってくれているのは明らかです。
「豊富な品揃え」は価値ではない
――21年10月に、業界横断型・オファリング型の新たな事業ブランドとして、「Fujitsu Uvance(ユーバンス)」を立ち上げました。業界での認知度はまだそれほど高くないのでは……。
まだまだ伝わっていません。当初から本格展開は23年度としており、まだ助走の段階なので、「そこまで浸透させようとはしていません」というほうが正確かもしれません。そんな中でも、Uvanceの文脈でのビジネスが受注できているのは事実ですし、一緒にUvanceのプラットフォームを作ろうよという声もいただくようになってきました。富士通はそういうパートナリングがもともと得意とは言えませんでしたが、エコシステムづくりをやれるようになってきたんだなという実感は湧いています。
――製品もソリューションも、提供できるもののポートフォリオが非常に幅広い富士通でも、いわゆる御用聞き型のビジネスから提案型にシフトするのは簡単ではないのでしょうか。
商品がたくさんありますというのは、必ずしもポジティプな意味ではないんです。提供できるものはあきれるくらいある。でも、長い歴史の中での積み重ねで、ポートフォリオ全体をマネージすることが不可能なくらいになっていて、世界中で1件しか使われていないような商品も維持しているんですよ。商品は何千個もあるから自由に選んでください、というのはオファリングでも何でもない。むしろ絞り込まないと価値がぼやけます。富士通は何でも提供できる・何でもやる会社“ではない”んです、ということにしていかないと、まったく非効率。お客様もわれわれも、ともに正しい方向へ行き、持続的な成長を一緒にとげましょうとご説明していきます。
――国内の電機メーカーは、プロダクトの販売からサービスの提供へとビジネスの軸足を移そうとしています。それが行き着く先には、どんな企業像があるのでしょうか。ITコンサルティング会社のようになるのでしょうか。
富士通は長い歴史の中で、いろんな会社だと言われてきました。もともとは通信機器メーカーで、それからメインフレームの会社になりました。今でも通信機器もメインフレームも続けていますが、僕は社内ではここ1年くらい、「富士通はテクノロジー企業だ」という言い方をしてるんです。まだ定義としてはふわっとしているけども、やっぱりテクノロジーをベースとしてビジネスをしている会社だし、これからもそういう会社でありたい。
Uvanceでは、「コンピューティング」「ネットワーク」「AI」「データ&セキュリティ」「コンバージングテクノロジー」の五つを大切なキーテクノロジーとしています。コンピューティングにしてもネットワークにしても、それらを手がけられる会社は、もう世界でもそうはいませんよ。この強みがなければ、それこそグローバルでビジネスをやっているコンサルティング会社やITサービス会社とガチンコでやりあわなけばならないですが、それらの企業にないテクノロジーがわれわれにはある。
他社も量子コンピューターに投資をしていますが、当社の技術者はこの分野ですごく自信をもっていますよ。「自分たちが一番」だと。例えば、量子のエラー訂正処理はいろんな企業がチャレンジしているけど、われわれには今までの通信やプロセッサーで世界一の性能や効率を実現してきた積み上げがあるからこそ、他社とは違う独自のアプローチができる。技術のすごく深いところまで突っ込まれると、正直、僕がどれくらい理解できているかというところはありますが(笑)、彼らが世界で一番と言っている、その自信は信じています。
――独自のテクノロジーが差異化要素になるということは、プロダクトを減らしてサービスで稼ぐというわけでは決してないということですか。
例えば、スーパーコンピューターのハードウェアを一台一台をお客様先にお届けするビジネスを拡大することはあまり考えていません。スーパーコンピューターを買えるお客様は多くはありませんから。そこで富士通は、高いコンピューティング技術を誰でも利用できる「Computing as a Service」を開始しました。つまり、われわれのテクノロジーを、いかにサービス軸で提供するかということです。量子コンピューターも通信もIOWN(NTTが中心となって推進する光電融合技術)もやりますが、われわれが注力すべきところは、それらのテクノロジーの知見があるからこそ作れるサービスなんです。このような流れを簡単に言ってしまうと「プロダクトからサービスへ」なのかもしれませんが、テクノロジーがなければ、最適なアプリケーションやサービスは生み出せないのです。
計画達成について悪材料はない
――約4年前、富士通は主力のシステム開発ビジネスである「テクノロジーソリューション事業」で、22年度(23年3月期)に営業利益率を10%まで引き上げることを掲げました。22年度上期の決算説明会で、磯部武司CFOは「心配事がないわけではないが、今のところ年間計画達成を諦めるほどネガティブな材料は出ていない」とコメントしていました。今も変わりありませんか。
そのコメントの通りです。計画を大きくねじ曲げるようなネガティブな事象は現在のところ検知していません。これは意地でも何でもなくて、事実としてそうだからです。今まで3年間やってきたことの集大成として、10%まで行けるだろうと考えています。
――コロナ禍に始まり事業環境としては厳しい時期が続きましたが、取り組んだことの果実を得るまでのスピードは増しているということですか。
加速度が付いています。ジャパン・グローバルゲートウェイや、オフショア開発拠点であるグローバルデリバリーセンターの活用効果は確実に上がっています。さらにドライブするため、リーダーシップに対しての評価やインセンティブを変えるなど、細かく修正しながらいろいろなことをやっていますが、一番大事なのは先にお話しした、一人一人の行動変容がどれくらい促されているかということに尽きると思っています。どの企業もそうですが、やっぱり人ですね。大事なのは。
眼光紙背 ~取材を終えて~
人が大事と聞いて、富士通の人々を何人か思い浮かべた。「高いスキルを持っている。ただ、真面目でおとなしい方が多いのでは」と聞いてみると「相変わらずおとなしい」との答え。ただ、雰囲気はかなり変わってきたという。
経営幹部クラスに社外から登用した人材が増えたほか、現場の組織でもチームの再編成を積極的に行っている。数千人規模のある本部では、この2年で30%の人が入れ替わった。「おとなしい人間と活発な人間の化学反応がこれからさらに起こってくる」(時田社長)と期待を示す。
本コーナーへの登場は4回目。初回の19年以来、久々にノーネクタイの時田社長に会った。時田流改革の第一歩は「ドレスコード廃止」だった。以来、伝統的なITベンダーという企業像からいかに脱皮するかに腐心してきた。23年3月期業績がその変革の成績表となる。
プロフィール
時田隆仁
(ときた たかひと)
1962年、東京都生まれ。88年、東京工業大学工学部卒業後、富士通に入社。システムエンジニアとして金融系のプロジェクトに数多く携わり、2014年に金融システム事業本部長に就任。15年に執行役員、17年にグローバルデリバリーグループ副グループ長、19年1月に常務・グローバルデリバリーグループ長、19年6月に社長に就任。19年10月からはCDXO(チーフDXオフィサー)職、21年4月からCEO職を務める。
会社紹介
【富士通】1935年、富士電機製造(現・富士電機)の通信機器部門を分離して設立。60年代からコンピューターの製造を本格化し、日本を代表する電機メーカー、ITベンダーに成長した。2020年、企業パーパス(存在意義)を「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていくこと」と制定。22年3月期の連結売上高は3兆5868億円、従業員数は12万4200人(22年3月末現在)。