▼それは2001年9月17日号1面に掲載した「ニューヨークWTCの惨事」の記事に端を発する。実はこの記事は2つのメディアから発信した。1つはBCN。もう1つはBCNにも寄稿頂いている鮎川良さんが独立して立ち上げたばかりの「株式ネットマガジン」での発信だった。これらの記事を読んだ親しい読者から、多くの便りをもらった。2つのメディアとも米国から帰国する前の発行号だったから、異常な緊張感の中で、インターネット・メールの激励文をもらったわけだ。ずいぶん勇気づけられた。とくに驚いたのは、株式ネットマガジンの読者の中に16年間、音信が途絶えていた親しい仲間がいて、その彼からメールをもらったことだ。このシンプルな出来事に感動しつつ、インターネットの力に唖然とした。

▼帰国してから、人と会うたびごとにNY911の現場報告を伝えた。その都度真剣に、ツインタワーの爆風の中で、強い衝撃を五感に覚え、呆然として、現実を映画のように見つめていた体験を語った。緊張感がみなぎるテロ現場の500メートルのところから、常軌を逸した人の行為のはかなさを目の当たりにして、驚き、信じられない思いを他人事のように感じる自分がいて、さらにその奥には、はるかに現実を超えた光景に再度驚かされている自分がいる。こんな回路を幾度も繰り返すうちに、突き上げる衝動を感じた。人のいさかいの因果関係を掘り起こすことへの執着だ。何が人をそこまでさせるのか。ITのジャーナリストとしては、その領域をはるかにはみ出すことになる。正直なところ戸惑った。

▼ずいぶん昔に卒業したと思っていた青臭い葛藤を、52歳になって再び繰り返した。そんな矢先の“旅の誘い”だったから、「人への思いやり」に深く感銘した。ありがたいことだ。そして、それ以上にこの旅は大きな転機となった。札幌の訪問先で何気ない会話の中で「e-Silkroad」の話が出た。前号で書いたように、韓国の西門傑(さいもん・ごある)さんらが描いた構想だ。アジアのIT技術と文化を「e-Silkroad」の名のもとに交流しながら、アジア全域のIT主要都市が連携しあって、一大IT産業・文化圏を形成しようではないか、という大きな構想だ。

▼かつてなら、こうした役割では日本がリーダーではなかったか。欧州にはユーロの統一通貨経済圏がある。アジアにはない。いや、目の前にその可能性を秘めた「e-Silkroad」がある。不勉強にも知らなかっただけだ。日本は韓国にブロードバンド環境で劣勢にある。いや、志でも劣っているではないか。「Boys,be ambitious」はどこへ行ってしまったのか。頭をガツンと殴られた。帰京して2日後、バンガロールに旅立った。(本郷発・BCN主幹 奥田喜久男)