今日は何の日
<今日は何の日>7月14日「廃藩置県(1871年)」
2025/07/14 09:00
週刊BCN 2025年07月14日vol.2067掲載
今に続く、統合の始まり
明治2(1869)年に、天皇へ土地と人民を返還する版籍奉還が行われたが、その後も旧藩主が知藩事として旧藩を治めていた。実質的な封建制度が存続していたため、中央集権体制を強化しようと4年に廃藩置県がなされた。藩は県と改められ、中央は知藩事に代わり府知事と県令(後の県知事)を派遣。天皇を中心とする中央集権国家の統治基盤が確立した。県は藩をそのまま置き換えたため、当初は300以上も設けられていた。
統合が進む中では、現在隣り合っている県に併合されていたケースもあった。例えば、宮崎県は明治9年、鹿児島県に併合。西南戦争終結後に分離独立の動きが起こり、16年に再び宮崎県となった。奈良県は9年に堺県に、14年に堺県は大阪府に合併された。その後、20年に大阪府から独立するかたちで奈良県は再設置に至った。
明治の中ごろまでには、今に続く道府県の境界と名前がほとんどできあがる。日本に47都道府県が存在することを当たり前のように感じていたが、おおむね、かたちづくられたのは130年ほど前の話。再編の過程を考えると、必ずしも現在の境界が唯一の在り方ではないのかもしれない。
(実)

由来
明治4(1871)年7月14日、廃藩置県の詔が下される。
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