人材流動化の時代

<人材流動化の時代>第8回(最終回) IT革命乗り切るには人材の流動化は必至

2002/08/26 16:04

週刊BCN 2002年08月26日vol.954掲載

 中級レベルの技術者、人材が多いことは、日本がIT大国になるためには最低限の条件である。ただ、それだけでは、世界をリードする立場には立てない。

 現在のIT産業、パソコン産業を見ていればそのことは歴然としている。ついにパソコンは輸出産業には育たなかった。CPU、OSを米国メーカーに握られてしまった結果である。日本メーカーは、組み立て屋として生きるしかなく、しかもオープンな世界ゆえに差別化策を講じる余地も限られていた。コスト競争力だけが決め手になる世界では、日本メーカーの強みは生かせない。

 では、どうしたらよいのか。高度な知識をもった人材を育て、そうした人たちが活躍できる環境を作っていかなければならないことははっきりしており、そのためにはある程度国が関与する必要がある。

 だが、そうした議論は散発的に見受けるだけで、大きな方向性としては打ち出されていない。

 日本は、天才自体が少なく、しかもその天才を潰してしまう国とよく言われてきた。そうした国民体質まで変えるには長い時間が必要だろうが、例えば、大学の研究レベルを高め、社会人にも開放するなどの措置はもっと進められて良い。

 IT革命はまだ入り口に入ったばかりで、本当の変革期はこらから訪れるという見方がある。多分そうであろう。

 激動の時代はまだまだ続くということだ。そのなかで、企業も個人も生き延びていこうとすれば、自助努力しかない。

 日本の場合、人材は大企業に偏在していたという側面が強い。終身雇用制度が崩れた結果、人材は業界全体にばらまかれることになる。IT業界というマクロの視点で見れば、これはよいことだ。外資系企業に見られた現象が国産企業にも波及、業界全体の底上げにつながっていくだろう。

 そうした激動のなかで、個人が生き延びていくには、努力しかない。努力している人間を正当に評価、力を発揮させる体制をつくった企業のみが生き残れるとも言える。

 IT革命が進んだ結果、どのような社会が訪れるのか、誰にも分からないが、上昇志向の人間にとっては、悪い社会ではないことは確かだろう。

 いずれにしろ、日本がIT革命を乗り切っていくには、人材の流動化はもっともっと進めなければならないし、否応なくその方向に進むであろう。(石井成樹)
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