大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第40話 武蔵の自画像を前に

2002/07/08 16:18

週刊BCN 2002年07月08日vol.948掲載

水野博之 コナミ 取締役

 いやしくも、アントレプレナーを目指す人間は武蔵のごとく図々しくないといけないだろう。シリコンバレーの連中を見ると、まぁなんと自己主張の塊であることか。彼らほど自分中心で勝手な連中もまた珍しい。裏を返せばそのくらいでないとアントレプレナーにはなれん、ということである。「お先にどうぞ」なんて言っていたら、一人取り残されてしまう。「浅学非才でございまして」なんて言っていたら、「そんなヤツは引っ込んでろ」とどつかれるに違いない。

 ここでは日本的謙譲の美徳なんて犬でも食われろ、と思われている。いやいやもっとひどいかもしれぬ。「あんな、心にもないことを言って。まことにいやらしい偽善者だ」と思われかねないのである。この不作法ぶりは、あの自由の国アメリカでもいささか問題であるらしく、「あれは米国ではない」と断ずる人たちがいる。とくにそれは東海岸において多い。ルート128のベンチャーキャピタリストのなかには「俺はいやだな。あんな連中とつき合うのは!!」と断言するのもいる。

 この点、シリコンバレーとルート128はかなり気風が違う。だが、違うと言っても、まぁ基本は一緒だ。自らを売り出してこそベンチャーな人だから。こう考えてくると武蔵もまた、自らの道を行くアントレプレナーであった。卓越した才をもちながら、強いタテ社会のなかで、知る人とてなく、自らの才をもて余したのであろう。その異端の身をかろうじておくことができたのが、この熊本の地であったというわけだ。この度、武蔵自らの手になる自画像を見る機会を得た。そこには鋒鋩たる老人が二人、二刀をひっさげて凝然と立っている。自らの一生をにらみ、答えられることのなかった社会を凝視し、しかも淡々たる風情があって、最後の武蔵の境地を語っているかのようであった。(熊本・島田美術館にて)
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