大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第96話 冒険野郎

2003/09/01 16:18

週刊BCN 2003年09月01日vol.1004掲載

水野博之 大阪電気通信大学客員教授

 この間、ある雑誌の編集長がやって来た。「どうしてこうも日本は元気がないのだろうか。ひとことで言って、その原因は何か」という御下問である。言下に応えた。「冒険野郎がいないからさ」「何故いないのか」ここから問題はきわめて評論家風になるが、日本ではそのような土壌はないのか、農耕民族は冒険をしないのか、などなど議論が続出した。結論から言うと、「日本人には冒険心がないのか?」、断々固として「ノー」である。 それは歴史をみればよくわかる。ことの是非は別にして、日本の和冠と呼ばれた冒険野郎が、東支那海を走りまわっていた時代もあったし、そもそも日本の始まりはどうも世界中の冒険野郎が東へ東へと歩を進めてドンヅマリの日本に至った、というのがことの真相ではないのか。いまでも和歌山には徐福の墓というのがある。念のためにいうと徐福というのは、中国の秦の始皇帝(紀元前259-210)の命をうけて不老不死の妙薬を求めて世界中をうろつきまわった男である。このような日本の歴史を考えると、「日本人に冒険心がない」なんてとても考えられない。この日本人の冒険心が長い300年にわたる徳川幕府の鎖国政策によって眠らされたのである。

 明治政府はこの徳川に対して革命を起こしたのであったが、奇妙なことにその時の旗印は「尊王攘夷」であった。外国からの圧力によって300年の鎖国を解こうという徳川幕府に対して、「国を閉じよ」とわめいて革命を行ったのである。この混乱はいまに至るも続いていて、政府は異端を許さない。 すべての政策は自らが立案するものだという考えのもとに日夜文献を読み、テキストを作ろうという仕事をいまに至るも放棄しようとしない。世の中を変えるのは異端たる冒険野郎である。ということをその本質において認めないのである。(松下村塾にて)
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